魔法の言葉 一 | ナノ
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空の点ほどに離れた飛行船を見送りながら和やかな空気に浸っていると、少年の高い声が響いた。

「ソプラノーッ!」

息を切らせて走ってきたリュートに、ソプラノは話を聞かれたのではとひやりとする。

「リュ、リュート……」
「探したよー。ねえ、ソプラノも一緒にかくれんぼしようよ!今ボクが鬼なんだ!」

リュートの様子に大丈夫だと安心するが、ぐいっと手を引かれてソプラノはすぐさま不機嫌を声と顔に出した。

「なんでわたしが!」
「コキュウ王子もしましょう!あと見つかってないのはリラ王女だけなんです!さ、ソプラノ行くよー」

強引にソプラノを引っ張るリュートは、ソプラノが何を言っても離そうとしない。

「ならオレはこの辺りを探しますよ。城は広いですからねー、迷子になられぬようお気をつけくださーい」

だんだんと離れていく二人にコキュウが言うと、リュートは元気よく手を振って答えた。

「はーい、ありがとうございまーす!」

ソプラノは納得していないようで、分かった、遊ぶからちょっとはなせ、とリュートの手を振り解くと、小走りにコキュウの元へとやって来た。

「あのっ」
「何でしょう?」

悪いが助けにはならないぞと、ぷーと頬を膨らましつつも大人しく待つ王子のことを思っていると、

「本当に、ありがとうございます。わたし、頑張ります!」
「――!」
「そ、それじゃ、また!」

ぺこ、とお辞儀をして走り去るソプラノに、コキュウはぎこちなく頷くことしかできなかった。

「何の話してたの?」
「リュートには絶対言わない」
「えーっ」
「ほら、リラ王女を見つけるんだろう」
「うんっ!」

高台周辺はコキュウに任せて、リュートとソプラノは城へと走っていった。

「……」

一人残されたコキュウは、しばらく呆然としていた。
頑張ると。
そう宣言したソプラノの笑顔が、とても輝いていた。
ちゃんと笑えるんじゃないかとか、結構レアな体験なんじゃないかとか、思うことはいっぱいある。
だけど、何よりも。

(可愛い、んだな)

無愛想さばかりに目がいっていたが、なるほど、あの容姿なら無愛想でも他国の王子達が放っておかないわけだ。
高鳴る胸を抑えて、コキュウはその場に座って空を眺めていた。
しばらくして――コキュウは静かに、近くの大木に声をかけた。

「そこにいるんだろう、リラ」

おずおずと木の影から現れたリラは、どこかバツが悪そうだった。

「た、たまたまよ!ぬすみ聞きしようとしたんじゃないの!」
「分かってる」

リラがソプラノに良い感情を持っていないのは、城内での態度が示していた。
しかし、だからといって盗み聞きをするような子ではない。自分を誰だと思っているのだ。
気まずそうな表情は、話を聞いてしまったから、だけではないのだろう。

「まだ嫌いか?ソプラノ姫――ソプラノ様のこと」
「……悪い子じゃないのは、分かった、けど」

リュートは、既に子供からも憧れられる存在だ。
期待の魔法使い。未来の大神官。それは、リラにとってもそうなのだ。

「でも、やっぱり……」

意味もなく突っぱねているのではないと分かっても、リラはそうね分かったわ、と頷けるような大人ではない。子供なのだから当たり前である。
胸に宿る小さな思いが、邪魔をする。

「……コキュウ兄さんがメロメロにしちゃえばいいのに」
「はっ?」

ヤケに近いリラの言葉に、コキュウは間抜けな声を出した。

「そーよ!コキュウ兄さんがソプラノ姫をとりこにしちゃえばいーのよ!」
「なっ何を言っとるんだお前は!」

笑顔がぽんっと脳内に蘇り、コキュウの顔は見る見るうちに赤く染まった。

「あんなにソプラノ姫と話したのなんて兄さんが初めてだろうし、兄さんも顔を赤くしてたじゃない。あ、またなってる」
「あれは不意打ちで……じゃなくてだな!」
「ああ、でも兄さんと姫が結婚したら、姫のこと姉さんって呼ばなきゃいけないのかなあ……」

わなわなと震えるコキュウを差し置いて、それはちょっと嫌だな、とリラは好き勝手言っていた。



両手に持っていた水晶を仕舞うと、ホルンはふうと息を吐いた。

「一時はどうなるかと思ったけど、なんとか無事に終わりそうね」

ソプラノが挑発にしかとれない態度を取り始めた時はヒヤヒヤしたが、さすが四人の弟妹を持つコキュウである。すっかり仲良くなってしまった。

「そうね。でもまあ、やっぱり婚約はなさそうね。ソプラノは頑固さんだからねえ」
「フォニアム……あなた、最初から分かっていたでしょう?何があったってソプラノちゃんは頷かないわ」

頑固さんなんて可愛い言い方では済まない。無理矢理婚約なんてさせようものなら、その場で舌を噛み切りそうである。

「まあね。だけど、結果的には良かったでしょ。リュートくんもそうだけど、ソプラノには近い歳で気兼ねなく話せる友達がいなかったじゃない」
「それは……そうだけど」

家族以外に、ましてや他国の王子にソプラノが笑顔を見せたのは、ホルンの「問題だけは起きませんように」という願いを遥かに上回る喜びであった。
リュートが鬼ごっこなどの遊びを出来たのも、大変喜ばしい。リュートは別け隔てなく誰とでも接するが、一方的な憧れや尊敬を抱かれているために、対等な会話ができず、"お知り合い"と呼べる者はいても、"友達"と呼べる者がいなかった。

「シターン国王がちょっと風変わりだったっていうのもあるけど、やっぱり来て良かったわ」
「……そうね」

やれやれ、うまいこと事を運ぶ妹だ。ホルンにはない思い切りの良さで、解決してしまった。
案外自由に暮らしてきたのも、間違いではないのかもしれない。

「ああ、そうだ。姉さんにだけでも言っておかなければならないことがあったわねえ」
「何よ、いきなり」
「あー……こんな場所で言うことでもないし。国に戻ったらそのうち話すわ」
「ちょ、ちょっとフォニアム?」

ふわーとあくびをして、昼寝をするとソファに横になるとフォニアムはあっという間に眠ってしまった。上手くはぐらかされてしまった。

(自由過ぎるわ)

撤回しよう。程々にしてほしい。



交流会は、シターンの計らいによって、明日の朝まで延ばされる運びとなった。
シターンはスフォルツェンドとの更なる交流が臨めれば良いのか、コキュウとソプラノが単なる友人として付き合うことに不満はないようだ。

「お風呂っ、お風呂っ」

夕食を終え、ホルンたちは大浴場へやって来た。どこかの国で聞いた裸の付き合いとやらで更に仲を深めようという話である。
リュートはコキュウたちと、ソプラノはリラと。

「ねえソプラノ、一緒に」
「入らない」

すぱっと断られ、リュートは残念そうに男湯へと入っていった。しょぼくれた背を、ガイタが慰めていた。
リュートは問題ないだろうが――ホルンはソプラノが心配であった。
コキュウとは仲良くなっていたが、彼女はリラたちとは殆ど話をしていないのだ。
リラがソプラノに不快感を抱いていたのは昼に広間で見ている。

「姉さん考え過ぎよ。なんとかなるから。ソプラノ、服……ああもう脱いでるわね」
「うん」

どこにそんな自信があるのか、フォニアムは言い切ると、ソプラノを連れてさっさと浴場へと入ってしまった。

「ちょっとソプラノ、逃げないの。髪洗ってあげるってば」
「いらない。自分でできる」
「できてないっての、泡がついてるわ――はい、お風呂入っていいわよ」

むすっとしていたソプラノだが、フォニアムに背を押されるとゆっくりと湯船へと入った。乳白色のお湯に体があたたかくなり、不思議と気分が安らぐ。
ぼんやりしていると、ひっそりと湯船の隅にいる誰かが見えた。
こちらに背を向け、壁を見つめている。こんなに広い風呂の隅っこで、窓もないのに何を見ているのだろうか。

「リラ王女」

すーっと湯を切るように近付くと、小さな肩がびくりと揺れた。振り向いた顔には、困惑の表情。
普段のソプラノなら、きっと近付きすらしなかった。スフォルツェンドよりも大きな浴場に、気分が高揚していた。

「かくれんぼがお得意なんですね」
「え……ええ、まあ」

あれから――ゴーンとガイタも一緒になって探したが、結局リラは夕飯まで見つからなかった。
単にカンがいいのか、魔法的な力のおかげか、リュートは人を見つけるのが得意だ。そのリュートにも見つけられなかったのが、意外だった。
リラはずっとコキュウといた。「いいか恋愛というのはだな……」とコキュウの恋愛論が始まって逃げられなかったのだが、それがなくても顔を合わせづらかった。
リラは逃げるように少し深いところまで行き、顎まで湯に浸かった。

「あ……」
「……?」

たまたま視界に入ったそれに、リラは声を漏らした。
脱衣所のドアのガラスにソプラノの背が映り、その背に十字のアザが刻まれていた。
リラもスラーの王女だ。スフォルツェンド王家の人間の背には十字架型のアザがあると、聞いたことがある。
本当だったのだと実感しながら、なら男湯にいるリュートにも――と想像しかけて、リラは湯に顔を突っ込んだ。

「ソプラノ姫は……」
「はい」
「……なんでもないです」

ぶくぶくと、口で空気の泡を作って誤魔化す。行儀が悪いのは分かっていたが、それ以上に顔を見られたくなかった。
その態度を、ソプラノは嫌悪と取った。

「リラ王女はわたしがお嫌いなんですね」
「!」
「嫌われるのはいいんですけど」

へらへらされるよりかはマシだと思い、だから気にしていなかったのだが、今やソプラノにとってスラーは特別な国となっていた。

「できるなら、理由を知りたいんです」

正面から真っ直ぐに見つめられて、リラは目を逸らせなくなった。本当は、何もかも分かっているんじゃないか。

「別に嫌いじゃありません。ただ……ちょっと、リュート王子に冷たいんじゃないですか?」

至極自然に、どうでも良さ気に付け加えたつもりだった。

「リラ王女ってもしかし」
「ちちちち違うもん!」
「まだ何も言ってません」
「なっなんとなく!違うと思ったの!」

敬語もすっぽ抜けて、違う違うと首を振るリラ。顔が赤いのは、湯に浸かっているせいだけではなかった。

「そうですか。でも、冷たいとは言いますが、わたしがリュートに優しいのも気持ちが悪いでしょう」

言われてリラは想像してみたが、その通りだった。
もし、ソプラノがニコニコとリュートと話していたら。それはそれで気味が悪いし、今よりもっと辛くなっていたかもしれない。

「わたしは、きっとこのままです。たぶん、ずっと」

ちゃぽん、とソプラノはリラと同じように顎まで湯に浸かった。

「それより、嫌われてなくて良かったです。あまり、気分は良くありませんから」

ぼうっと遠くを見つめるソプラノに、リラは急に後ろめたさを感じた。

(し、知らなかっただけだし!だからしょうがないじゃない!)

聞いてしまった会話と、今の会話で、リラはソプラノを少し知った。

(あ……)

知って、思い当たった。

(私も、同じこと、してる……)

自分が辛く悲しかった思いを、知らず知らずのうちに自分も誰かに感じさせていた。
込み上げてくる自己嫌悪をどうにかしたくて、たまらずリラは口走っていた。

「ソプラノ姫って、変」
「はい?」
「変だし冷たいしずるいし……だから友だちいないのよ」

いつも強気なくせに、いきなり弱気な顔を見せるなんて。もっとずっと、強気でいればいいのに。
理不尽な言いがかりをもっと続けたかったが、リラはぐっと飲み込んだ。

「わたしのことはリラでいいわ。……わたしが友だちになってあげる」

すっとリラは手を差し出した。

「? ……?」

ソプラノは状況が飲み込めず、首を傾げていた。
手の行き場がなく、リラはばしゃんと湯を叩いた。

「何よ……うれしくないの!?」
「……うれしいです。ならわたしもソプラノとお呼び下さい」
「そのかた苦しい言い方もなし!と、友だち、なんだから」
「分かった。……ありがとう、リラ」

ぎゅっと、今度こそ握手を交わした。
それは、ソプラノにとって、初めて対等に交わせた握手だった。

「なんとかなったでしょ?」

二人から離れたところで泥パックをしていたフォニアムは、ホルンに「ね?」と笑った。
ホルンも静かに頷く。驚きだらけの一日である。

「女の子は早熟っていうけれど……私にも娘ができたらこんな気持ちなのかしら」
「あら、どんな気持ち?私にはちょっと分からないわねえ」
「あなたって……」

フォニアムに言ったのが間違いか。良い意味でも悪い意味でも、彼女は普通ではない。

「まあ姉さん、それを言うなら義兄さんともっと頑張らないと」
「フォニアムッ!」

どうも調子の良すぎる妹の前では、ホルンはすっかり女王でなく姉になる。家族なので当然であるのだが、茶化すフォニアムにホルンはついかっとなった。
リラとソプラノは、風呂場に響いたホルンの声に揃って首を傾げた。

それから――リラとソプラノは、寝るまでずっとお喋りをしていた。お喋りをするために早起きもした。リラがソプラノを叩き起こしたとも言えるが、ソプラノも眠そうな顔をしつつ相槌を打っていた。
ソプラノに友達がいないと言ったが、リラにも対等と言える友達はいなかった。
三人の兄がいたので退屈はしなかったが、それでも同性の友達ができたのは、単純に嬉しかったのだ。

「手紙、絶対書いてね」
「ん」
「何よその態度!」
「はいはい」

迎えの馬車に乗るソプラノに、こそっと耳打ちをする。

「あとね、いーい?リュート王子にもたまには優し……あんまり冷たくしないこと」
「はいはいはいはい」
「ちょっと、ちゃんと……!」

迫るリラをかわし、ソプラノはひょいっと馬車に乗り込んでしまった。

「うん、聞いてる。じゃあ……また」
「……うん!また!」

再会の約束。社交辞令でないそれに、ソプラノもリラも、笑い合った。
馬車が出て行く。スラーの城門から、リラは馬車が見えなくなるまで立っていた。
コキュウも隣で穏やかに見送りを共にした。
こうして、長いようで短かった交流会は、幕を閉じた。

 →→

相変わらず彼女の淹れる紅茶は苦いと、リラは顔を顰めた。
特殊な香薬が配合されているので、お茶というよりは薬を飲まされている気分である。
体には良いらしいが、慣れることができなさそうだ。

「どうした、ぼんやりして」

紅茶を淹れたソプラノは不思議そうな顔をしていた。

「ちょっと、ね。昔を思い出していたの。そういうソプラノこそぼんやりしていたわよ」
「ああ、私も少し昔を思い出していた」

事も無げにソプラノは手製の紅茶を飲んだ。
テーブルを挟んで向かいに座るリラは、ソプラノよりもほんの少し背が低い。これからその差が広がることはあっても、埋まることは絶対にない。

先日、コキュウ王子に合わせてスラーの兄弟は揃ってサイボーグになったのだ。
つまり、肉体の成長が止まった。
見た目に変わりがなかったので本当にサイボーグになったのか尋ねて、みょーんとほっぺを引っ張って見せられたのが数分前。ゴム人間になったのだと、リラは朗らかに笑っていた。
訓練を受けたら、いよいよ彼女は戦場に赴く。
国を守る為に、命を懸けて戦う道へ進む。
それが少し――羨ましい。
あの交流会以降、コキュウのアドバイスを受けてソプラノは色んな方面に手を伸ばし、勉強に励んだ。
リラがこうしてスフォルツェンドまで来たのも、ソプラノの魔法薬を必要としてである。
ソプラノの薬は知る人ぞ知る魔法薬で、スフォルツェンドと特に密接な関係のスラーは、よく薬の注文をするのだ。
魔法薬以外に武術や剣術も学ぼうとしたが、ことあるごとにリュートに戦わなくていいと邪魔されていた。

「……まーた、何考えてるのよ」

無理にでも遣いを申し出て良かった。目を伏せるソプラノの額を、リラはテーブルの上に身を乗り出してつんと突いた。

「兄さんが何て言ったってあなたのサイボーグ化には私は反対だし、もしなるとしても二十歳になってからよ。あと五年もあるんだから」
「む……」

確かに、リラはソプラノにできないことをできる。
けれど、ソプラノもリラにできないことをできる。
彼女は多くを求め過ぎているのではないか。
わざわざ自分から、その身を重しの下に向かわせているようだ。

(本当、昔っから変わらないわね)

放っておいたら、神様になれないと嘆き始めそうである。

「バカなことばっかり考えてるといくつになってもサイボーグにしてあげないわよ」
「そ、それは困る」
「じゃあしゃきっとしなさい。スフォルツェンドで生きていくんでしょ?」
「……ん?」
「……あ」

言い終わった後で、リラはハッとした。
ソプラノも気付いたようで、じーっとリラを見つめている。
スフォルツェンドで生きていく。
リラと友人関係になってコキュウ以上に沢山話をしてきたが、その独特の言い回しは、あの時、あの場所で、コキュウと言葉を交わした時にしかしていない。
それはリラも十分分かっていた。だからこそ、視線が痛い。

「リラ……」
「あっ、わ、私、そろそろ帰らないと……!」

受け取った注文分の薬を鞄に詰めて、リラはそそくさとドアへと走った。

「待てリラ、聞いていたな!」

ソプラノもすぐさま追うが、リラの足は早く、既に十数メートル離されていた。
しかしここはスフォルツェンド城。地の利はこちらにある。
ソプラノはスーツの上に羽織っていた白衣を脱ぎ捨てると、リラを追い込む算段を立てたのだった。



2014.05.30
 

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