魔法の言葉 一 | ナノ
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常習犯


革張りのチェアに腰掛け、資料がいくつも積まれたデスクに向かって、少女は一心不乱にペンを走らせていた。
少し癖のある濃紫の長髪を左右に分けた三つ編みと、十字架が描かれた布帯のヘアバンド。ロングスカートのスーツを着用し熱心に取り組む姿は、まさに仕事人と言ったところ。
鋭い目線で内容を確認し、無駄のない手付きで書類に文字を連ねる。紙面が埋まると内容を再度確認、判を押して次の書類に取り掛かる。
仕事始めに高官によって割り振られた執務室は、応接用のソファや簡易の流しを置いてもなお余裕のある広さだが、少女の他には誰もいない。部屋の主である少女が、部下との同室での執務を受け入れなかったのだ。
この部屋を訪れる者は限られている。部下と、高官と、女王と――
突如荒々しく叩かれたドアに、少女はピタリと動きを止めた。

「ねえねえ、開けて!入るよー!」

返事を待たずに、鍵の掛かっていたドアが豪快な音を立てて開かれる。
少女――ソプラノはペンを投げ出すと、荒く机を叩いて立ち上がった。



ソプラノにとって、昼下がりは一番嫌いな時間であった。
そして、彼女の部下達にとっても、苦手な時間であった。

「ソプラノ様!ソプラノ様!」

チェアに腰掛けるソプラノは不機嫌そのものの表情で、広げていた書類から、慌ただしくやって来た部下達に目線を移した。
指でトントンと机を鳴らし始める横柄な姿に、部下達は怯む。
言い返さないのは、この自分達の半分の年齢にも満たない少女が上司であるから――だけではなく。
少女が国の頂点である女王の妹の娘、つまるところの姪であるから――だけでもなく。
十代半ばにして幼さを感じさせない毅然とした振る舞いと、無遠慮に放たれる威圧感のせいであった。
笑えばおそらく可愛らしいであろうに……おそらくというのは、部下達が笑った姿を見たことがないためだった。もっと幼い頃はあったかなあとも思うが、考えてもしょうがない。

「リュートか」

ソプラノは聞かずとも分かるとばかりに質問ではなく確認をした。
スフォルツェンド第一王子リュート。人当たりが良く、誰にでも優しい、常に笑顔を輝かせる少年。民に愛され、魔族に恐れられ、魔法兵団を束ねる大神官、大魔法使い――その彼の名をここまで嫌悪感たっぷりに言えるのはソプラノくらいなものだ。
そしてその彼が原因で、更にソプラノの無愛想が酷くなるのを部下達はよく知っていた。毎日のように見回りや救援から帰っては姿をくらます王子を探すため、毎日のように彼女の元まで尋ねに来ているのだから。

「はい、城中探しておるのですが見つからず……お怪我をされているようでしたので治療をと思ったのですが……」

ならば自分のところではなく女王陛下の元へ行くべきではないか。思いつつ、ソプラノは口にしなかった。再三言ったが「ですがやはり」と改められなかったので、部下達の訪問については諦めていた。

「あいつにも一人になりたい時があるだろう。あれも年頃だ。治療が必要なら医務室に行く。急ぎでないなら放っておけばいい」
「はっ……ですが、怪我が」
「リュートに会ったら伝えておこう。用が済んだなら出て行ってくれるか、仕事が滞る」
「ははっ、お手数おかけします。失礼しました!」

一礼して、部下達は足早に部屋を後にした。
足音が消えたのを確認すると、ソプラノは立ち上がり、座っていたチェアを引いた。

「……行ったぞ」
「ありがとう!」

デスクの下から出てきたのは、先程部下達が探していたその人、リュートである。肩にかからない短い青髪をさらさらと揺らし、青と白を基調とした法衣を纏った少年は、額に輝く十字架よりも眩しい笑顔を浮かべていた。

「いやあ、みんな親切だからさ、本当に大したことないんだけど、心配し過ぎてくれるっていうか……」

聞いてもいないのに言い訳を始めるリュートにわざとらしくため息を吐いて、ソプラノはチェアにどっかりと腰を下ろした。
リュートは怪我の治療を受けたがらない。それは厚意が疎ましいのではなく、過程での心配を恐れてのこと。心配をかけたくないのならそれこそ治療するべきなのだが、リュートは怪我を見せるよりも、治った姿を見せる人間だった。

「なら他へ行け。自室なり隠し部屋なり、一人になれるところはいくらでもあるだろう。わざわざ私の仕事の邪魔をするな」

ソプラノはペンをくるくるとまわし、先程より大きなため息をくれてやった。大抵、この後に何を言われるかは、分かっているのだが。

「えー。だってボク、ソプラノが大好きだから。結婚しよっ」

屈託のない、邪気のまるで感じられない純粋無垢な笑顔。ニコニコと笑いながら、ただし目はしっかりとソソプラノを捉えている。
ソプラノは告白への返事はせず、洋紙を何枚か取った。

「出て行け、仕事をする」
「ウソはダメだよ、ソプラノ。仕事なんて朝のうちにとっくに済ませちゃってるんだろう?」

リュートはお見通しだとばかりに、ペンと紙を取り上げた。

「なのにさっき仕事が滞るなんて言っちゃってさ。それに"あれも年頃だ"って……もうちょっとで吹き出すところだったんだから。ソプラノ、ボクより年下なのに!」

リュートはさらりと魔法陣を描くと、ソプラノに差し出した。

「いつも仕事が終わったら勉強してるんだろ?さっきはこの陣の書き取り練習をしてたね」
「それは趣味だ」
「ソプラノはウソがヘタだねー。魔法なんか使えなくってもボクが守るってば!」
「うるさいな……」

じっとしていられなくなって、ソプラノは洋紙を奪うと乱暴に引き出しに押し込んだ。
片やスフォルツェンドを、世界を守る、人類の守護神、大神官。
片やスフォルツェンドの所務隊長、及び医療班医薬隊長。
馬鹿にされているわけではないと分かってはいるが、事実に心が重くなる。自分にも王家の血が流れているというのに、そこいらの兵士よりも戦えない。
その現実をまざまざと実感させられるから、この"いとこ"が隠れに来る時間は嫌いなのだ。庇ってやる理由なんてないのだが、断ってもいつも押し切られてしまう。

「お前も嘘を吐いただろう。無傷だと聞いていたが?」

鋭い目つきで睨むと、リュートの笑顔が少し、固まった。

「せめて怪我くらい手当てしろといつも言っているだろうが!」
「た、大した怪我じゃ」
「うるさい。そこに座れ」

リュートを応接用のソファに座らせ、ソプラノも救急箱を取り隣に座る。法衣の長い袖をめくると、痛々しい擦り傷や切り傷が覗いた。

「……着替えてくるくらいなら医務室に寄ってくればいいものを」

こんな怪我を負ったのなら、当然法衣もめちゃめちゃになっていたはずだ。
眉を寄せるソプラノに、リュートは変わらずニコニコしている。

「だから言っただろう。ボクはソプラノが大好きだからね。早く会いたかっ――いたっ!」
「治療したくないなら怪我をするな」

消毒液をぶっかけて黙らせ、治療していく。
治療は慣れたもので、手つきは傷を労るように優しい。
薬を塗って包帯を巻いていくソプラノの手を、リュートは大人しく見つめていた。怪我をするなだなんて戦い詰めのリュートには無茶な注文だったが、リュートは言い返さない。代わりに、そっと名を呼ぶ。

「ソプラノ……」
「もっと強くなって、絶対に、死ぬな」

ぶっきらぼうな言葉の後、包帯の端がきゅっと縛られ、治療は終了だ。
救急箱を棚にしまおうと立ち上がろうしたが、その前に手を引かれ、ソプラノはリュートの腕の中にいた。

「っおい!」
「ボク、やっぱりソプラノが大好き。ソプラノ、結婚しよー?」
「うるさい、しない、離せ」
「照れなくていいのに。フフフ、顔が赤いよ」
「……!」

羞恥から来る紅潮を顔を背けて隠そうとするが、リュートはそれさえも楽しんでいた。
聞く耳を持たずぎゅうぎゅう抱きしめてくるリュートに、ソプラノは声を荒げて抗議する。

「離せと言っているだろう!」
「んー?そうだね、ボクのこと、名前で呼んでくれたら離してあげる」
「何を、この……」
「いつも"おい"とか"お前"でさ……前は普通に呼んでくれてたのに」
「いつの話だ!」
「いつだったっけ?それくらい前なんだよ!寂しいんだよー?ね、ね、呼んで」
「誰が呼ぶか!」

少年の端正な顔立ちと、優しいまなざしが近距離にある。
誰もが思わずときめくほどの真摯さを持っているが、ソプラノには効かない。
リュートはソプラノの三つ編みを撫でながら、目を細める。

「誰かと話す時は呼んでくれるじゃないか……そうだ、神官命令にしちゃおうかなぁ」
「なっ、いい加減に」

しろ、とソプラノが叫ぶ前に、ガチャリと扉が開かれた。

「ソプラノちゃんソプラノちゃん、また新しくお洋服買ったんだけどー……」
「あ、母さん」

素晴らしく最悪な状況で現れたのは、この国の代表であり、リュートの生みの親であり、ソプラノの伯母でもあるホルンだった。未だ娘に恵まれないホルンは、両親を亡くしたソプラノを娘のように可愛がっており、たびたびこうして遊びに来るのだが――タイミングが悪かった。

「へ、陛下……あれほど執務中には来られぬよう申し上げたではありませんか!」

しかもノックがない。鍵がかかっていなかったので(ぶち壊されたので)開けられるのは仕方ないとしても、せめてノックさえあればリュートにアッパーなりバックドロップなりして距離を取れたというのに。
なんてソプラノが人類の守護神様を殴り飛ばす想像をしていると、ホルンはプルプルと震えながら手に持っていた洋服を落とした。
ぱさり。その音を合図に、ホルンは大声を上げた。

「キャー!リュートがソプラノをソプラノがリュートを!なになに、執務ってそういうこと?二人の愛の執務なのー!?」
「誤解です陛下!これはコイツが勝手に!」
「大丈夫だよ母さん、いとこは結婚できるんゴフォッ!」
「何が大丈夫だ!うるさいバカ!」

ホルンの登場で僅かに緩んだ抱擁。その隙にソプラノは渾身の力で救急箱をリュートの顔面に叩き込んだが、リュートはソプラノを離さなかった。
そうこうしている間に騒ぎを聞きつけ、兵や女官がぞろぞろとやって来た。
あらぬことを叫びまくるホルンに、ソプラノを抱きしめて離さないリュート。
執事パーカスが取りまとめるまで騒ぎは収まらず、ソプラノはリュートの腕の中で疲れてぐったりとしていた。



2014.05.19
 

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