魔法の言葉 一 | ナノ
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ああ素晴らしき魔法使い


ソプラノはスフォルツェンド城から離れた山道を一人歩いていた。護衛をつける必要のない安全な道だ。
通い慣れた道を抜けると、大樹を軸に建つ丸い一軒家が現れた。
玄関扉の前に立ちゆっくりと息を吐く。普段ならありえないが、今日ばかりは緊張していた。
ノックを数回。程なくして、トンチキな格好をした丸メガネの老人が姿を現す。

「おおソプラノ、お前さんか」
「例のものを受け取りに来た」
「全くせっかちじゃのー。届けてやると言ったじゃろうが。茶でも飲んで落ち着け」

早々に話を切り出すソプラノに、老人オリンはゆったりとパイプを吹かした。
ソプラノは苦い顔をして椅子に腰掛けると、胸ポケットから数枚の写真を取り出した。

「どうにも待ちきれなくてな。ああ、これは頼まれていたも、の、だっ!」

素早く飛びついてきたオリンをかわし、ソプラノは写真を投げつけた。
ひらひらと舞う写真を見事全てキャッチしたオリンは、一枚一枚じっくりと確かめるとともに歓声をあげた。

「おおおお、楽しみにしていたんじゃー!名高きホルンの息子、人類の守護神……リュートの生写真をなー!」

写真に頬を擦り寄せる姿は実におぞましい。ソプラノはこの老人の桃色というには薄汚れた感情に背筋を凍らされてばかりだった。

「おおっこれは寝顔!な、なんとも激レアな!さすがソプラノさまさまよのー、普通なら撮れんよーな写真がざっくざくのほほいのほい!」
「……」

ぺろぺろと写真を舐め始めるオリンに、さすがのソプラノも罪悪感に見舞われた。
依頼に対し「リュートの写真を撮ってくる」なんて条件を出してきたこともそうだが、変人の思考は理解しがたい。

「食事姿に寝顔……と来れば次は風呂じゃの!どうじゃ今度一緒に風呂に入ってついでに一線を越えゴフッ!」
「いい加減にしろ!」

調子に乗り始めたオリンにソプラノの見事な踵落としが決まった。

「もういいだろう。それよりだな……!」
「分かっとる。完成しておるよ、ホレ」

苛立ち始めたソプラノにオリンが差し出したのは、十字架を模した簡素な杖だった。
ソプラノは食い入るような目付きでそれを見た。上品な金色が杖先で静かに輝いている。

「これが……」

恐る恐る握ると、手に吸い付くように馴染んだ。不思議な感覚だった。
静かに振ると、杖先に付いていたリングがシャラリと鳴った。

「私の、杖」

それはこれから共に生きて行く自分の右腕であり、相棒であり、魔法使いの証だった。

「お前さんの力がどれほどのものかまだまだ分からないからのう。当面はこれでいくがよい」
「……はい」

ソプラノは杖を抱きしめて深々と頭を下げた。
オリンは嬉しそうににっこりと笑うと――ごくごく自然な手つきでソプラノの尻を撫でた。

「ひゃっ!?」
「可愛い声あげおって、やっぱりソプラノも年頃の女の子じゃの〜!どうじゃ、次はお前さんの生写真でその杖にドリルを……」
「……ッいらんわぁ――!」

耐え難い悪寒が体を走り抜ける。それを振り払おうと怒りに身を任せて、ソプラノは真新しい杖でオリンを殴った。
見事な閃光が部屋を照らす――ソプラノの初めての攻撃魔法だった。



杖尻で軽く床を叩く。浮かび上がった紋様は、ゆるりとソプラノの執務室を埋めた。

「ふむ」

きっかけがオリンへのツッコミという残念なものであったが、魔法への更なる目覚めは素直に嬉しいものだ。杖のおかげか、以前よりも幾分かうまく力を操れている気がした。
部下達が見守る中、魔導書を片手にソプラノはあれこれと試し始めた。
が。

「ソプラノ――ッ!」

飛び込んできたリュートに、張り詰めていた緊張の糸がぷっつりと途切れてしまった。
一応いつもの魔法錠と自分なりの魔法で扉を閉めていたのだが、人類の守護神様には全く効果がないらしい。

「一体何のよ……ごはっ!」
「会いたかったよー!」
「ソプラノ様――っ!」

無自覚でありながら圧倒的な力に恨みを募らせつつ睨むが、リュートは構わずソプラノに抱きついた。
壁に叩きつけられたソプラノは、だらだらと頭から血を流す羽目になった。

「お、おま、お前は!普通に話すことが出来ばいのか!」
「えっ?どうしたの?」

きらきらと輝く瞳はソプラノの流血なぞ見えていないのか。リュートは不思議そうに首を傾げている。
リュートは全く気付かない。どころかご機嫌にソプラノの背にまわす腕に更に力を込めた。鼻歌交じりに出しているとは思えない凄まじい腕力だった。

「い、いつまで、こうしているつもりだ」

抱き潰されそうになりながらも、ソプラノは冷静に尋ねる。

「うーん……ずっと?」
「……離せ」
「やだ。あ、それってもしかして」

転がる杖にリュートが目を留めた。

「杖、作ってもらえたんだね」
「ああ……」

杖先のリングが揺れ、小気味いい音が鳴る。ソプラノだけの、ソプラノのためにだけ作られた魔法の杖。
リュートはまじまじとそれを見つめた。自分が持つ大きな十字架とは違い、小さく軽い杖。しかし小さくとも、ソプラノが生きていくための大切な杖だ。
少しでもいいから助けになりたい。リュートは、自分なりに魔法を教えてあげたくなった。

「杖は……そうだね。管みたいなもの、かな」
「管?」
「うん。法力が水で、人が水道だとする。管は水を自由に出すためのもの……って言えば、分かりやすいかな?杖を使えば力を操りやすくなるんだ。ソプラノ、前より爆発させなくなっただろう?」
「ああ」
「でもまあ、コレは例えだから。人は水道じゃない。慣れれば、杖がなくても自由に力を操れるようになるよ」

ポ、とリュートの指先に光が灯る。
光は自由に、まるで生きているかのように辺りを元気に跳ねた。
ただのお遊びの魔法だが、ソプラノにはそんな魔法を使う余裕もない。

「おいで」

リュートはソプラノの手を引いて杖を握らせると、その手に自分の手を重ねた。
ソプラノははっとした。つい聞き入ってしまっていた。しかし後退ろうにも後ろは壁だ。

「頼んでいない!」

押し返そうとするも、リュートは穏やかだった。

「まあそう言わずに。ほら、目を閉じて。ね?」

いつもの強引さと違う、あまりにも優しい物腰に、ソプラノは困惑してそれ以上は拒めなかった。早く離してもらうためだと自分に言い聞かせ、渋々目を閉じる。

「慣れていないから緊張すると思うけど、落ち着いて」

リュートの声だけが聞こえる。早く手をどけてほしいのに、一人で練習させてほしいのに、不思議と心が安らいでいく。それこそ魔法がかかっているような魅力がある。

「慌てず……静かに、ゆっくりと……杖に力を込めて」

緊張はすっかり解れていた。息を吸って、吐いて、言われるがままに想像する。
人は水道、法力は水、杖は管。自身の持つ力を、杖へと流し込む。ほんのりと、杖があたたかくなった。

「その調子……次は力を杖先に集めよう……焦らなくていいからね」

管を伝って、水は外へと向かう。

「オッケー。じゃあ、次はその力を杖先で開放するんだ。花が咲くように……難しく考えないで。ソプラノなら出来るよ」

花が咲くように――そう言われて思い浮かんだのは、スフォルツェンド城の中庭にある噴水だった。
幼少期にはよく中庭で、晴れの日はいつもと言っていいほど噴水の近くに腰掛けて読書をしていたものだ。
澄んだ水に陽の光がキラキラと輝く様が、とても綺麗だった。今でこそ全く関心を持たないが、昔は純粋に美しいものに感銘を受けていたのだ。
あの頃の自分が今の自分を見たら、一体何と言うだろうか。

(……私は、何を)

逸れかけていた意識を杖へと戻し、好きだった景色を強く思う。
イメージを更に強くしていると、部下達の感嘆の声が聞こえた。

「目、開けていいよ」

リュートの声に目を開き、思わず息を呑んだ。
杖から放たれた光の粒が部屋を目映く染め上げている。いつも殺風景な、爆発でしか装いが変わらない執務室が、幻想的な光景に包まれている。
水の飛沫のように一粒一粒がきらめき、壁や床は水面の揺れを思わせる輝きを放っていた。
ソプラノが呆然としていると、リュートが重ねていた手をどけた。

「ボクは何もしてないよ。アドバイスしただけ」

全部君が一人でやったんだと、リュートは誇らしげに笑う。

「攻撃にも防御にもならないけどさ、素敵だろう?練習にはぴったりだと思うんだ」

こんな魔法、戦闘において何の役にも立たない。
けれど、とソプラノは部屋を見渡す。自分の魔法がこの光景を生み出したのだと少しずつ理解していくと共に、言いようのない感情が胸の奥で疼いた。

不本意とはいえ、リュートに教えられなければ成せなかった魔法だ。
言わなければいけない言葉が出てこない。何を言うべきかは分かっているのに。

「あ、あの」
「そのうちソプラノもバシバシ魔法を使えるようになるからねー!こんな魔法もあるんだよー!」
「あ……?」

言い淀むソプラノの前で――リュートは腰に手をあて得意げに魔法を繰り出していた。
目の前でばんばか魔法を使われたのもそうだが、ソプラノを黙らせたのはそれではない。いつの間にやら部屋の中央にドーンと現れた気色の悪い怪獣のような何か。「ギョシェー」と鳴き声も気色の悪い怪獣が、カサカサと動きながらソプラノの部下を追い回している。

「ひぃぃー!た、助けて下さいリュート王子ぃ!」
「これは古代魔法の一つでね、結構難しいんだけど、その分とっても強力でー」

そんなものは見れば分かる。戦線に赴くことは少ないが、部下も立派な魔法使い。その部下が苦戦しているのだから強い魔法なのだろう。
……そうではない。なんだこのチョイスは。紹介するにしても、もっと良い魔法があるのではないか。手を取って教えてくれた魔法は一体何だったと言うのか。

「リュート王子、隊の者が探しておりまし……ゲッ!?」

リュートを呼びに来た兵士も顔を真っ青にした。

「あっ、はーい、今行きまーす」

呑気に返事をするリュートに、その場にいた者達は心を一つにした――この化け物を、どうしろというのだ。

「お、おい、待て!」
「もうソプラノったら、寂しいの?」
「違うっバカ!コレを消していけ!」
「すぐ戻って来るよ!」

リュートは怪獣をそのままに、兵士と共に部屋を出て行った。ソプラノの光の魔法もいつの間にか消え、室内には気色の悪い怪獣が残るのみ。

「私はもうダメですソプラノ様……」
「あっ諦めるな!あああああのバカめっ……!」

命を諦めた部下は、捕らえられた状態で器用にも遺書を書き始めていた。
部下ですら敵わない怪獣に、新米の魔法使いであるソプラノが果たして勝てるのか。
絶望的ではあるが、やってみるしかない。
ソプラノは杖を握り締め、怪獣に立ち向かった。

「バカ王子めえぇーッ!」

そんな叫びを、木霊させて。



一人の魔法使いが、歩み出した。
まだ覚束ない足取りで転びそうになるが、真っ直ぐに先を見据えている。
一人の魔法使いが、振り返った。
引き返したい衝動を抑えて、また前を向いて歩き始める。
それぞれが思う、大切なものを守るために。



2015.02.10


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