魔法の言葉 一 | ナノ
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移ろい


あたたかい。とても優しくて、穏やかで、日だまりのようなぬくもり。
母に撫でられる安心感と似ているがどこか違う。
このぬくもりは、なんだろう。

目を開くと見慣れた天井があった。やけに体が軽く頭もすっきりしている。
窓から伸びる日差しに眠り過ぎたのかと慌てて飛び起きたリュートは、ベッド脇に腰掛けている人物に目を丸くした。

「ソプラノ?」
「……ん」

うつらうつら船を漕いでいたソプラノは、リュートの声にぼんやりと起き――カッと目を見開いた。

「おいっお前!」
「はっはい!?」
「気分はどうだ?体に異常は?どこか痛かったり、痺れたりはしないか?」
「えっ、えっ?全然そんなことないよ?すごく元気!」
「……そうか」

必死なソプラノに面食らう。

「ボクが寝ている間に何があったの?」
「……」

ソプラノは気まずそうに黙った。
そうだ――すっかり忘れていた。喧嘩していたんだ。
思い出した途端に胸に嫌な感覚が込み上げてくる。彼女がこうも心配して部屋にまで来てくれるなんて、本当なら諸手をあげて喜ぶほど嬉しいことなのに。

「腕を怪我したことは覚えているか?」
「うん……?あれ?」

ここにあったはずだと袖を捲ると、あったはずの切り傷が跡形もなく消えていた。
スフォルツェンドの医療技術でもこうも早くは治療できないはずだ。
不思議に思っていると、ソプラノが重々しい口調で説明を始めた。
消えた怪我が原因で眠りから目覚められなくなっていたと、本来なら悪化するはずのない呪いであったと、大神官の一大事に高官達が騒然としていたのだと。
知らない間に迷惑をかけてしまったのかと申し訳なくなる。後で挨拶に行かなくては。
しかし――とリュートはソプラノを見つめる。それだけで彼女がこうも大人しいなんて妙だ。

「今回の問題は私に責任がある」
「へ」
「お前の立場を理解していながら心ない言葉をかけ、体に変調を来すほどの態度を取った」

堅苦しい言い方に思わず笑ってしまうと、何がおかしいのだとソプラノが睨んだ。

「だって喧嘩だよ? 確かにショックだったけど、避けてたのはボクの方だし、酷いことを言ったのはボクもだからさ。ソプラノだけが悪いなんてことはないよ。それと気になってたんだけどさ……ボクの怪我を治してくれたのって、ソプラノだよね?」

母であるホルンがいなかったとあれば可能性があるのはソプラノだけだ。
もちろんそんな小さく僅かな確率を計算したのではない。リュートを確信させたのは戸惑うソプラノの手を取って感じたぬくもりだった。優しい熱が伝わってきて、自然と心が落ち着いていく。

「ボクのために頑張ってくれたんだよね。ありがとう」

自分の為に負ったのだろう裂けた皮膚が痛々しいが、今はその傷さえも愛おしかった。

「た、大した怪我じゃない。離せ」
「じゃあぎゅってしていい?」
「なぜそうなる!断る!」
「しょうがないなー」

わざとらしく言って手を握る力を緩めると、ソプラノもわざとらしく手を振り払った。
そもそもそんなに力を込めていないので振り払おうと思えば出来たはずだ。

「でも、そっか、ソプラノが魔法を……。回復魔法ってすごく難しいらしいよ……ってどうしたの?」
「……正直なところ、よく覚えていないんだ。とにかく必死で、気付いたら治っていた。国王様が言って下さらなければ、私は私が魔法を使っただなんて思いもしなかった」
「……自信がないんだね」
「どうして私が自信を持てると思うんだ」

忌々しげに吐き捨てる気持ちは分からなくもない。他の人間がごく普通に使えるものを使えなかった、ましてや王家なら秀でているくらいが当然とされるそれを突然手に入れたのだと言われても実感はないだろう。記憶が飛ぶほどに緊張していたなら、尚更。

「大丈夫だよ。ボクは確かに感じたんだ、これはソプラノがかけてくれた魔法だってね。それに父さんが言ったなら間違いないよ。ソプラノが魔法を使えない原因を色々調べてたみたいだからね」
「初耳だ……」
「うん、言ってなかったから」

忙しいホルンの代わりにソプラノの父ヘッケルと共にあれこれ相談していたのをリュートは何度も見ていた。王家の女性のみが使える回復魔法こそないが、前線で戦う将軍として深く魔法に通ずる二人なら手がかりを掴む可能性があったのだ。ヘッケルの死後も調査は続けられていたが、その頃には誰もソプラノに期待することはなくなっていたので父もやりづらくなっていたのかもしれない。
ソプラノは少し表情を緩ませたが、すぐにまた眉根を寄せた。
まだ不安があるのだろうかと思っていると、ぼそりと、バツが悪そうに「怒らないのか」と言った。

「なんでボクが怒るのさ?」
「私はこれから魔法を磨いていく。ゆくゆくは戦地に赴き、魔族と戦うだろう」
「……そうだね」

戦わなくていいと怒鳴り、戦うと怒鳴られた。
あれほどの口論をしたのに平然としているので不思議らしい。
昨日までの自分なら怒っていたかもしれない。後先考えず酷く怒鳴り散らして、喧嘩を深刻化させていたかもしれない。
けれど今は違う。夢の中で触れ、さっきこの手で触れたぬくもりに、考えは改まった。

「でも、ソプラノがいなかったらボクはもっと辛い目に遭っていたんだろう?なのに助けてくれたソプラノに怒るなんてできないよ。ソプラノの魔法、あたたかくて優しくて、すっごく楽になったんだ。きっといい魔法使いになれるよ……ボクが保証する」
「……」
「わがまま言ってごめん。必要ないなんて言ってごめん。ソプラノがいてくれてよかった。もう戦うななんて言わない」

割り切るだけの余裕も、押し切るだけの強引さも、持っていなかった。なくてよかったと今は思う。割り切っていても押し切っていても、今より良い状態にはきっとなっていなかった。

「ずっと頑張っていたんだね。おめでとう」

彼女が求めていた力を手に入れたことが、自分のことのように嬉しかった。
ソプラノは黙って俯いてしまった。肩が微かに震えている。
もしやとは慌ててふざけた風に付け足す。

「あっでもボクがもっと強くなるから、ソプラノが戦う必要はなくなるかもね?」
「何だと……いいか!すぐ追いついてやる!いや、追い抜いてやる!」

聞き捨てならないとソプラノが顔を上げた。思った通り目を潤ませていたが、指摘すると後が怖いのでしないでおいた。

「ははは、どうかなー。案外回復魔法以外は全然ダメだったりして」
「知識はある、後は経験なんだ。経験さえ積めば私にだってできる!」
「うんうんはいはい、そうだね、ソプラノはすごいねー!」
「馬鹿にしているだろう……」

すっかりいつもの調子に戻っていた。
口喧嘩といえばそうだが、先日のそれとは違って険悪さはない。むしろ心地良かった。
はたとソプラノが黙る。勢いをなくして、口を開いて閉じ……また、開いた。

「あの……な」
「うん」

何か迷っている。直感して、からかうのをやめて続きを待った。
絞り出すように告げられた言葉は、やはり可愛げがなかった。

「嘘を吐いた……大嫌い、ではない……」

けれど、可愛いらしい。恐らくこれが彼女の精一杯であり、前進だ。
再び口調を軽くし、わざとらしく尋ねる。

「じゃあ好きってこと?」
「なんでそうなる!好きでも嫌いでもない、普通だ、普通」
「ふーん……」

予想通りとはいえ刺のある態度。これは、少し面白くない。
それでも後ろめたさがあるのか、俯きがちなソプラノに、リュートは閃いた。

「ソプラノ、顔を上げて」
「なんだ……?」

言われるがままにこちらを向いたソプラノに、しめたとばかりに頬に手を添えると、ちゅっと軽い音を立てて口付けた。

「えへへ、仲直りの印」

ソプラノは目を白黒させていたが、次第にゆっくりと理解し……蒸気でも出しそうな勢いで顔を真っ赤に染めた。

「…………こ、の……バカ王子ぃ――っ!」



数分後、念の為にと検査を遣わされた医師は首を傾げた。

「はて、リュート王子が怪我をされたのは腕とお聞きしていたのですが……」
「あっこれは違うよ。あはは……」

リュートの頬には紅葉のような赤い手形があった。



2014.12.31
 

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