魔法の言葉 一 | ナノ
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リュートの肉体は、常人のそれよりも遥かに強靭だ。
それは訓練や実戦での積み重ねだけでなく、法力での強化によっても齎されている。

しかしどれだけ屈強であろうと、精神は十代半ばの少年のもの。
大神官としての使命に生き、立派な功績をあげていようとも、一人の少年なのだ。
精神的な疲弊が祟り、普段なら軽く弾いてしまうような小さな呪いに負けてしまったのだろう。

呪術師達の見解は、概ねソプラノの予想通りであった。
後は聞かなくても分かる。精神的な疲弊――つまり自分との喧嘩が原因だと、彼らは言っているのだ。

リュートの腕には切り傷があった。この傷から体内に呪いが侵蝕したのだとチェンバレンは言う。

「さっきも言ったが、今は強力な呪いに変化している……やはりホルンを待つしかないか」

珍しくあれこれと動き回り、チェンバレンは額に汗をかいていた。

「国王様」
「ああ、ありがとう」

チェンバレンにハンカチを手渡しながら、ソプラノは眠り続けるリュートを見る。

「呪いと仰いましたね」
「そうだが?」
「リュートにかけられた呪いを、他者に移すことは可能ですか」

ソプラノの言葉に、チェンバレンは顔を強張らせた。リュートから自分へと向けられた視線には一切の迷いがなく、決意が熱く燃えているようだ。

「一体何を考えているんだい?」
「先に、可能か不可能かのお答えをいただけますか」
「……不可能ではないだろう。しかし移された者がどうなるか……リュートでさえ苦しんでいるんだよ」

ソプラノが何をしようとしているかはすぐに分かった。チェンバレンは遠回りに制するが、決意を固めた彼女には通じない。

「リュートが回復するまでに魔族達に勘付かれでもしたら事です。陛下が戻られるまでまだ時間がかかるのでしょう?」
「あ、ああ」
「万が一がないとも言えません。魔族の急襲に備えて兵を配置につかせておきましょう。こいつの呪いは、私が引き受けます」
「でしたら私が!」

言い切るソプラノに、呪術師の一人が前に出た。

「お前は確か呪術の他に召喚魔法が得意だったな?」
「はっ……?はい、そうですが……」
「有用な戦力だ。潰すわけにはいかない」

それ以上話すことはないとばかりにソプラノは背を向けた。
戸惑う呪術師を引かせて、チェンバレンは屹然とした少女に言う。

「ソプラノ……もしリュートと喧嘩をした負い目から呪いを受けようとしているのなら、やめなさい」
「いいえ、違います。あくまでも戦力の保持の為です。リュートの状態をこれ以上広めるわけにも長引かせるわけにもいきません。適切な解呪法がない今、呪いを移すことが最善の策でしょう。現状を知る者の中で、呪いを受けるに最も適した人間が私であると判断したまでです」

これにもソプラノはすっぱりと答えた。

「君は魔法使いではない……いくら鍛えていようとも、魔法への耐性がないんだ。それは分かっているかい?」
「はい」
「それでも君が適任だと言うんだね?」
「はい」
「……そうかい。ならば止めはしない。ホルンが君に任せて行ったんだ。決定権は君にある。ただし私も立ち会うし、呪いの移行が君の命を脅かす程の危険だと判断した場合は止める。いいね?」
「はい」

念を押すように何度も尋ねるチェンバレンに、ソプラノも何度も頷いた。
呪術師達を追い出し、二人はリュートの顔を覗き込んだ。呻きながら眠るリュートの顔色はますます悪くなったようだった。

「では」

袖をめくられ剥き出しになった腕に手を伸ばす。
他の干渉を拒むかのように光は禍々しさを強めており、ソプラノが触れる前に爆ぜた。

「ッ!」

指先に痺れが走る。ソプラノはもう片方の手で手首を掴み怯まぬようにぐっと抑え込んだ。
普段の生活では感じることのない"魔"の力に恐怖し、全身で嫌な汗をかいている。
指先の感覚がなくなるほどの痺れを味わいながらやっとの思いで傷口に触れると、光がうねうねと動きながらソプラノの手に絡み付き始めた。

「ソプラノ」
「まだです。まだ何も出来ていません」

既に息が苦しかった。指だけでなく腕の感覚もなくなりそうだった。
しかし確かな手応えを感じていた。リュートの顔色が、先程よりもほんの少しだが良くなっていたからだ。
ほんの少しでこれなら、全部受け切った時には本当に命がどうにかなってしまうかもしれない。その前にチェンバレンが止めるだろうから、出来うるだけの呪いを受けなければ。
体はどんどん重くなっていくのに心は妙に晴れやかだった。感じたことのない疲労に陶酔状態に陥ったからか、体が重くなるほどにリュートの顔色が良くなるからか。

(放っておけばいい)

憎まれ口は声にならなかった。胸中でソプラノは吐き捨てる。

(私のことなんか放っておけばいいのに、私は守られたくなんかないのに)

もう足元の感覚もなくなって、ひたすら傷口に手を添えていた。

(私のことなんかいっそ嫌いになって、交流国の王女とでも結婚すれば幸せになれるのに……お前は、バカだ)

突き放すような言葉は、もし口から飛び出ていても先日のようにリュートを傷付けることはなかっただろう。
チェンバレンも驚くほど、ソプラノは穏やかな笑みを浮かべていた。

(呪いだろうとなんだろうと、お前の傷は私が治す。私もバカだから、ちょうどいいだろう)

視界が端から白んでいく。周囲の音や景色が遠ざかっていくのを感じながら、ソプラノはリュートの傷に触れる自分の手が輝くのを見た。
なんとなく、どこかで母が励ましてくれているような、そんな気がした。



「――ソプラノ!」
「!」

肩を強く揺すぶられ、ソプラノは我に返った。

「え、っと」
「大丈夫かい?」
「はい……」

まだ少し呆けてはいるものの、ソプラノが頷くとチェンバレンは安心したように息を吐いた。
両の足はしっかり床に着いている。体はやけに疲れていたが、手の痺れと不愉快でしかない重圧が消えている。
そこでソプラノはあることに気付く。
ずっと触れ続けていたリュートの傷が、跡形もなくなっていた。
リュートは規則的に胸を膨らませ、安らかに眠っている。

「国王様、呪いは、リュートは?」
「ああ……呪いは消えた。傷も治ったよ」

一体どうして、と戸惑うソプラノにチェンバレンは更なる驚きを告げた。

「君が治したんだよ、ソプラノ」

チェンバレンは誇らしげな眼差しをしていた。

「リュートは順調に回復している。もう心配ないだろう」
「あの、国王様、私が治したとは」
「そうだよ。君がその手で治したんだ。回復魔法を使ってね」

チェンバレンの態度が全て物語っていたが、ソプラノにはにわかに信じられなかった。
"魔法"だと言葉にされても、やはり、自分がそうしたのだという実感はない。
意識が飛んでいたことも理由の一つであるが、それはソプラノにとって求めて止まなかった、けれど生まれて十数年触れることすら叶わない力だったからだ。

「おめでとう、ソプラノ」
「あ、ありがとう、ございます」

微笑むチェンバレンに、ソプラノはどんな顔をすれば良いのか分からなかった。
訝しげにリュートの腕と自分の手を交互に見ていると、不意にドアが開いた。

「その様子だと、私の力は必要なかったようですね」

ホルンはパーカスに杖を渡すと、静かにリュートの傍まで歩み寄った。

「……良かった」

いつもと変わらない振る舞いではあったがその胸中は不安に埋め尽くされていたらしい。
リュートの寝顔に心底安心したのか、ホルンは口元を緩ませた。

「ソプラノ、ありがとう。それと……おめでとう」
「あ、ありがとうございます。でも陛下、私は、その……」
「フフ、そうなるのも無理はないわね。今後についてはまた話すとして……疲れているところを悪いのだけど、もう少しだけここにいてくれるかしら?」

言い返そうとして、ソプラノは言葉を詰まらせた。
いつの間にやらリュートが白衣の袖を掴んでいたのだ。眠っているというのにしっかり掴んでいるらしく、軽く引っ張ったくらいでは取れそうにもない。

「……分かりました」
「お願いしますね」

どこか含みのある笑みを浮かべながら、ホルンはパーカスとチェンバレンを連れて部屋を後にした。
ソプラノはしばらく恨めしそうにドアを睨んでいたが、やがてリュートに視線を戻した。

(本当に寝ているんだろうな……)

試しに頬を突付いてみるが、何の反応もない。
幸せそうな寝顔が小憎らしくなり今度は頬をつまむが、少し眉を寄せただけでやはり起きる気配はない。
ソプラノは諦めると傍にあった椅子に腰掛けた。
魔法による疲れからか体が少し重い。けれどリュートの寝顔を見ていると、不思議と悪い気はしなかった。

(早く、起きろ)

彼が目を覚ましたら、なんと言ってやろうか。



2014.12.06
 

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