魔法の言葉 一 | ナノ
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目覚め


これより遥か昔、人々は魔族の支配下にあった。
魔族の侵略は現在と比にならないほどに過激で強烈であり、人々の抵抗は意味をなさなかった。

大魔王ケストラー。魔族の頂点にして、最強の実力者。彼の気分次第で、どれだけ抗おうとも最後には無残な死があるのみだ。
しかしやがて一人の勇者の手によって、世界に平和がもたらされる。
勇者は希望の箱に魔王を封じ、人の手の届かぬところにそれを保管した。

世界の安寧は約束され、魔王は二度と世に出られなくなった――はずであった。
長い年月を経て箱は綻び、魔族は再び姿を現し始めた。
魔王の復活こそなかったので、人々は剣を取り、魔族に立ち向かうことが出来た。
人と魔の戦いの日々が、始まったのだ。

――それはお伽噺のようであり、現在と繋がる確かな過去。妹と一緒に祖父の話を聞き、母となったホルンは、祖父に聞かされたようにリュートに語った。
魔族が現れる原因は分かっていたが、箱を見つけ出さない限りはどうしようもなかった。突き詰めて言えば、箱の状態を見ない限りは「綻びた」というのも推測でしかなかった。
一刻も早く箱を見つけ出し、新たな対策を施さねばならない。湧き続ける魔族と戦っているだけでは、終わりは来ないのだ。
幸い魔族の数は多くはない。今の状態を保ちながら箱を見つけ出せられればいい。

(甘かった、というのですか)

王室で、ホルンは厳しい表情を浮かべていた。傍らに立つパーカスも、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
窓から見える空には暗雲が浮かび、雷鳴が轟いている。
大魔王の復活。世界のどこかで、"箱"が開かれた。
魔族は勢いをつけ、猛烈に侵略を進めている。今もどこかで人が死んでいるだろう。
人類の守護国として、更に被害が増える前になんとかしなければいけない。
しかし箱の場所を特定しようにも国の防衛と他国の救助で手一杯で、困難を極めた。

「やはりここは、王子にお任せするしか……」
「いけません!」

パーカスの進言を即座に拒んだホルンは、自分の声に驚いた。酷く震えていた。女王としてあるまじき姿だと嫌悪感がこみ上げる。

「リュートに単独で捜索させるには危険過ぎます!今あの子に何かあったら、この国は……!」

違う。国ではない。自分がどうなってしまうことか、不安でたまらない。
抑えられない焦りを落ち着かせようと、ホルンは胸に手を当てた。

「リュートは確かに素晴らしい力を持っています……けれど、大神官としては浅い……」

国境で戦っている息子は、命令すれば笑顔で箱探しに赴くだろう。
しかしそれは、単身で大魔王の元に行かせるということだ。

「あの子は、あの子はまだ十歳過ぎの、まだまだ小さな子供で……!」

リュートが大神官になってから、公私のけじめは厳しくしていた。
リュートは甘いところがあるが、自身は割り切っていると思っていた。
それが張りぼてであったのだと痛感しながら、やはりホルンはリュートを送る決意を出来なかった。
早急に、決断を下さねば。

「箱探しは――」

強く引き結んでいた唇を静かに開いたのと同時に、重い圧迫感が、消えた。
息を呑んでホルンは窓辺に駆け寄った。
空が、明るい。
魔力を孕み広がっていた暗雲は消え、陽の光が室内に差し込んでいた。



数時間後、ホルンは一人の老人と対面していた。丸眼鏡の老翁がパイプを吹かしながら渡したものは、ホルン達が探し続けていたものであり、頭を悩ませていたものであった。

「箱と鍵じゃ」
「こ、これを一体どこで……!?」

目を丸くするホルンの前で、老人オリンはパイプを仕舞う。ホルンと旧知の間柄である"元勇者"は、滅多に見せない深刻な眼差しを、箱と鍵に向けていた。

「娘がの」

そうしてオリンが語り出したのは、パンドラという女に起きた出来事であった。
伝えられていた歴史の通り、やはり箱は綻びていた――大魔王が、体の一部を開放できるほどに。
大魔王は箱を開ける力を持つパンドラに近付き、魅了し、近しい仲となった。良き夫を演じて子供をもうけ、頃合いを見て、芝居を打った。
部下である魔族達の攻撃をわざと受け、錯乱するパンドラに箱を開かせたのだ。大魔王の復活であった。
絶望の状況であったが、パンドラに心を許した一人の魔族の機転によって、ケストラーは再び封印された。
己のためでなく、人間のために戦った魔族。それだけを聞けば、ホルンは笑みを浮かべていただろう。
けれどその顛末は、到底笑っていられるものではなかった。ケストラーは封印されたが、箱を開いた時に解放された魔族達はそのままだと言う。

「騙されてやったとは言え、箱を開けた罪は重い……あやつは取り返しのつかんことをした。許してやってくれとは言わんが、パンドラは既に十分過ぎるほどの報いを受けておる。これからの人生も悲惨なものとなるだろう……それは分かってくれんか」

そう言い残して、オリンは城を去った。
世界会議の末、箱と鍵はスフォルツェンドとスラーに分けて保管されることとなった。
最重要事項として両国の王族が魔族の手から守っていくのだ。手元に箱がある安心はあるが、強襲の恐れがある。
魔王の奪還だけは、何としても阻止しなければいけない。

全てを聞かされたリュートが浮かべた表情は、やはり笑顔であった。

「大丈夫だよ、ボクが何とかするから!魔族なんて全部倒して、ボクがみんなに平和をあげるよ!」

なんとも心強く、頼もしく――そして、悲しい。十字架を手に勇むリュートに、ホルンは目を伏せた。頼るしかない事実が、母として何よりも歯痒い。
そしてそれは、彼女にとってもそうであった。

(だから、お前は好きじゃないんだ)

同席していたソプラノは、声にせず、胸の奥で吐いた。

 →→

スフォルツェンドに流れる噂が、また一つ。

「リュート王子とソプラノ様が大ゲンカをしたそうな」
「いつもの痴話喧嘩じゃないのかね?」
「いやあ、どうも違うようだ」
「あのお二人、うまくいっていたんじゃないのか?」
「わしも知らんがね、一体どうなさったのか……」

それでも時間は、変わることなく過ぎていく。
兵士や女官の噂を受け流しながら、ソプラノは執務室へと向かっていた。
自身の薬の効果もあり早々に復帰したソプラノは、訓練の量を減らしつつも以前とほとんど変わらない日々を過ごしていた。
会議に書類制作、倉庫の点検、魔法薬の調合、たまに飛び込んでくる雑務を片付けていく。
ただひとつの変化、それはリュートが部屋に来なくなったということ。
がむしゃらに魔族を倒しているのだと、ホルンが心配していた。
食事も時間をずらしているのか殆ど会わないし、会っても話はおろか目すら合わさない。

(……当然か)

大嫌いなどと言われれば、いくら元気過ぎるのが取り柄のリュートでも堪えるだろう。
しかしソプラノも引き下がれない。
兵士になる。力をつける。大切な目標だ。改めることは、絶対にできなかった。

〈ソプラノ〉

水晶が光ったかと思うと、困り顔のホルンが映し出された。

「陛下……申し訳ありませんが、あいつの話でしたら――」
〈そうしたいところですが、違います。少しの間、外に出ます。その間のことを、あなたにお願いしたいのですよ〉
「……失礼いたしました。了解です」

ソプラノは一礼すると、書類をファイルに入れた。

〈用件が済み次第戻ります。デスクにいて下さるだけでいいですから〉
「承知しております。席で書類を片付けてもよろしいですか?」
〈ええ、あなたはあなたの仕事をしてください。では、任せましたよ〉

そうして、ホルンは通信を切った。
なんともお手軽な代理である。もっと適した人物はいるのだろうが、血の問題か、ホルンが城を空ける時はソプラノが代理になることが多かった。

「国王様」
「やあソプラノ」

ホルンの部屋にいたのは、チェンバレン15世だった。

「陛下とご一緒ではなかったのですか?」
「邪魔だって言われちゃったのん……」
「そ、そうですか」

護衛はパーカスが任されたのだとどんより落ち込むチェンバレンを慰めて、ソプラノは腰を下ろした。
ホルンが帰って来る前に終わらせられるだろう。時間が余れば、チェンバレンに魔法のノウハウを聞くのもいい。なんせよく忘れられるが素晴らしい法力使いなのだ……部屋の隅でうじうじされるのは面倒だが。
ソプラノはファイルを開いた。



2014.10.02
 

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