魔法の言葉 一 | ナノ
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数日後。いつもの訓練メニュー、朝食、会議と済ませたソプラノだったが、その足取りは重かった。
訓練後からどっと疲労が押し寄せて来て、ホルンやリュートに気取られないよう素早く朝食を摂り、なんとか会議も終えたのだが、一向に良くなる気配はなかった。
足が鉛でも付けているかのように重く、全身はだるく、視界が時折歪む。

「ソプラノ様、顔が赤いですよ。お熱でもあるのでは……」
「気にするな」

一日はまだ始まったばかりだ。これから今日の分の魔法薬を調合して、山のような書類を片付けて、点検にも行かねばならない。力がない者にはそうするしかなく、そしてそれが自分の義務なのだ。

「執務室にいる。何かあればベルを鳴らしてくれ」

執務室の前まで来て、ドアノブに手をかける。チェアに座れば少しマシになるだろうか。
しかしドアを開きかけた所で、ソプラノの意識は途切れた。

「ソプラノ様?」

どさりという音に部下が振り返る。力なく倒れる上司の姿に慌てて駆け寄るが、荒く息をしており呼びかけに応じない。

「ソプラノ様、しっかりして下さい!おい、医者を呼べ!ソプラノ様が倒れた!」

騒がしくなった廊下の元、ソプラノは早急に医務室へと運び込まれた。



見回りを終えたリュートは、城に戻ると真っ直ぐにホルンの元に走った。

「母さんっ、見回り終わりました!今日は平和で、異常なしでっす!」

勢い良く扉を開け、叫ぶ。
唐突な登場に呆然とするホルンに、リュートはご機嫌で背を見せる。

「こらっ、そんな報告があるものですか!」
「また後でね、母さん!ちょっとだけソプラノに会ってくるよ!ちょっとだけ!」
「待ちなさいリュート!ソプラノは今……」

ホルンが止める間もなく、リュートはソプラノの執務室へと向かった。
(半ば無理やりとは言え)ソプラノから「話す」と約束したのだ。リュートは楽しみでいっぱいで、ホルンがパーカス達と話をしていたことに気付かなかったのだ。

「ソプラノー!ちょっとだけ話しに来たよ、ちょっとだけ!」

ちょっとだけ、と強調しつつ、リュートは執務室の魔法錠をいつものように一瞬で解くと、勢い良く扉を開いた。

「……あれ?」

しかし想い人はいなかった。

「ソプラノ……?」

いつも座っているチェアにも、たまに休んでいるソファにもいない。

「はは、もしかして隠れてるの?」

リュートが隠してもらった机の下にも、いない。机には、ペンすら用意されていなかった。
何か、おかしい。ドキドキと胸が嫌な高鳴りを覚える。
リュートが立ち尽くしていると、扉の前を兵士が通りかかった。

「王子、ソプラノ様をお探しですか?」

素早くリュートは兵士に詰め寄る。

「ソプラノ、どこに行ったんだい!?緊急の会議か何か!?それか出張にでも――ならボクが迎えに――!」

感じた不安を拭い去ってほしい。縋るように腕を掴むと、兵士も困惑した。

「落ち着いて下さい!ソプラノ様なら医務室です!」
「医務室!?」
「ええ、なんでも会議の後に倒れられたとか。朝から熱はあったそうですが、無理をされて酷くなったそうです。医師の話では過労ではないかとのことで……」

リュートはいてもたってもいられなくなった。
朝から体調が悪かったのなら、朝食の時ももちろんそうだったのだ。さっさと済ませてしまったのは仕事を早く片付けたいからだと、少しでも自分と話す時間を作ってくれようとしているのだと、都合良く捉えていた。
全くの勘違いだったことが悲しく悔しく、自分への怒りすら湧いてくる。

「医務室だね、ありがとう!」

歯軋りを堪えて笑顔を作ると、リュートは兵士に礼を言って走り出した。

「王子……うーむ、お熱いなあ。こりゃ王女様の前にリュート王子とソプラノ様の子が拝めるかもしれんな」
「ソプラノ様に聞かれたら殺されかねんぞ」

殺されるのは嫌だが、殺せるくらいに元気を取り戻してほしいと兵士達は思っていた。
廊下を慌ただしい足音が駆け抜ける。
医務室に着いたリュートが見つけたのは、静かに眠るソプラノだった。

「いやあ、今落ち着いたところでしてな。申し訳ありませんがリュート王子、ソプラノ様とお話がしたいのであればまた改めて下さいな」
「うん、顔を見たら、すぐ帰るよ」

医師は落ち着いたというが、ベッドに横たわるソプラノの顔色はまだ優れない。

「ソプラノ……」

汗で額に張り付いた髪をよけてやると、ソプラノは小さく呻いた。
どれほど無理をしていたのだろうか。日々前線で戦うリュートに、事務職の経験はない。書類作りも魔法薬の調合も、戦いとはまた違って大変なのだろう。自分には分からない世界で、ソプラノは頑張っている……少し寂しくもあるが、ソプラノが頑張れる場所があるのは誇らしくもある。

「……ゆっくりおやすみ」

リュートはソプラノの額にキスをすると、音を立てないようにカーテンを閉じた。

「ありがとう。帰るよ」
「は、もうよろしいですのかな?」
「うん、また明日来るから。ソプラノをよろしくね」

顔を見るだけとは言ったが、それにしてはどうもあっさりしている。不思議に思った医師だったが、リュートの表情に納得した。心配で心配でたまらないから、早く良くなってほしいのだ。
医師に一礼すると、リュートは静かに医務室を後にした。明日はソプラノの好きなお菓子でも持ってこよう、そう思って。



習慣は恐ろしい。体調を崩したとはいえ、朝のいつもの時間になるとソプラノはすっかり目を覚ましてしまっていた。こっそり医務室を抜けようとしたが、医師に見つかり当然ストップがかけられた。なんとか読書の許可をもらい、今は読書に耽っている。
最近やっと読めるようになった古代魔法の本。魔法は使えないが、いつ使えるようになってもいいようにと目を通しているのだ。読めるようになったと言ってもまだまだ文字を間違えることがあるし、読むのに精一杯で十分に理解できるようになるのは当分先だろう。
今度は知恵熱が出るかもしれないなんて思っていると、カーテンに二つの影が映った。

「ソプラノ、少しいいかしら?」

カーテンを開けると、ホルンとパーカスがいた。ホルンは手に林檎を持って、いつもの優しい笑顔を見せると、ベッドの脇の椅子に腰掛けた。

「ふふ、お見舞いよ。今剥くから少し待ってね」
「……ありがとうございます」

慣れた手つきで林檎を剥き始めたホルンに、ソプラノは本を閉じた。



ソプラノの起床を医師にこっそり教えてもらったリュートは、早朝の城内をできるだけ早く、響かないように静かに走っていた。

(ソプラノと話せる!)

嬉しさから、用意した菓子を持つ手に力がこもる。医務室の前で深呼吸すると、リュートはそっとドアに手を伸ばした

「……?」

誰かの話し声が、聞こえる。カーテン越しに聞こえるそれには覚えがあった。母と想い人のものだ。
盗み聞きするつもりはなかったが、リュートは無意識に息を潜めて耳をすましていた。

「やはり、知っておられましたか」
「ええ。ごめんなさいね、覗き見るような真似をして」
「いいえ……いつかはお話しようと思っていましたから。それに、陛下なら知っても今まで通り接して下さるだろうと思っていました」
「だからこういう時くらいは陛下じゃなくって……まあいいわ。そうね、私には止める理由がないもの」

リュートは嫌な予感を覚えていた。

「けれどねソプラノ、今回は見過ごせなかったわ。無茶をしすぎよ。ただでさえ仕事が多いのに、訓練量を増やしているのでしょう?」
「自己管理がなっていなかったことは反省しています。ですが、調整はしてもやめるつもりはありません」

リュートはうまく唾が飲み込めなかった。

(訓、練?)

背筋にぞわぞわと、冷たいような熱いような、気持ちの悪いものが込み上げていた。

「分かっているわ。あなたならそういうと思っていたもの。でも、もしあの子が知ったら……」
「知られても、私はやめません」

嬉しくない緊張が、リュートを襲う。

(あの子って……ボク?)

もっと詳しく聞きたい。飛び出して、いつもみたいに冗談混じりで抱きついて、それから聞き出せばいい。
そういくら頭で考えても、体は動いてくれなかった。聞きたいけど聞きたくない、聞いてはいけない何かがありそうで――話に夢中になっているうちに、リュートの手から力が抜けていた。
ガサリと音を立てて、菓子袋が地面に落ちる。

カーテンが開かれ、リュートとソプラノの視線が合う。
驚いたホルンが立ち上がる。カーテンを開いたパーカスは困り顔であった。

「リュート、あなた……!」
「あ……ごめんごめん! ソプラノが目を覚ましたっていうからお見舞いに来たんだけど、なんだか大事な話をしているみたいだから入りづらくって……」

ソプラノは取り乱すことなく、冷静にリュートを見ていた。

「聞いていたのか」
「うん……あ、聞くつもりはなかったんだけどねっ」
「そうか」

問うことも責めることもなく、簡潔に話を終わらせる気だった。
その態度が引っかかり、リュートは思わず口を開いていた。

「あのさ、訓練って何かな?よければ聞きたいなーなんて……勉強?資格でも取るのかい?」

薄々分かり始めていたけれど、リュートは分かりたくなかった。違っていてほしいと願っていた。期待して適当な言葉を並べた。

「私が戦う力を得るための、兵士としての訓練だ。基礎練を重ねて、たまにパーカスに組み手をしてもらっている」

違っていなかった。無理矢理に作った笑みが固まる。
パーカスは気まずそうに目を伏せていた。

(だから――だから、あの時も?)

近付けばかわされるのはいつものこと。囁けば吐き捨てられるのもいつものこと。
けれど最近は特に顕著であった。深く考えなかったが、あれもこれも、訓練のためにしていたのなら。
自分に知られないために、していたのなら。

(なん、で……なんでなんで!)

彼女の体の変化にこそは気付いたが、それがどうしてかなんて、考えなかった。
考えなかった自分を責めた。気付かなかった自分を、責めた。

「なんでそんな……!君は戦わなくっていいって言ってるじゃないか!」

焦りから、リュートは叫んでいた。
悲痛な叫びだった。しかしソプラノは首を横に振り、迷いなくそれを拒む。

「私は戦いたい」
「そんな必要ない!ソプラノはボクが守るんだ!だから訓練なんて、そんなもの必要ない!」
「必要かどうかは私が決める。お前が決めることじゃない」

ソプラノは挑むようにリュートを睨みながら、シーツを握り締めていた。強く握られた拳は、静かに震えていた。
リュートはどうしようもなさを埋めるように、更に声を上げた。

「必要ないよ!ソプラノには力も訓練も魔法も……必要なんかない!ボクが守るから必要なんてないんだ!」

守ると決めた。強く熱い思いが悲しみと混ざり、めちゃくちゃになっていた。
そしてそのめちゃくちゃを受けて、ソプラノはとうとう我慢ができなくなった。拳と同じく震えていた唇が、鋭い言葉を投げ付ける。

「黙れっ!」

溜め込んでいた怒りが、堰を切って流れ出す。

「黙れ……黙れ黙れっ!お前に何が分かるんだ!王家の血を引きながら魔法も使えない、ロクに戦う手段を持たない、私の、何が分かるんだ!」

リュートは絶句した。激昂するソプラノの目には、涙が浮かんでいた。

「当たり前に魔法が使えるお前に分かるわけがない!こんな、こんな……役立たずの、私のことなんか……!」

単純な怒りではなかった。声には、言葉には、嫉妬と劣等感が入り混じっていた。
いつも邪険に扱ってはいるが――人々がリュートを思うように――リュートに憧れていたのだ。

「いつもそうやってお前は――……うっ」

興奮のせいか目が眩んだ。ホルンが手を伸ばそうとするが、ソプラノは首を振って拒んだ。

「問題ありません、陛下。少し目眩がしただけですから」

額を押さえながら、ソプラノはリュートを睨みつける。

「お前は、私が何かするたびに、守る守るって……」

圧倒的な力。それが才能だけによるものではないことなど、ソプラノも知っている。
だからそれを越えようと、少しでも近付けるようにと、沢山の努力を重ねた。
役職を与えられた。部下を持った。倒れるくらいに忙しい日々を送った。
けれど、一番欲しいものだけは手に入らなかった。
それを持っている彼にそんなものは必要ないと、手に入れなくて良いと言われるのは、耐え切れなかった。

「お前なんか、お前なんか……」

どうしてそんなに沢山持っているのに、自分には持たせようともしない。どうして、奪おうとする。

「お前なんか――大っ嫌いだ!」

ソプラノの怒りを真正面から受けて、リュートは泣きそうになった。
なんとか歯を食い縛って耐えると、ホルンとパーカスの制止を振り切って医務室から逃げるように出て行った。
静まり返った医務室には、遠くに響くリュートの足音と、ソプラノの苦しげな息切れだけが聞こえていた。



2014.09.10
 

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