魔法の言葉 一 | ナノ
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あの日からリュートが変わったというのなら、原因は間違いなく自分だとコキュウは認めざるを得なかった。
もともとの人懐っこさの度を越えて、リュートはソプラノの傍にいる。タイミングを見計らっては抱きつこうとしていたし、他に人がいようが構わず好きだと告白するようになったが、まさか求婚までするとは思っていなかった。コキュウは調子に乗って焚き付けたことを反省した。しかしソプラノに事実を伝えるのは、更に不機嫌が増しそうで恐ろしい。

「まっまあそんなことより!」
「そんなこと?」
「あっいや言葉のあやです!そ、そろそろ中に戻りましょうよ!オレといれば大丈夫ですから!」
「……そうですね」

あからさまな誤魔化しであったが、そっと王室仕込みの作法で手を引くと、ソプラノは不満そうにしつつも従った。これがリュートだったなら手をはたいただろう。
広間へ戻ろうとしたコキュウは、はたと足を止めた。

「コキュウ王子……?」
「あ、いえ、なんでもありません」

ソプラノはコキュウの背で見えなかった。物珍しそうに二人を見ていた野次馬――無礼な言い方だが、無礼なのはあちらもそうだ――達が、慌てて散っていったのを。
素っ気ないソプラノがコキュウと普通に話していたのが、よほど珍しかったのだろう。

(ふん……何もおかしくなんてない)

驕りではなく当然の感覚として、コキュウは自分の立場を理解していた。友人同士が仲良く語らうのに、特別な理由なんていらないのだ。

「そうそう、リラも話したがってましたよ。オレが言うのもなんですが、あいつも結構モテ……」

言いかけ、コキュウは視界に入ったそれを見た。
ぐらぐらと揺れる、銅像。
不安定に揺れるそれはバランスを失い、こちらに真っ直ぐに倒れようとしていた。

「姫ッ!」
「ソプラノッ!」

二つの叫びが広間に響く。
反応する前にソプラノはコキュウに手を引かれ、守られるように腕の中に閉じ込められていた。

そして、眼前には、銅像に立ちはだかるリュートの背があった。

リュートは手のひらに魔法陣を浮かべ、銅像を受け止めていた。
光が銅像を囲み、ゆっくりと元の位置へと戻す。
安心したのも束の間、コキュウはソプラノの小さな体が震えていることに気付いた。

「ソプラノ様?どこかお怪我でも?」
「あ、いえ……何ともありません」

ソプラノははっとするとコキュウから離れた。
コキュウには何ともないようには見えなかったが、焦るリュートにそれ以上聞けなかった。

「本当?本当に大丈夫、ソプラノ?」
「だ、大丈夫だ」

二人に守られたおかげで、ソプラノは掠り傷一つ負っていなかった。
なぜあんなに重い像が――コキュウはしっかりと立つ銅像と強い視線に、理解した。先ほどの野次馬達が、バツが悪そうにこちらを窺っている。
彼らに違いない。慌てて離れた時に、ぶつかったのだ。

(詫び一つないとは)

無礼な輩だ。覗き見をするくらいだ、程度が知れると、コキュウは内心で吐き捨てた。
それに引きかえリュートと来たら、今までどこに捕まっていたのかは知らないが、一目散に飛んで来た。

「……あの」

大したものだとコキュウが感心していると、ソプラノがリュートを押し退けながら言った。

「コキュウ王子……私は、姫と呼ばれるのが嫌だと、以前お話しましたね」
「あ……!」

初めて二人で話した日から、コキュウはソプラノを姫ではなく様付けで呼んでいた。しかし緊急の事態に咄嗟に姫と呼んでしまったのだ。癖とはなかなか抜けないものである。
けれどソプラノの目は、先程の誤魔化すコキュウに向けられたような、責めるものではなかった。

「でも……コキュウ王子なら、構いません。お好きなようにお呼び下さい。ありがとうございました」

ふんわりと笑い、いつもの小さなお辞儀をして、ソプラノはリュートを引き摺ってどこかへ行ってしまった。

コキュウはしばし呆けていた。
また不意打ちだ。相変わらず、自分を驚かせるのがうまい。呆けるコキュウの腕を引っ張ったのは、ソプラノよりも幾分か小さな手だった。

「にーちゃん、もしかしてソプラノ姫ねらってんの?」
「なっ!?」

スラー五兄弟の末弟、ショウだ。
スラー共和国の躾はスフォルツェンド以上に厳しいものがあるが、やはりどこでも末っ子というのは甘やかされやすいらしく、ショウはなかなかに生意気だった。ゴーンやガイタなら絶対に言わないようなことを平気で口にする。

「特別扱いじゃん。すげーなーあのてっぺき姫を……」
「オレとソプラノ様はそういうのじゃない!いいか、ショウ……!」

男女の間に芽生えるのは恋情ばかりではないのだ、勘違いをされては困る。いつかしたリラへの恋愛論と重ねながら、コキュウはショウへお説教を始めた。



ずるずると引き摺られながらも、リュートはのほほんとしていた。

「ソプラノ、どうしたのー?どこへ行くのー?」

ソプラノは答えず、歩き続ける。

「あれ?医務室?」

着いたのは医務室だった。
ソプラノはリュートを椅子に座らせると、手を出した。

「ん」
「うん?」

リュートがつられて手を出すと、手のひらに切り傷ができていた。

「あ、あれ?おかしいなあ」

怪我をした覚えはなかったが、うっすらと血が滲むそれは、紛れも無い傷。銅像を止めた時に装飾で掠めてしまったのだろう。
隠していたわけではなく、単に気付かないくらいに小さな怪我だと分かり、ソプラノは密かに安心した。
消毒をして、薬を塗り、布をあてがう。テキパキと施されていく治療を、リュートは嬉しそうに受けていた。

「ありがとう、ソプラノ」

微笑むリュートとは対照的に、ソプラノは口を尖らせていた。
礼を言うべきなのはリュートではない。助けたのはリュートで、助けられたのは自分だ。
しかし、だからこそソプラノは言えなかった。

「……お前に借りを作りたくないだけだ」
「素直じゃないなあ」

トゲだらけのお礼にもならない言葉だったが、リュートはにっこり笑った。

 →→

いつだって、リュートはソプラノの傍にいた。守っていた。味方だと、にっこり笑っていた。ソプラノが医療班に就いた時は誰よりも喜んでいたし、何かあるとすぐに駆けつけて、心配していた。けれど――ソプラノが戦うことにだけは、絶対に賛成しなかった。

起床、パーカスとの早朝訓練。手短に朝食を済ませ、会議へ。

「ソプラノ、一緒に食べよう!えっもう食べちゃったの?」

部下に指示を仰ぎ、担当分の薬の調合。その後昼食。

「ソプラノー!今日のお昼は何に……いない」

書類制作、後に倉庫の点検。終わり次第軽食を取り読書や勉強に取り組み、深夜に訓練を終えた後、湯浴みを済ませて就寝――日によって多少の違いはあれ、近頃のソプラノの一日はこんなものであった。
なんとかホルンとの時間はとっているが――ソプラノはドアの向こうの気配に声をかけるか、知らないふりをするか、少し迷った。

「何をしているんだ。帰ったのなら、陛下への報告は済んだんだろうな」
「……うん」

かけない限りは去らないだろう。それでは気が散ると仕方なく話しかけてみれば、随分弱々しい声が帰って来た。いつもなら特注の魔法錠を勝手に解いて入ってくるというのに、妙に大人しい。

「入っても、いいかい?」
「いつも勝手に入って来るだろう」
「……いいかい?」
「……好きにしろ」

一瞬で魔法錠を解くと――新しく注文すべきかと悩む早さだ――リュートは静かに執務室に入って来た。声と同じく、表情も落ち込んでいる。

「……ソプラノ――ッ!」

かと思いきや。
溜め込んでいたものを発散するように、リュートはぐわっとソプラノに抱きつこうとした。
ごすっ
ソプラノが文鎮を投げるが勢いは止まらず、額にそれをめり込ませながらもリュートはソプラノの背に腕を回した。

「暑苦しい」
「ひどい!久しぶりにまともに話せるっていうのに……!」
「話すだけなら抱きつかなくていいだろう。忙しいんだ。お前もだろう」
「そうだけど……」

特別に距離を置いていたわけではなく、互いに、微妙に、時間が合わなかった。
リュートも大神官という忙しい身。必死に魔族の討伐や見回りを済ませて兵団の訓練を指示し、時間を合わせようとしていたが、それでも会えず……もどかしい思いで、こうしてやっと会いに来たのだ。

「ソプラノ……少し痩せた?」
「――!い、いい加減に離せ!」

このところ、訓練や組み手の成果が体にも表れ始めていた。これ以上勘繰られては困るとソプラノは距離を取ろうとするが、リュートには離れる気がなさそうだ。

「おいっ」
「おいじゃなくてリュート。ずっと会えてなかったんだ、もう少しこうさせて……ソプラノ、大好きだよ……結婚しよ?」
「し、な、い!いいから離れろっ!こ、これからは仕事中でも少しなら話をする!だから離れろ!」
「本当?」

苦し紛れの一言で、ようやくリュートは腕の力を緩めた。

「見回りの合間にでも来ればいいだろっ……そんなに時間は取れないが」
「良かったー!」
「だから離れろと……!」

何にしても今日は抱きしめられる日らしい。また強くなる力に、ソプラノは勢いで約束してしまったことを後悔するのだった。



2014.08.27
 

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