魔法の言葉 一 | ナノ
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トントントンと、広いキッチンの片隅から軽快な音が響く。
包丁を片手に、ソプラノはエプロン姿でまな板と向き合っていた。まな板上の食材は寸分の狂いもなく刻まれている。

「……よし」

いよいよ調理に取り掛かる。ソプラノは慎重な手つきで、材料を鍋に放り込んでいった。
キッチンにふんわりと匂いが漂い始めた。女官達はそわそわしつつも、影からソプラノの後ろ姿を微笑ましく見守っていた……いたのだが。

「うっ!」
「どうしたの!?」

ぱたり。
一人の女官が倒れ、

「ごほっ!」
「ぎえっ!」
「ちょっと、一体どうなっ……ぐはっ!」

ぱたりぱたり。匂いを嗅いだ女官達が次々と倒れていった。
急いで匂いの届かぬ場所へ避難した女官達がソプラノの方を見やる。少女が健気に料理をする風景から打って変わって、鍋から恐ろしく黒い煙が漂い少女がもがきながらなんとか耐えているという地獄絵図が広がっていた。
ソプラノは冷や汗を垂らして震えながらも鍋をかき回す手を止めない。

(こ、この程度で諦めてたまるものか!)

レシピ本をくれた女官の"アドバイス通り"にしているのだ。うまくいかないわけがない。
しかし、漂う匂いに挫けそうにもなる。魔法薬は作れるのにとヘコみつつ、ソプラノは次の行程にうつる。
うつりたかった。

「ぐはっ……!」

異臭に耐え切れず、とうとうソプラノは倒れた。
ガスマスクをつけた女官達が駆け寄る。

「ソプラノ様ー!しっかり!」
「ひぃー泡吹いて白目むいてらっしゃるー!」
「医師を呼びなさい!ちゃんとガスマスクをつけさせるのよ!」

臭いだけで人を倒せられる料理というのは、ある意味すごい。
しかし作った本人というのもあるだろうが、女官達に比べて長く耐えた方だし、ソプラノにも何らかの素質はあるんじゃないだろうか?と女官に扮したホルンはガスマスクの奥で思うのだった。

生まれてこれまで、ソプラノは片時も魔法を諦めたことはない。
悪く言えば頑固、良く言えば意志が強い。
というわけで、日を改めて、懲りずにソプラノはキッチンの片隅を陣取っていた。先日は気持ちより先に体が負けてしまったが、今日こそ勝つ。そして立派な料理を作る。と意気込んでいたのだが、

「なんでお前がいるんだ」

不機嫌さを声と顔で示しながら、ソプラノはエプロン姿のリュートを睨んだ。

「そりゃもちろん、ソプラノが料理しているところを見たかったからさ!」
「じゃあなんだそのエプロンは」
「ボクも何か作ってみようと思って」

正反対に機嫌よく、リュートはエプロンをなびかせてくるりと回った。女子のようだ。

「お前……料理できるのか?」
「フフ、ボクを誰だと思ってるんだい?」

疑わしい視線を向けるソプラノに、リュートは慣れた手つきで包丁をくるりと回す。曲芸師のようだ。

「魔法と料理は似たようなものでね。手順さえしっかり踏めばちゃんとできるのさ。大神官のボクに作れない料理はないよ!」

魔法、という言葉にソプラノはぴくりと反応する。

(ああ、そうだ)

リュートは、女子でも曲芸師でもなく大神官様なのだ。

「そうか。好きにしろ」
「ソプラノ?」
「私は私でやっているんだ。近寄るな」

ソプラノはリュートに背を向けて調理に取り掛かった。確かにリュートは料理も簡単にこなしそうだ。むしろ、苦手なものがあるのかすら疑わしい。きっと自分には到底作れない、素晴らしい料理を作るんだろうと、悔しくも虚しくもなる。この場合どちらかというと、人としてというよりは女性として。
リュートはしばらくソプラノの後ろでうろついていたが、やがて料理に取り掛かり始めた。
手つきは二人とも変わりなく、鮮やかなもの。違うのは表情だった。ソプラノは真剣に慎重、リュートは悠悠と気楽。

(それじゃあダメよソプラノ……)

と、見守る女官達にまたもや紛れながら、ホルンはそわそわとしていた。手にはいざという時の為のガスマスクがある。他の女官達もしっかり用意している。万全だ。
料理には思いやりが必要だ。そして、作り手は自分が食べるにしろ誰かに振る舞うにしろ、何らかの思いを抱きながら楽しんでやるべきだ。
リュートは手順さえ踏めばできるから似ていると言ったが、また違った意味でも魔法と料理は似ている。
魔法も、使うことで誰かに幸せを与える。
戦う者は守る人々への思いを、喜ばせる者は笑う誰かへの思いをそれぞれ抱いている。
思いやりというのはそうそう馬鹿にできない。思いこそ不可能さえ可能にする力を持つ、人間の一番の強さなのだから。
魔法と料理は似ていると聞いて、ソプラノはますます引けなくなったようだった。料理を完璧にこなして、自信を深めたいのだろう。

(それに、おそらく――)

ホルンはソプラノが料理をするもう一つの理由を薄々察していた。数週間前に起きた武器庫での事故。二人とも救出されたが全くの無事とは言えず、リュートは肩に怪我を負っていた。大した怪我ではなかったが、ソプラノがとても複雑な表情をしていたのは記憶に新しい。
ホルンがそれを胸中で言葉にしようとした時、隣にいた女官の一人がピクリと肩を揺らした。

「こ、この匂いは……」

"匂い"という単語に全員がさっとガスマスクを装着しようとするが、一人が待って、と止めた。
ほわーんと漂って来たのは、思わずお腹が鳴りそうな食欲をそそる良い香りだった。香りの元は、もちろんというかなんというか、リュートのところからだった。
器用にささっと料理を仕上げていくリュートの姿は、女官達を釘付けにした。魔族と戦う勇姿や子供たちに向ける笑顔とも違う、普段とは違った意外な姿。いわゆる、ギャップ。
ぽーっと女官達が見とれていると――不意に辺りを異臭が襲った。

「うっ!?」

この匂いはまさか、と一斉にソプラノの方を見やれば、もちろんというかなんというか、ソプラノの鍋から魔の煙が立ち上っていた。まだガスマスクをつけるほどではないが、リュートの料理の良い香りを打ち消すほどには凶悪な匂いを発している。

「ソプラノ……さん?こ、これはちょぉっとまずいんじゃ……」
「気が散る。話しかけるな」

見兼ねたリュートの忠告に、ソプラノは全く取り合わない。
そうこうしている間にも異臭が部屋を侵食し始め、前回の地獄絵図一歩手前といったところまで来た
リュートは鍛えてあるだけあってピンピンとしていたが、女官達はそろそろ危うかった。ソプラノは頑として料理に取り組み、時折レシピを確認していた。
ホルンはやれやれと溜め息を吐くと、変装を解いた。

「え、え、あれ、ホルン様……?」
「私達に混じってソプラノ様を見守っているという噂は本当だったのね……」

驚く女官達の中から女王は二人へと進む。

「リュート、ソプラノ……全部見ていましたよ」
「母さん!」
「へっ陛下――あっ」

ホルンはにっこり笑うと、ソプラノが手にしていたレシピ本をひょいと取った。

「全く。……リュート、いけませんよ。こんな人前であなたに上手に作られたら、女の子としての立場がないでしょう?」

ホルンに言われてリュートはようやく気付いたようだった。ソプラノはバツが悪そうに目を背けている。ただソプラノの料理姿を見たかったのと、一緒に料理をしたかっただけなのだが、それが知らず知らずのうちに彼女を追い詰めていたとは。

「ソプラノもソプラノです。本当にうまくなりたいならもっと人の意見を聞き入れなさい。まあ……思いは十分にあったようですね」
「思い……?」

見透かされていると知り、ソプラノは顔を赤くした。
首を傾げるリュートに、ホルンはレシピのとあるページを広げた。付箋がしてあり、ところどころに赤ペンでチェックがされている。

「これは……スタミナ料理?」
「本当はリュートに元気をつけてもらおうと、作っていたのでしょう?」
「え……これを、ボクの、ために?」

事実ならたまらなく嬉しいが、態度があまりにも噛み合っていない。にわかには信じられなかった。

「そうなの?ソプラノ……」

恐る恐る尋ねるリュート。
ソプラノは黙っていたが、意を決したように口を開いた。

「確かに、この料理は栄養補助と疲労回復の為にお前に食べさせようと作っていたものだ」
「えっ」

リュートの目がきらりと輝く。
しかしソプラノが矢継ぎ早に期待を砕いた。

「だがこれは先日の借りを返すためのものであって、それ以上の意図は一切ない!」

怒気を込めて言うソプラノに、ホルンは呆れた。

(助けてくれたお礼でしょうに……)

自分がいても意固地なところは何一つ変わらない。一体どうすれば彼女は素直になるのか。

「えっと、あ、ありが……」
「礼を言われる筋合いもない!」

リュートの言葉を遮って、ソプラノはエプロンを脱ぎ捨てると入り口へずんずんと歩き出した。

「どこへ行くのですか?」
「……気分転換に、散歩です」

ホルンの問いに一瞬だけ足を止めるも、すぐにソプラノは出て行った。普段は冷静なのに、リュートが関わるとまるで瞬間湯沸かし器だ。
ひょっこりと、事を見守っていた女官達が出て来た。ガスマスクだけはしっかり着けている。

「リュート王子、気を落とさないで下さい。ソプラノ様、口ではああ言ってますけど……リュート王子の体を気遣ってらっしゃいますわ」
「昨日も怪我の治療をお受けになったのでしょう? 本当に何も思っていないのなら、普通はしませんよ」
「そうですわリュート王子。ソプラノ様は意地っ張りなだけです」

本人がいないのをいいことに言いたい放題である。

「うん。ありがとう、大丈夫だよ。ボクはああいうソプラノも大好きだから」

リュートはさらりと惚気ると、目線を鍋へと移した。
火は消してあるが、まだ煙は立ち込めている。中には地獄の餓鬼魂もビックリの黒くてドロリとした説明のしようがない何かがグツグツと煮えていた。

「でも……そっか、気にしてたんだ……」

愛しい彼女が自分のために作ったというなら尚更、放っておけるわけがない。
リュートは意を決しておたまを手に取ると、食材の面影がゼロの料理という概念自体をぶち壊している黒くてドロリとした何かを皿に盛った。べちゃりと音がした。

「お、王子!?」
「リュート、あなた……!」

まさかそれを食べると言うのか!
女官やホルンが止めに入るが、リュートはスプーンを掴み、それを掬った。

「いただきます」

そうして、一口。ゆっくりと噛み、味わった。

「………………うっ」
「リュートォ!」
「王子ぃぃ!」

突如襲われた目眩にふらつくが、リュートはなんとか踏み止まった。味覚と嗅覚を破壊され、意識をごっそり奪われそうで、"つらい"。食べ物につらいなんて感想を抱いたのは生まれて初めてだった。普通なら誰もそんな体験をしないままに人生を終えるだろう。
こっそりとソプラノの調理を見ていたが、リュートから見ても特に問題があるとは思えなかった。
なのになぜ、見た目も味もこんなにつらいものになるのだろうか。
つらい。つらいけれども……リュートはソプラノの姿を思い浮かべる。

「たっ……食べないわけにはいかないんだああぁ!」

邪魔だとばかりにスプーンを放り投げ、リュートは皿を持ち上げると飲むようにかき込んだ。
ホルン達が唖然とする前でリュートは皿を空にすると、すぐさま鍋も同じように持ち上げ、かき込んだ。鍋は量も多く、かなりの困難を伴った。

後に人々は語る――人類の守護神の最大の敵は、想い人の料理であったと――。

全て平らげ、どん、と鍋を置いたリュートは、ぜえはあと肩で息をしていた。我らが大神官様が、食事をしただけでこの疲労具合である。

「……リュート?」
「ハハ、そんなに深刻な顔をしなくても平気だよ!ホラ、ボクはこの通り……うっ」
「リュートォォ!」

またもやふらつくが、それもリュートは耐えた。視界がチカチカするし、冷や汗も吹き出てきた。後味もつらい。もうこれは才能なんじゃないか。魔族にこの料理の匂いを嗅がせれば相当戦力の低下を狙えそうであるし、料理を食べさせるなり体にかけるなりすれば相当のダメージが……もしかすると魔族が好む料理かもしれない。

(……いやいやいや。気の迷いとはいえ、ボクはなんて酷いことを……)

リュートはぶんぶんと首を振った。

「じゃ、じゃあボクもう行くね!あ、コレ、良かったらみんなで食べて!」

手早く片付けを済ませ、リュートは鍋をホルンに渡すと、止める間もなく台所を出て行った。
残されたホルン達はしばらく呆けていたが、我に返ると一斉に鍋の中を覗き込んだ。ソプラノでなくとも世の女性は悔しい思いをするのではないかという出来のスープだ。
率先してホルンがまず一口。

「……あら、おいしい」

見た目良し香り良し、肝心の味もばっちりであった。

「あなた達もいただきなさい」
「あ、はい!いただきます!」
「わ、おいしい……!」

女官達も大絶賛である。ここまで差があるとソプラノの料理も気になるが、幸か不幸かリュートが完食していたため、比べることは叶わなかった。
ソプラノが出て行って良かったのかもしれないと、ホルンは思った。きっとリュートはソプラノを探しに行ったのだろう。あの二人のことだから、またいつもの馬鹿をするのだろう。
不器用で、少しお馬鹿だけれど、微笑ましい二人のこと。心配はあるにはあるが、今はまだ大丈夫のようだ。

(しっかりね。リュート、ソプラノ)

今は、まだ。



ソプラノは中庭にいた。散歩というのは言い訳に過ぎなかった。キッチンに戻りたくなかったが自室に行く気にもなれず、ぼんやりと手入れの行き届いた花壇を眺めていた。
リュートは息を切らして――走ってきたというのもあるが、料理の影響が大きい――ソプラノを見つけると、その背中に向かって叫んだ。

「ソプラノッ!」

ソプラノは振り向きすらしなかった。

(……拗ねてる)

指摘すれば、どんな顔をするか分かっている。拗ねた顔も否定する顔も好きだけれど、今見たいのはそんな表情ではない。リュートはかけるべき言葉を直感していた。

「美味しかったよ」

ソプラノは驚いたようで、ほんの少しだけ振り向いた。

「…………あれを食べたのか?」

"あれ"の危険性は、作り手のソプラノがよく知っていた。一度意識を失って運ばれたくらいなのだ。少しはマシになった……はずだが、あれを口にするのはとてもじゃないが自分でも無理だと思っていた。

「うん!美味しかったよ!」

なのにリュートときたら、美味しかったと笑っている。美味しいわけがない。嘘に決まっている。機嫌を取ろうとしているだけだ。緩みかけた感情を、ソプラノは引き締めた。

「お前が勝手に食べたんだ」

そして放たれたのは、とても可愛げのない抗弁であった。

「お前が、勝手に食べたんだ!私は食べていいなんて言っていないし、頼んだ覚えもない!」

リュートはきょとんとしていたが、やはり笑った。

「うんごめんよ、食べちゃった」
「――っ」
「もう作らないの?」

ソプラノの強い感情をさらりと受け止めるように、優しくリュートは尋ねる。

「また勝手に食べていい?」
「…………」
「勝手にしようっと。フフフ、楽しみだなあ」

思いやりと同等か、それ以上の"自分がそうしたいという気持ち"から、例え気が狂いそうなほどつらい味だとしてもソプラノの手料理なら必ず食べるとリュートは決めたのだ。罵られようが殴られようが構わない。もし本当に自分に食べられたくないのなら、ソプラノの言う"借りを返すため"の手段に料理なんて選ばなかったはずだ。

ソプラノは絶句していた。文句をぶつけようにも浮かばなかった。魔法どころか料理すらできないと自己嫌悪に陥りかけていたのに、リュートへの苛立ちと混じって訳が分からなくなってしまっていた。悶々としながら、目を伏せる。
料理は一つだけではない。レシピはいっぱいある。近いうちに時間を作ってまた試してみよう。そして、今度こそ立派な料理を作りたい――大失敗もいいところだったというのに、知らず知らずのうちにソプラノは料理が好きになっていた。次は必ず成功させて見せると、熱い思いがメラメラと燃え上がる。
どうして好きになれたのか。ソプラノが理由を知る日は、遠くとも必ずやって来るだろう。



2014.07.28
 

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