男の子
いやに鼻に纏わり付く、人の焼ける匂い。兵のものか、夫のものか、自分のものか。
地面を背にして、フォニアムは淀む空を見上げていた。
(……ああ、やっちゃったなあ……)
己れの肉体にいくつも刺さった剣、槍。
痛みはもうない。平常時なら吐き気を催す異臭も、感じられない。感覚を置き去りにして、残った意識も飛ぼうとしている。
まともな死に方をしないとは、思っていた。
スフォルツェンドの第二王女として生まれた時から、跡継ぎに関与しないフォニアムは、王族でありながらホルンに比べて自由に育てられてきた。
万が一の為にある程度の作法は叩きこまれたが、ホルンが女王としての勉学に励んでいる間にも、ふらふらと国を出て旅をしていた。上官達は良い顔をしなかったが、フォニアムはそれが許される立場であった。
我侭の後に、ヘッケルと恋に落ち、結ばれ、娘が出来た。
(ソプラノ)
彼女を身篭った時には、王家の者であるのに魔法が使えない、奇異だの変異だのと随分騒がれたものだ。
好き勝手に生きたしわ寄せが娘にいったのではないかと囁かれてもいた。
(ソプラノ……)
死の迫りを実感する。もっと真面目に勉強して力をつけていたなら、こんな事態には陥らなかった。己の不甲斐なさ。神が惨い死を罰だと言うのなら、甘んじて受け入れる覚悟もある。
心残りは、愛しい娘。
自分がいなくなっても、ホルンが世話をしてくれるだろう。本当は頼れる義兄もいるし――リュートだっている。
けれど、心配せずにはいられない。
「……ッソプラノ……」
ああ、罰はこれか。
娘をもっと見守っていたかった……それが、叶わない。
「強、くっ……ね……」
掠れる息でそれだけ言い、フォニアムは事切れた。
囁き声が通り抜ける。
「おい、聞いたか?」
「ああ……フォニアム様とヘッケル様が……」
哀れむ視線を感じる。
「救援に向かった際にな……ご不運だったよ……」
「ひでぇ話だ。姫様一人残して……」
責める言葉が聞こえる。
「安心して逝けなかったでしょうね……何しろソプラノ姫は……」
「まだ初級魔法すら使えていないものね……どうしてかしら。スフォルツェンドの血は確かに流れているのに……」
一人の少女へと突き刺さる、年端もゆかぬ小さな体には耐え切れないほどの感情の渦。
少女に悲しむ暇を与えてくれない現実に、グラグラと視界が揺れて、どうでも良くなる。
「ソプラノ!ソプラノ……ッ!」
庭の茂みに寝転んでいたソプラノの前に、息を切らしたリュートが現れた。
「どうして……こんなところで……!」
ソプラノは隠れていたわけではなかった。ただ、そうしていたかったのだ。ぼんやりと空を眺めて、何をするでもなく、泣き叫ぶわけでもなく、そうしていたかった。なんとなく、母もこうしていたような気がした。
「聞いたよ……叔父さんと叔母さん……亡くなったって……」
リュートは涙をぼろぼろと零していた。
突如襲われたピアニッシモ王国への救助。甚大な被害にホルンが動こうとしたが、女王がそう国を離れるものではないと妹であるフォニアムが、そして護衛としてヘッケルが向かったのだった。
だが、魔族の狙いは最初からフォニアムにあった。
死の寸前まで行った者さえ救う回復魔法は、魔族からすれば脅威でしかない。高等な回復魔法を使える数少ない存在であるフォニアムを抹殺し、ホルンの負担を増やすことこそが目的だったのだ。単にホルンを狙うよりも、容易で効果が見込める作戦だったと言えよう。
フォニアムとヘッケルがピアニッシモ王国に向かった時には、既に魔族は王国への攻撃をやめ、フォニアム殺害の準備を整えていた。
ヘッケルも相当な法力使いだったが、数で攻められ、フォニアムを守り戦った末に死亡。
フォニアムも果敢に戦ったが、状況は覆せず、死亡。
なんとか逃れた兵士からの通達が、今朝方届いたばかりだった。
「リュート……なんで泣いてるんだ……?」
「な、なんでって……」
他人事のような態度のソプラノに、リュートは目を見開いた。ぼんやり……どこまでもぼんやりした目には、絶望も希望もない。
(まさか)
実感していない。できていない。昨日、出発まで普通に笑っていた父と母が亡くなったことを、現実と思えていない。だから、泣けない。悲しむことも、できない。
リュートは胸の奥から更なる悲しみが込み上げてくるのを感じた。
「なあリュート」
「な、なんだい……?」
髪についた草を払いながら、ソプラノがゆっくりと起き上がった。
「女官が言ってたんだ。せめて私が少しでも魔法を使えるようになっていたら、父さまも母さまも少しは安心して逝けたんじゃないかって」
「……!」
「私がこの国の力になれないから……戦えないから……二人とも、安心して逝けない、って……」
言葉に出してようやく実感し始めたのか、涙がソプラノの頬を伝う。静かに泣く姿は、とても痛々しかった。
「そんなことない……絶対絶対そんなことない!」
リュートはそれまで、ソプラノを強い子だと思っていた。涙を浮かべるのは、あくびの時か目にゴミが入った時くらいだと思っていた。
けれど違った。ソプラノは、強い子ではなかった。弱くて、傷付くのを酷く恐れる子だった。だから強そうに振る舞って誤魔化しているのだと、リュートは知った。
(ソプラノは、強くなんか、ない……)
その腕を掴んでいなければ、どこかに行ってしまいそうで。
その体を抱きしめていなければ、空に溶けてしまいそうで。
「叔父さんも叔母さんも、魔法なんか使えなくったってソプラノを大事にしてた!大好きだった!」
ソプラノをぎゅっと抱きしめて、リュートは叫んだ。
「大好きで、大好きで……そんな叔母さんたちだから、心配もするだろうけど……ソプラノは何も悪くなんかないよ!」
フォニアムは、ソプラノが頑張る姿をいつも見守っていた。自分の母に比べればどこか浮ついているけれど、ソプラノを見守る眼差しは誰よりも優しかった。ソプラノが折れるまでは何も口出ししない、けれど駆け寄ってくれば優しく手を取っている姿を、リュートは見ていた。
――未来の大神官くん。ソプラノを守ってあげてね――
フォニアムに言われた"守る"ということがどういうことなのか、リュートは初めて理解した。
「魔法なんか使えなくったっていい!戦わなくたっていい!だってボクが守るから!」
壊れぬように優しく、思いを込めて強く。
「ソプラノは、ボクが守る!」
抱きしめながら、リュートはまた、叫んだ。
2014.07.05
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