魔法の言葉 一 | ナノ
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訓練場を後にしたリュートは、ものの数分でソプラノを見つけていた。
ちょうど第二武器庫から出て来たソプラノは、リュートの姿を見るなり眉間にシワを寄せて早足で最後の武器庫へと歩き出した。
当然のように、リュートが追う。

「ついて来るな!」
「大神官として把握しておかなきゃいけないからね!大神官として!」

なんたって確たる口実があるだけに、リュートは得意であった。
兵士達が目論んだ通り、仕事となるとソプラノは強く言えず、苛立たしげに口元を歪めている。

「そんな怖い顔しないでよ。シワになっちゃうよー?なーんて」
「うるさい元からだ……絶対に騒ぐなよ。第三武器庫の武器はどちらかというと骨董扱いで貴重なんだ」

廊下を歩きながらソプラノが簡単に説明をする。

「うん知ってるよ、昔遊んで怒られたもんね」

のほほんと返すリュートに、ソプラノは続けた。

「誘爆のおそれがあるので庫内での魔法は禁止。何かあると面倒なので武器には触るな。それと」

リュートが伸ばした手をすっと避けて、ソプラノが睨む。

「私にも触るな」
「……今日はいつもより厳しくないかい?何かあったの?」

無視してソプラノはさっさと歩いた。
程なくして、武器庫に辿り着く。少し人気のない廊下の突き当たりにある倉庫は、時折整理されているが人の出入りが少ないためか、どこか埃臭い。

「わあ……懐かしい」

思い出に浸るリュートを横目に、ソプラノは武器の点検を進めていった。積まれて山と化しているところもあるので、頂上付近の武器は梯子を使ってチェックしていく。

「ああこの銃すごくかっこ良いんだよね!小さい時に欲しくてたまらなかったなあ。あ、この剣も面白い造りでね、法力を込めると刀身が伸びるんだよ!」

リュートはあれこれと話しかける。ソプラノが答えようが答えまいが無邪気にはしゃいでいる。一応約束を守って武器には触れていないが、今にも手を伸ばして頬ずりしそうだ。
ソプラノも、聞いていないわけではなかった。無視したくても部屋には二人、音のよく響く庫内では勝手に耳に入って来る。

「あっこの鎧!装飾が絵本で読んだ鎧とそっくりで――」
「ッ――」

梯子を降りながらちらりと視界に入ったそれに、ソプラノは息を呑んだ。

「ボクも着たいって母さんに言ったけど、大きさが全然あわなかったんだよね、ハハ……ソプラノ?」
「何だ」
「どうかした?なんだか様子が変だけど」
「気のせいだろう」

リュートに背を向けて、ソプラノは梯子を畳んでいた。

(問題ない)

声は震えていないし、手もちゃんと動く。

(何も、問題ない)

キビキビと片付けて、ソプラノはファイルを片手に鍵を鳴らした。

「点検は終わった。お前の"大神官として"の仕事は済んだのか?」
「あっ、う、うん!もちろんバッチリだよ!」

焦って辺りをキョロキョロ見渡すリュートに、ソプラノは呆れたように息を吐いた。

「ねえソプラノ、仕事が終わったならお茶でも……」
「しない」
「ええ、そんなこと言わずに!ボク、ソプラノの苦いお茶飲みたいな!」
「茶葉ならやる。自分で淹れて一人で飲め」
「ひどい!」

抱きつこうとするリュートをひらりと避ける。

「触るなって言っただろう!」
「だってもう仕事終わったんだろー?」
「仕事がなくても触るな!」
「それはイヤだ!」

がばり。ひらり。
がばり。ひらり。
やはり避けるがリュートも諦めない。

「ソプラノ……すばしっこくなったね……!」
「あれだけ抱きつかれれば逃げ方も学ぶわ!」

と言いつつも、じりじりと追い込まれているのをソプラノは感じていた。背後には武器の山々。二歩ほど下がれば背がつく距離だ。

「観念しなよ……!」

右か左か。行くなら素早く、一瞬でだ。
にじり寄るリュートの脇をすり抜けようと、ソプラノは駈け出し、

「よしっ ――!」

積まれていた箱に躓いた。
見事に箱はひっくり返り、その振動で武器の山がぐらりと揺れる。

「危ない!」

ガラガラと荒々しい音が、庫内に響いた。
後頭部に鈍い痛みを感じながら、ソプラノは閉じていた目をゆっくりと開いた。

「う……」
「大丈夫?」

薄暗い視界の中、目に入ったのはリュートの心配そうな表情。それが、とても近い。

「……は?」

見つめ合う視線。数センチで重なる距離。

「良かった、大丈夫そうで」

にこっと笑うリュートから咄嗟に離れようとして、できなかった。
そこでようやく、ソプラノは自分が床に押し倒されていることに気付いた。リュートは両腕をついてソプラノに跨っている。
慌てて首を動かして周りを見れば、銃、剣、箱、鎧。チェックを終えた庫内の物で埋め尽くされていた。

「閉じ込められちゃったみたい」

つまるところ、そういうことである。
うまい具合に二人のところにだけ隙間ができていて、しばらく崩れる様子はない。爆発が起こらなかったのが救いだった。

「なんだかワクワクするね、こういうの」
「……」
「フフ、さすがにこの状況じゃ殴れないよね」

ソプラノは状況を飲み込むのに精一杯だった。
部下に仕事の旨は伝えてあるので、帰りが遅いことに気付けば探してくれるだろう。一人で行動するのも考え物かもしれない。この場合、リュートは人数に含まないが……ソプラノは少しだけ、反省した。
困った顔をしているもののリュートはどこか楽しげで、更にソプラノの不安を煽る。何せ、逃げようにも逃げられないのだ。
倒された姿勢のまま、ソプラノはため息を吐きながら前髪をかきあげた。
それを見たリュートが、静かに笑う。

「……綺麗だ」

目付きが悪いとフォニアムもしょっちゅう言っていたが、それは意志の強い――どちらかというと、頑固という言葉の方が似合う――性格がそうさせているのだ。思わず零れたリュートの感想に偽りはなかったのだが、ソプラノは眉根を寄せるだけだ。

「次に妙なことを言ったら崩れるのを覚悟で殴る」
「思ったことを素直に言っただけなのになー……ごめんごめん」

更に目つきが険しくなったので、リュートは笑いながら謝った。
リュートの得意な魔法の中に移動魔法があるが、この庫内では迂闊に使えない。武器の雪崩では何事もなく済んだが、今度こそ爆発を招くかもしれない。
余裕を浮かべつつどう脱出するか考えながら、ふとリュートはソプラノの手にある見慣れぬ本に目をとめた。簡素なファイルに挟まれて、上部の可愛らしい装丁がちらりとだけ見えている。

「それ、何の本だい?魔法の指南書にそんなのあったっけ……?」
「お、お前には関係ない!」

リュートが尋ねると、ソプラノははっとして本をファイルに押し込んだ。

「魔法の本じゃないの?」
「関係ないって言っただろう!答える義務はない!」
「えー」

ファイルごと強く抱きしめるソプラノに、リュートは口を尖らせる。

「もう……ボクの前でくらい、素直になってほしいんだけどな」
「うるさい。黙っていろ」
「はいはい。しょうがないなあ」

呆れたふりをしながらリュートは口を閉じた。
沈黙が、訪れる。
自分で黙っていろとは言ったものの、静かになるとそれはそれで気まずかった。庫内の時計の秒針音、武器の軋み、互いの息遣い……静かになったからこそ聞こえてきた音もある。
助けはまだかと思いを馳せ、何の気無しに辺りを見て、ソプラノはあるものに気付いた。
リュートの右肩が、汚れている。薄暗くてしっかりとは分からないが、赤黒く見える染みが、広がっていた。
こんな汚れ、さっきまでなかった。

「お前、それ、血じゃ……」
「ああ、気付いちゃった?大丈夫、全然痛くないから」

自分を庇った為に、怪我を負った。
ソプラノは静かに奥歯を噛んだ。

「大丈夫なわけがないだろう!すぐに治療を!」
「でも出られないからさ。いいのいいの、ボクは強いんだよ?……お、っと」

グラリと揺れるも、リュートはすぐに体勢を整えた。怪我を負った身で、ずっと同じ体勢でいるのはさすがに辛かった。
けれどリュートは身動ぎしなら体勢を整え、ソプラノとの一定の距離を保っていた。
いつもところかまわず抱きつくのに、どうして今に限って妙な真似をするのか。
いや、どうしても逃げられない状況だからこそ、リュートは近付かないのだ。

リュートは大したことはないと言わんばかりに、おどけた表情を見せている。

「うん?ソプラノこそ頭打ってたよね。ごめんね、ちゃんと守ってあげられなくて」
「お、前……」

自分の方が辛い状況だというのに、どうして笑っていられるのか。気遣えるのか。
ソプラノには理解ができなかった。したいとも思わなかった。
けれど、そこに込められた思いだけは、分かってしまった。

「……しに……れ……」
「えっ?」
「ッ私の上に乗れと言ってるんだ!」

目を丸くするリュートに、ソプラノは捲し立てる。

「いいか、医療班として言っているんだ!肩を怪我している……今後の任務に影響が出る可能性がある。それは困る!だから乗れっ。ただし!変なところに触れたら金輪際口を利かないからな!」

顔を真っ赤にするソプラノに、ようやくリュートは理解した。

「でも……」
「いいから乗れ!乗らないと口を利かん!」
「……分かったよ」

もはやわがままと区別がつかなかい言い方だ。荒々しくて乱暴だが、リュートはとびっきりの嬉しさが込み上げてくるのを感じていた。
リュートは喋られなくなるのは嫌だからね、と言うと、そっとソプラノに体を預けた。

「重くないかい?」
「……平気だ」
「フフ、いい匂いがする」
「うるさい!」

勢いで言ったはいいが、ソプラノは酷く動揺していた。ピッタリと密着した部分が、体温以上に熱く感じる。

「変なことも……言うな!」

弱々しい声が、しん、と響く。
リュートはそっと瞳を閉じた。
あたたかい。柔らかい、優しく甘い匂い。ずっとそうしていたいほど、心地良い。
普段は素っ気無いソプラノが少しでも自分に気を許してくれたことが嬉しくて嬉しくて――リュートは調子に乗ってしまった。

「ソプラノ……」
「……何だ」
「ソプラノってさ、結構――胸大きいんだね」

ドカッ
ソプラノ怒りのストマックブロー。
有無を言わさず殴られたリュートの体は武器の山に当たり、ミシミシと音を立て始めた。

「おぐぅ……鳩尾はキツ……」
「次は殴ると言ったはずだ」

ゴゴゴゴゴゴ、と禍々しい効果音を出しながらソプラノは鋭く睨んでいる。
そうこうしている間に折り重なった武器達が揺れ始めた。

「ああっ武器が!全くもうソプラノはー」
「誰のせいだ誰の!」

もう一発お見舞いしてやりたかったが、揺れる武器にそれは中断させられた。
このまま二人揃って埋もれてしまうのか。そうなる前にリュートが誘爆覚悟で魔法を使うだろうが、貴重な武器達だ、できるだけ避けたい道である。
しばらくすると、なんとか揺れは収まった。

「何とか保ったね。もう、ダメじゃないかー」

知ってか知らずか、短い気をつんつく突くセリフに、ソプラノはぎりぎりと歯を噛み締めた。リュートは楽しんでいる。言葉の端々に、気持ちが滲んで見える。
早く誰か助けに来てくれと願いながら――ソプラノはふと違和感を覚えた。

「ん」
「どうかした?」
「さっきの揺れでできたようだ」

目線を追ってリュートが見てみれば、ソプラノの隣にもう一人くらい入れそうな隙間ができていた。

「……」
「……」
「早くどけ」
「……はーい」

とぼけようとするリュートだったが、ソプラノが今にも蹴らんとばかりに構えるので渋々隣に寝転んだ。
並んで寝る二人の視界に広がるのは、折り重なった沢山の武器。
夜空や青空なら少しはロマンチックな雰囲気になっていた……かもしれない。しかしここは薄暗い武器庫で、怪我人一名に脱出が困難という極めてよろしくない状況である。

「――最近、帰りが遅いな」

口を開いたのは、ソプラノだった。
数日前までは、ソプラノの仕事が片付く前には帰ってきていた。
しかし昨日や今日は、仕事を終えて一息ついても帰らないことがあった。
魔族の侵攻に、リュートは身を呈してあちこち駆けまわっている。

「まあね。でも、別にそう忙しいわけでもないよ?それにいいんだ、ボク、こういうの好きだからさ」

事も無げに言うリュートの言葉には、やはり偽りはない。
ソプラノが黙っていると、リュートがにやりと笑った。

「まあ遅い日は……先々で女の子に引き止められてるからで……あ、妬いちゃった?」
「誰が妬くか」

分かりやすい嘘をソプラノは一蹴した。

「……うん。やっぱり、ソプラノ……大好き……」
「寝言を言う……」

リュートは大きな瞳を閉じて、すやすやと眠っていた。

「寝言だったら……仕方ないか」

魔族の奇襲があれば、救援の要請があれば、リュートは夜にも戦場に行く。
そんな戦い続きで疲れているのに、怪我をさせてしまった。
ソプラノは抱きしめていたファイルを脇によけると、リュートに手を伸ばした。右肩の出血はもう治まっている。

右肩には触れず、そのまま静かに手を動かすと、目にかかる髪をそっとよけてやった。
ソプラノの瞳に、嫌悪の色はない。
彼が眠っているから。誰も見ていないから。
それだけで瞳には優しさが宿り、慈しむように少年を見つめる。
けれども、少女にその自覚はなかった。
今くらい、ゆっくり眠ればいい。近いうちにまた、命懸けで戦うことになるのだから。
それらの思いは仕事人として抱いていると、錯覚して。

「……おやすみ」

安らかに眠るリュートを見ているうちに、ソプラノの瞼も徐々に重くなり始め……。



ソプラノの帰りが遅いと部下達が探し始めて三十分。
訓練場にいた兵士達の話から、リュートも一緒に違いない。また上司のため息が増えるかもしれないなあと思い始めた頃、部下達は第三武器庫に辿り着いた。

「おーい!こっちだー!」
「おられたか!」
「ああ。リュート王子も一緒だ」

慎重に撤去されていく武器の中に、寄り添うような影が二つ。

「無邪気な顔をしておられるなあ……」
「全くだ」

すやすやと眠るリュートとソプラノ、あどけない二人の寝顔はとても微笑ましいものだった。
リュートはもちろんだが、ソプラノも眠っている時ばかりは歳相応の柔らかさを見せるらしい。

「おい、誰にも言うなよ?」
「分かってらあ」

噂の立つ二人が密室に長時間いたなんて知られれば――ただの事故でも、曲解して受け止められてしまいそうだ。
この無垢な二人の寝顔を見てしまえば、どうしてもそんな風には思えないのだが。
上司の為にも、妙な邪推はされぬよう。
部下達は顔を見合わせて、静かに笑った。



2014.06.23
 

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