倉庫を目指すソプラノの歩調は速かった。
給湯室で過ごした時間は、仕事に支障が出るほど長くはない。歩みを早めることで、もらったばかりの本を開いてみたい衝動を発散していた。
「ソプラノ様」
呼び止められ、思わずファイルを持つ手に力がこもる。
「パーカス」
音もなく姿を現した執事服の男――パーカスは恭しく頭を下げた。
「何かあったのか?」
「いいえ。経過のほどを伺いに参りました」
ソプラノは僅かに目を見開くと、静かに息を吸った。
堂々と、パーカスに向き直る。
「万全だ」
「そうでしょうね」
「なんだ、分かっていたのか」
姿勢で一目瞭然であると、パーカスは苦笑した。
「服が少し合わなさそうですので。……よろしいのですか?」
「あいつには気付かれていない……はずだ」
本当に、それで良いのか。
傍目には内容が判断しにくいパーカスの確認を、ソプラノは正確に理解して答えた。
再三確認されているのだから慣れたもの、というのが彼女の認識であるが、その認識こそが"彼"への意識なのだと、パーカスは分かっていながら口にはしなかった。
執事の悩みを知らず、ソプラノは少し弾んだ声で聞く。
「なあ、そろそろいいだろう?」
期待に満ちた眼差しに、パーカスは頷くしかなかった。
「そうですね。お約束でしたし、構いませんよ」
「なら、明朝から頼む」
「はい」
一礼し去って行く後ろ姿を、パーカスは暫く黙って見ていた。
了承した瞬間にきらりと輝いた瞳に、きびきびとしつつも嬉しそうな足取り。
「全く、仕方のないお方だ」
ため息を吐くと、パーカスはその場から姿を消した。
色々な思いを受ける少年――リュートは、豪快にくしゃみをした。
「王子、風邪ですか?」
隣にいた兵士が心配そうに尋ねる。
「ううん、ちょっとむずむずしただけだよ」
「そうですか。お気を付けて下さいね」
「大丈夫っ。ボクは大神官だからね!さあ続き続き、炎の魔法だったよね」
訓練場の一角でリュートは兵に魔法の指南をしていた。
魔法兵団の頂点である実力者直々に教えを乞える絶好の機会だが、兵の数はそれほど多くない。各隊長格が指導をしているというのもあるが、リュートの魔法の好みは一般とは酷く離れているために一度でも指南を受けると二度と受けたくなくなるのだ。
それでも素晴らしい魔法使いであることに変わりはないので、あらかじめ噂を聞いていた兵士達は魔法のリクエストをしていた。
リュートの得意な魔法――いわゆる暗黒魔法以外を。
「炎の魔法は結構カンタンなんだよ!気持ちを、こう……」
十字架の剣を背負って、リュートが両手を重ね合わせる。
「戦うぞ!とか負けないぞ!とか……炎は燃える、熱い魔法だから、そういう強い気持ちを持って……」
開いた手から、ボッ、と炎が渦となって巻き起こった。
兵達が歓声をあげると、リュートは得意げに笑った。
助言をもとにそれぞれが魔法を使い始める。マッチのように小さい炎を出す者もいれば、焚き火のように大きな炎を出す者もいた。リュートのように綺麗な渦を描ける者は少ないが、訓練を重ねれば直にうまくなるだろう。
「ふーむふーむ。王子は教えられるのがお上手ですのう」
様子を見に来た老兵の一人が、たっぷりとした髭を撫でながら唸る。老兵は胸中でこれでセンスさえ良ければ、と付け足した。
「おう親父、見てくれよ。やっとコツを掴めて来てな、なかなかのモンだろう?」
「ふん、そんなちっぽけな炎じゃパンも焼けんわい」
駆け寄ってきた息子を一蹴し、老兵はほれとリュートを指す。一人ひとりの様子を見るリュートはとても嬉しそうで、それでいて真剣であった。
(大神官……その身に重くないわけがありますまい……)
十六の少年が、どれほどの命を支えているか。
「お前ももう少し力をつけんか」
「な、なんだよ急に?」
息子の尻を叩きながら、老兵は心配していた。リュートは嬉しそうである。何をするにしても。自分達の先頭に立って魔族を打ち払う時以外は、いつも笑顔である。
実際に、嬉しいのだろう。楽しくてたまらないのだろう。彼にとっての幸せは、誰かの幸せなのだから。
しかしそれはあまりにも悲しいと、老兵は時折思うのである。
他人を思いやることにも、限度があるのではないか。
(だからまあ、あの子には悪いかもしれんが)
わしは王子の味方じゃからの、と笑いながら、老兵はリュートに手を振った。
「リュート王子、先ほどソプラノ様が武器庫の点検に行かれましたぞ」
ボンッ!
ソプラノの名前が出た瞬間に、リュートが出していた炎が一気に燃え上がった。
頬を染めるリュートに、老兵は微笑む。
魔法の説明をしたばかりなので、実に分かりやすい反応だった。
本当なら今すぐ向かいたいだろうに、「魔法の先生」をしていて出来ない。もどかしさと嬉しさが混ぜこぜになった表情に、手助けをしてやる。
「指南もありがたいですが……魔法兵団を束ねる神官様として、庫内の様子を見て来てはいかがでしょうか?」
その一言に、リュートだけでなく周囲にいた兵達も目を輝かせた。
「おお、そうですぞ。いざという時に王子が武器を把握していない、では困りますからな」
「今日は見回りも済んだのでしょう。私達のことは構わず、どうぞ行ってきて下さい」
「あとは各自で練習を重ねますよ。王子、ありがとうございました」
口々に言われ、リュートはさらに目を輝かせた。
「そうだね、行って来るよ!ありがとうみんなっ、また分からないことがあったら何でも聞いてね!」
喜びで頬を膨らませ、リュートは剣を背負い直すと、武器庫を目指して一目散に駈け出した。
その背を見送って、兵士達は笑いながら再び訓練に取り組み始めた。
2014.06.18
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