hm短編 | ナノ
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翌日――出勤した名前に、噴水周りに関しての許可証と、チェレスタの休暇の通知が渡された。休暇の理由は書かれていなかったが、容易に想像できた。
語らせてはいけないことを語らせてしまったのだろう。
申し訳なく思うが、二人で手一杯だった仕事を一人でやるこれからに恨めしくもなった。
相変わらず人手不足で他の班も似たようなものらしい。見つかればすぐに新人が入れられるとは聞いたが、それまでは一人でやっていくしかない。
すっかり様になった制服姿で名前は掃除をこなしていった。

一人での仕事が続いたある日。
ゴミ捨てから帰って来た名前は、噴水にリュートを見つけた。
いつもの白鳩もいるが、リュートは鳩達とは遊ばず、三角座りになって空を眺めていた。

「リュート王子、こんにちは」
「……やあ」

どこか覇気のない返事に、名前は首を傾げる。
魔族退治で疲れているのだろうか。それならば自室でゆっくり休養してほしいところである。
リュートは姿勢を崩すと、足元に咲いていたシロツメクサを見た。

「最近、この辺変わったね」
「あ……僭越ながら、私が手を加えさせていただきました」
「そっかあ、君が……」

噴水の周りにはクローバーとたんぽぽが意図的に残されてあった。
一人になって仕事量は増えたが、せっかく許可をもらえたのでと時間外に手入れをしたのだ。

「どうりで雰囲気が良くなったなあって思ってたんだ。ここ、もっと好きになったよ」
「ほ、本当ですかっ!?ありがとうございます!そう言われると、頑張った甲斐があります!」

屈託のない感想に、名前は心がぽっと熱を持つのを感じた。
綺麗にするのが当たり前であり、褒められることがそうない掃除という仕事で、初めてもらった言葉だ。相手が誰でも嬉しかったが、王子であるリュートに言われたことに、より一層嬉しくなった。

「……リュート王子?」

名前は舞い上がりそうになるが、返って来た小さな笑いに違和感を覚えた。
やはり、今日のリュートはどこか様子が違う。
いつも奔放に振る舞っているのに、鳩とも戯れず水遊びもしていない。

「どうかされたのですか?私で良ければお聞きしますよ」

出過ぎた真似かもしれないが、名前は放っておけなかった。
リュートは少しだけ考えてから、静かに口を開いた。

「……フルートのことでね」

次期女王――リュートからすれば妹である、王女フルート。
彼の妹への溺愛っぷりは他の女官達が微笑ましそうに話していたのを聞いていたし、自分も何度か妹馬鹿話を聞かされていた。

「どうも、怯えられているみたいでね。ボクは魔法しかないから、色々使える魔法を見せてみたんだけど……全部逆効果になっちゃうみたいで……」

そこでチェレスタのもはや遺言とも言える言葉を、名前は思い出した。
一人の女性が振り返るだけで錯乱するほどのリュートの魔法。
生まれたての赤ん坊にはさぞ刺激が過ぎるに違いない。
肌が粟立つが、

「ボク……お兄ちゃん、なのに」

悲しみに溢れた声と瞳に、はっとさせられた。
この人は、頼られる人がいないのだろうか。
それとも、頼る性格を持ち合わせていないのだろうか。
大神官、王子という立場で、両親と会う時も子供ではなく大神官として……兵として接するしかないのだろうか。
今の悲しさも……普段は堪えているもののごく一部のように感じられた。
堪え切れず、少し零してしまったのだろう。
そう、これも少し。

(それじゃあ、あんまりだわ)

なんとか元気付けたい。
名前は辺りを見渡した。何かないか。
あるのは、掃除用具、レンガ、芝生、噴水、たんぽぽ、クローバー。

(あ)

ポケットから手帳を取り出す。
先日見つけた四つ葉で作った栞が挟まれていた。
葉の鮮やかさは失われているが、大きく立派な形はそのままだ。

「リュート王子!これ、良かったらどうぞっ」
「これは……栞かい?」
「はい。この間、ここで見つけたクローバーで作ったんです。ご存知ですか?四つ葉のクローバーには、幸せになるというジンクスがあるんですよ」
「へえ……でも、それじゃあ受け取れないよ。君の幸せをもらうなんてさ」

やんわりと断ろうとするリュートに、名前はずずいと栞を押し付けた。

「遠慮なさらないで下さい!私はこれを見つけられただけでもう幸せなので……!ですから、なんていうんでしょう、ええと、あ、幸せのお裾分けだと思って下されば!!」

優しい人だ。だからこそ、受け取ってほしい。
名前の勢いにリュートはきょとんとしていたが、

「……ありがとう」

ふっと笑って、栞を手にした。

「本を読むのが楽しみになるね」

淀みのない微笑みに、名前は安堵した。

「王女さま、とても可愛らしいんですね。パレードが楽しみです」
「うん、すっごく可愛いよ!目はくりくりしてて、ちっちゃなえくぼがあってね!フルートが笑うと、空気が綺麗になるんだ!」

嬉々として妹を語る噂通りの姿に、頬が緩む。
フルートもそうだろうが、リュートが笑っていても空気が綺麗になる気がする――なんて思ったが、恥ずかしくて言えなかった。

「本当はぎゅってしたいんだけどね、ダメだって昨日母さんに怒られちゃった」

舌を出すリュートの口振りに重さはない。
一つの話題でもある"相談"に、名前もリュートを倣って軽く返す。

「でしたら、練習してみませんか?」
「練習?」
「はい。私で練習しておけば、きっと失敗しませんよ」

ホルン女王は魔法で無茶をされたので警戒しているのだろう。
ならば練習をしてから行けばいいと思ったのだが、
ポカンとするリュートに、名前は自分がどれほど大胆なことを言ったのかをゆっくり理解していった。

「あ、す、すみません、そんなつもりでは……!」

さらっと言われたからさらっと言ってしまったなど、言い訳にならない。
変な子だと思われたかもしれない。恥ずかしさに慌てふためく。
呆れられる。引かれる。それは嫌だ。

「いいの?」

しかし心配をよそにリュートは至極普通に答えた。
安心するが、今度は緊張から言葉が辿々しくなる。

「えっと、その……はい。王子がよろしければ……です、けど」
「ありがとうっ」
「っ!!」

嬉しそうな笑顔に、胸がときめいた。
初出勤の朝に見た太陽よりも眩しい笑顔に、鼓動が早くなる。

「あ、えっ」

いつの間にやら立ち上がったリュートが、眼前にいた。
何度も会ったのに、この距離にして初めて名前はリュートが意外と背が高いのだと知った。

「よーし、ボク、頑張るよ!」
「は、はい……」

意気込むリュートに今さら冗談ですとも言えなくなり、名前は少し俯いて、目を閉じた。
心臓がうるさい。顔も熱い。
彼はきっと何も思っていない。本当にただの善意だと受け取っている。
純粋さに漬け込むようで後暗くはあるが、全く意識されていないのが悲しいので許してほしいと、誰にでもなく祈っていた。
ふわりと火薬と血の臭いが鼻を掠めて、名前はどきりとした。
忘れていたわけではない。
彼は大神官だ。今日も戦場を駆けて来たのだろう。
明るい振る舞いに気を逸らされがちだが、昨日も、その前も、彼は戦っていたのだ。
薄く目を開ければ、白い法衣にもあちこちとほつれや汚れが確認できる。
背に腕がまわされ、硬直しそうになりながらぐっと拳を作って耐えた。

「……こんな感じ、かな?」

耳元で囁くように言われ、名前はやはりもつれそうになる舌でなんとか答える。

「も、もう少し、強くても、いいですよ。その、フルート王女を落とされてもいけませんし」

リュートの抱擁は抱擁と呼ぶにも力の軽微なもので、腕を回しているだけと言えた。
失敗から警戒しているのだろうが、これは魔法ではない。もっと気軽に考えても良いのに、と名前は少しおかしくなった。

「そう?じゃあもうちょっとだけ強くしてみるね。痛かったらごめんね」
「あはは、大丈夫ですよこれくら――」

べきぼきばきぼきぼき コリッ
直後に訪れた凄まじい音と衝撃に、名前はそのまま意識を遥か彼方にぶん投げられた。

「ああっ名前さん!」

泡を吹いてピクピクと痙攣する少女に、リュートははっとする。
頬を軽く叩くも、目覚める気配はない。
どころか、その"頬を軽く叩く"という行為も追撃になっていた。
ビンタに弾かれて出て来た白いモヤモヤ――魂っぽいものが空へ旅立とうとする。
リュートは慌ててそれをはっしと掴んで名前の口に押し込んだ。

「しっかりして!名前さん!名前さーん!」

リュートには、程々がない。
力が強すぎるあまりに、誰彼構わず傷付けてしまう。
もちろん魔族と戦う時にいつも全力だとスタミナ切れを起こしてしまうので抑えてはいるが、それも「強い」「やや強い」「すごく強い」の区分けとなり、常人からすればどれも圧倒的な力でしかないのだ。
名前はもっと考えるべきであった。
"あの"人類の女王が、なぜ兄に妹を抱かせなかったのかと。
一度抱かせて、エラい目に遭ったのではないかと。
そう悟ったのは、意識が戻った数日後。



最後の一人がいなくなり――噴水の周囲は、しばらくの間手付かずとなった。



スフォルツェンドの医務室の片隅で、名前はぼんやりと窓から空を眺めていた。

「王宮勤務は大変だなあ……」

王女の無事を祈りつつ、重傷を負った少女はしみじみと独りごちる。
空に上る太陽は、いつも通り眩しかった。



2014.05.19


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