シオン
自分を呼んだのは、人々の嘆く声だったはずだ。
聞くに堪えない、助けを求める悲鳴だったはずだ。
確かに、聞こえたんだ。
だからリュートは、僻地にある村とも呼べない集落までやって来た。
人はいた。魔族から逃げ惑いながら、助けを求めていた。
十字の剣で薙ぎ、リュートは魔族を討った――そこで一つ目の違和感を覚えた。
魔族の上げた断末魔も、肉を裂いた手応えも、いつもと同じだ。
なのに、
(何かがおかしい)
直感した。
危機が去ったと知った人々が歓声を上げ、口々に礼を述べる。小さな子供はリュートの笑顔に引き寄せられるように駆け付けた。
リュートは子供を抱き上げた――そこで二つ目の違和感を覚えた。
嬉しそうな笑顔も、リュートにかける拙い礼も、とても愛らしい。
なのに、
(何か、違う)
またも、直感した。
何かがおかしい。何かが違う。
辺りを探る。
リュートは、そう遠くない距離に何かしらの"魔"の気配を感じた。大きくも小さくもなく、どちらかというと穏やかとさえ言えるそれ。
それが、違和感の正体ではないか?
他に原因も思いつかないので、リュートは挨拶もほどほどに集落を後にした。
向かうは森。木々の間を走り抜けるにつれ、辺りは昼だというのに暗くなっていった。
生い茂る緑が日差しを隠し、湿った空気が陰鬱さを醸し出す。
気配はもう目と鼻の先にまで近付いている。
いる。確信し、大木を通り過ぎた。
「思ったより遅かったわね」
「!」
通り過ぎた大木に、女が腰を下ろしてもたれていた。
リュートは足を止め女に向き直る。姿は人とそう変わりないが、放つ気配が全く違う。
攻撃を仕掛けるでもなく見つめてくる女に、警戒を緩めず、尋ねる。
「お前は何だ?ここで何をしている?」
「スフォルツェンドの魔人さんは、せっかちなのね」
スフォルツェンドの魔人――魔族からの呼び名に、リュートの警戒が一層高まる。
「近くの人達を襲ったのもお前か?答えろ!さもないと――」
言い終える前に、女は立ち上がっていた。
「討つ?」
目線を合わせて女は言う。
「あなたを待っていたの」
「……ボクを?」
「そう。あなたを」
女の伸ばした手が、指が、トン……と静かにリュートの胸を突いた。
極限まで警戒していたはずなのに、全く敵意のない接触にリュートは対応できなかった。女の行動の意図が掴めず、リュートは戸惑う。
「弱き者は強き者に惹かれる。分かる?」
「……?何の話だ?」
意味が分からず首を傾げるリュートに、女は言った。
「私があなたを好きってことよ」
「す――好き!?ボクを!?」
突然の告白にリュートは後退った。
慌てふためく姿に、女は楽しそうに笑った。布を巻きつけただけのような衣服を見せるように、くるりと一回転した。まるで恋する少女がスカートを翻すかのような可憐さを孕んでいた。
「なんでっ、だって君、魔族じゃないのか!?」
「魔族よ。けど、そうおかしい話でもないわ。あなたの力は私達のそれと近いもの」
「だけどっ」
「私はあなたが好き」
再びの告白に、リュートは言い返す言葉を失ってしまった。
告白自体は初めて受けたわけではないが、相手は全て人間からだ。魔族がかけてくる言葉と言えば「ぶっ殺す」「死ね」「消えな」くらいのものなのに、それなのにどうして、目前の魔族は熱っぽく自分を好きだなどと言うのだろう。
理屈はなんとか分かったが、わざわざ告げる理由がどこにあると言うのだ。
下手をすれば、話をする前に討たれていたかもしれないというのに。
リュートの疑問を見透かすかのように、女は続ける。
「だから、待っていたの」
瞬間、周囲に角を生やした牛のような魔族が現れ、リュートを取り囲んだ。
全く前兆のない出現に驚くリュートに構わずそれが棍棒を振り上げる。
リュートはかわすまでもないと、大振りな動作ごと目の前の巨体を剣で切り裂いた。
その感覚は、先ほど感じたもの。
集落で魔族を討った時、子供を抱き上げた時に覚えた違和感を、更に強くしたものであった。
女が熱に浮かされたように喋り続ける間にも、大型の魔族は次々と現れた。
「そう怖い顔しないで。さっき聞いたわよね、近くの人達を襲ったのは私かって」
豚のような魔族を、頭から真っ二つにした。
「正解だけど不正解ってところ」
鶏のような魔族は、胴に刺突した。
「答えは秘密。だけどね、そうして良かったと思うの。後悔なんてどこにもないから」
どれだけ討とうと湧き続ける魔族に、リュートは焦り始めていた。
これ程の数がどこから湧いた?これ程の数が集落に押し寄せたらどうなる?
「私、これでも魔族の中ではちょっとした術師でね。頑張ったらいいセン行くんじゃないかって言われてたんだけど」
女はリュートが聞き漏らさないよう、一定の間隔で喋り続けていた。
「やめちゃった。部下も全員殺しちゃったから、北から逃げて来たの」
女の話は、もはやリュートの耳に届いていなかった。魔族を討つ使命に純化し、十字架を捌く彼を止められるのは、人類の……彼の母であるホルンくらいだろう。
魔族の湧く数は、徐々に減っていった。
女はその様を、やはり喋りながら見ていた。
とうとう魔族は湧かなくなった。
一匹、そして一匹と減り、出来上がったうず高い死屍の山を見上げて、女はうっとりとしていた。
「お喋りはおしまいだ」
最後の一匹が葬られ、森の中には再びリュートと女の二人だけとなっていた。
「ボクはお前を倒す。この世界は、ボクが守る!」
「……好きよ」
剣を突きつけられてもなお、女は動じない。
これ以上時間を割けない。一刻も早く女を倒して、集落に戻らねばならない。
リュートは十字架を振りかざし、迷いなく、女を斬った。
衣服が裂け、女の体が露わになる。
リュートは目を見開いた。
「な……」
中は空洞だった。ぽっかりと空いた穴から、向こう側の景色が覗かれる。
女の体は胸から上しかなかった。おもちゃのようにぶらさがっていた腕のうちの片方が、斬撃の余波でボトリと落ちた。
「もう一振り、いるわね」
淡々と述べる女。その間にも、女の体は空気に散っていた。言う通りにしなくとも、放っておいたらそのまま消えてしまうだろう。
動こうとしないリュートに、女は痺れを切らしたようだ。女は少しだけ目を伏せて、わざとらしく低い声を出した。
「……今、四匹ほどあっちに向かわせた」
残っていた腕で集落を示す女に、背中に緊張が走った。
(四匹!?まだ残っていたのか!?)
女は無情に告げる。
「二分もあれば着く。どうする?」
躊躇うことなく、リュートは十字架を振り切っていた。
残っていた女の左腕が飛び、肩と首も分断される。
力を失った女の生首が、ボトリと地面に落ちた。
集落へと踵を返し――リュートは目を疑った。
森が、消えていた。
自分を取り囲んでいた木々が、一片の葉も残さず消えていた。
明るい日差しが辺りを照らし、吹き抜ける風が陰鬱さを吹き飛ばしていく。
リュートは草原に立っていた。
湿った空気はなく、緑の爽やかな匂いが満ちていた。遠くにあるはずの集落さえなく、ただただ緑が続いていた。
「えっ?」
「言ったでしょ。これでも……ちょっとした術師だ、って……」
生首だけになった女が、途切れ途切れに言う。
「じゃ、じゃあ、ボクが戦った魔族も、助けた人も……?」
「そう。全部、私が創った幻……なかなか、だった、でしょ」
全て幻覚だった。違和感の正体をようやく知り、真っ先に湧いたのは安堵。誰も襲われていなかった。誰も苦しんでいなかった。
なぜそのような面倒なことを、この死にかけの魔族はしたのだろうか。
「だから、言ったじゃない……私は、あなたを好きだって」
「――」
四度目の告白に、リュートは唐突な寂しさを感じた。
「なん、で……だって、君は魔族でっ!」
「その説明は、もう、したわ」
「でも、だったらやっぱり!おかしいよ!」
「いいえ……おかしく……ない」
優しく、それでもはっきりと、女は言った。
「私があなたを好きだから、何もおかしいことなんてない」
リュートは膝をついて、女を見ていた。
寂しさが心を駆け巡って、とても泣きたくなっていた。
「時間が、ない……言って、おくわ」
「な、何……?」
「冥法王には……気を、つけて」
さらさらと、女は風に流されるように散っていた。
愕然とするリュートに微笑んでいる。
「良い、死だわ」
「!」
その一言で、リュートはようやく全てを理解した。
聞き流していた女の言葉が蘇り、頭の中で何度も繰り返される。
「君は……」
「フフ……分か、た?」
何もかも、四度告げられた、一つの思いから。
女は満足していた。優しい彼のこと、事情を話せば相手にしてくれないだろうと、情けをかけられるだろうと分かりきっていた。だから、これでいい。
そして今彼は、悲しんでいる。申し訳ないけれど嬉しい。愛する者の手で逝ける。愛する者に最期を知ってもらえた。満ち足りた気持ちが全てに勝る。嬉しくて、嬉しくて、女は瞳を閉じた。
草原に爽やかな風が吹く。
女が消えた場所には、彼女を悼む花が添えられていた。
2016.01.30
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