5月31日ーーテストから1週間立った日曜日のことだ。
その日の磐戸台分寮はやけに静まり返っていた、というか誰もかれもが沈黙を守っていた。
「…真田サン、マジで行くんすか?」
おもむろに順平が口を開き、心配そうに真田を見つめた。確かに真田の服装は彼の普段着とは違うしっかり整えられた服装で、ソファーの上で足を組む仕草がどうにも似合っているなと順平は思った。
「約束してしまった手前もあるしな。…しかし本当に学年トップになるとはなぁ」
驚いた、と苦笑いの真田に順平は律儀だなと常々思った。真田は以前、結來に『学年トップになったらデートして欲しい』と言われあっさりと返事してしまったのだ。高を括っていた真田にも非はあるのだが、結來も結來だ。確信済みで約束を取り付けたのだとしたら、とんだ策士である。
「すみません先輩、お待たせしました」
そうこうしている内に、普段通りようで、いつもより整った服装をした彼が降りてきた。違うところと言ったら、普段右側を隠している長い前髪が横に流してあるところだろうか。
「ゆ、結來!いつもとちょっと髪形が違く…ないか?」
流石の真田も変化に気づいて、やや驚いたように結來に問う。すると結來は、その反応がお気に召したのかいつもより表情が柔らかくなり、真田の問いに答えた。
「だって、真田先輩とのデートですよ。先輩の一挙一動を見逃せるわけないでしょう?」
「そ、そうか…?」
もう俺には分からない、と真田は困惑し切った顔で順平の方を見つめる。が、そんな順平は俺は何も見ていない、とでも言うように目線をわざとらしく逸らして完全に部外者に徹していた。
「じゃあ行きましょうか、先輩」
「あ、あぁ…」
さりげなく真田の手を引いて寮の玄関へと向かう結來に、真田はなされるがままに外に連れ出されていった。
「…いってらっしゃーい」
順平が小さく呟いた見送りの挨拶だけがラウンジに響いて、日曜日の朝は始まった。
△▼△▼△
「それで?結來はどんなプランを立てているんだ?」
ありきたりなのは満足しないぞ、とさっきまでの翻弄具合はどこへやら、歩いている内に落ち着いたのか普段通りの真田に戻ったようだった。結來は手こそ離してはいるものの、いつにも増して距離を近く詰めていた。
「分かってます。とりあえず、磐戸台駅にまで行きませんか?」
「分かった」
磐戸台駅周辺ーーポロニアンモール駅とは違い、新しくはないものの親しみやすさを残した商店街が有名である。真田はこの辺にはしばしば来ており、あまり新鮮味を感じはしないが、落ち着く場所ではある。しかし商店街まで来て、真田は首を傾げる。
「結來、お前俺がここに来て牛丼食ってること知ってるだろ。今更、どうして…」
「今日行くのは海牛じゃないですよ」
まずはこっちです、と結來が案内した場所は「本の虫」と書かれた古めかしい看板のある古本屋であった。
「…閉まっているぞ?」
「日曜は定休日」と書かれた紙が無情にも入り口の扉に貼ってあるが、結來はそれに動じることもなく勝手知ったるなんとやらと閉まっているはずであろう扉に手をかけた。
聞こえたのは、錠に阻まれた開かない扉の音ではなく、ガラッという勢いのいい音だった。
「…こんにちはー」
結來はそう言ってさも当たり前かのように入ろうとする。
開いてしまった、まさかと思った真田は焦って結來の行動を咎める。
「ダメじゃないか!勝手に店の扉を開けて!」
真田からの叱責にキョトンとしていた結來だったが、その時、店の奥から何か物音がした為、真田と結來はバッとその物音の方へ視線を向けた。
「…ん?なんじゃ、リトちゃん来とったんか!」
店の奥から出て来たのは文吉ーー古本屋"本の虫"の主人である。勝手に入った結來を咎めることもなく、それどころか嬉しそうに話を続ける。
「いやー、休みの日にもリトちゃんに会えるなんて、わしは幸せもんじゃの…まさにびゅーてぃふるでいじゃ!」
むしろ大歓迎のようである。結來も嬉しそうに相槌を打っているが、真田は本当にそれでいいのか?と困窮気味であった。
ふと、文吉が結來と話し終えたところで隣に立っていた真田に気づいたようで、しげしげと真田を見つめる。
「…誰じゃい?この美人さんは」
「びっ…?!」
「文吉爺さん、前に話してた先輩。ほら、ボクシング部主将の…」
「おぉ!リトちゃんのぼーいふれんどの真田明彦ちゃんだな!」
予告もなく口に出された言葉についていけず、しばし沈黙が走ったあと、真田が慌てて訂正をした。
「ち、違います!俺は、結來の先輩です。そのような関係では…!」
「分かった分かった、ほらお二人さんや、朝からこんなとこに立ち寄ってくれてありがとうよ。これでも食べて頑張っとくれ!」
訂正を半分聞いているのかいないのか、文吉は有無を言わせず結來と真田にあげパンとお茶を押し付けるようにして渡した。
「ごめんなさい、突然お邪魔して」
「…すみません」
「いやいいんじゃよ、二人がいいんならいつでも来てくれればいいんじゃよ!婆さんは今日はちょっとがーるずとーく?に花が咲いてて出てこれなんだが…」
「いいですよ、また来ますから」
「そうかの?それじゃ、またのリトちゃん、明ちゃん!」
「あっ、明ちゃん…?!…いえ、機会があればまた」
お邪魔しました、と出て行く時にも文吉は歳を感じさせないほど元気に手を振って2人を見送った。
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