Soluble in liqueur
「流石に飲み過ぎだぜ、ヒート」

「…うるさい…」

僕がそこへ訪れたのは、子供は諭されて寝ている時間だった。狭い部屋に置かれた狭いテーブル。椅子が一脚しかなかったのが今や二脚になり、僕とヒートは向かい合うようにして座っている。机の上には何種類かの酒が中途半端に開けられてたり、空になって転がされたりしている。それ以外は置かれていないため、つまみと一緒に飲んでいたというわけではないらしい。ビールに始まり、ワイン、ウイスキー、度数の高いウォッカ、はたまたリキュールだったり…それはもう大人数で酒盛りしなければ飲めないであろう量である。それをこの目の前の男、ヒートは浴びるようにして飲んでいた。いつものヒートならこんな無茶な飲み方はしないだろうし、実際にここまで飲んでいるのを見たのは初めてである。

「医学生である君が、大量のアルコールを摂取することの怖さを知らないわけじゃないだろう?」

「…判断能力の低下、及び消化器官の活動を妨げ、依存症への一歩を……脳の血管の縮小、そして肝臓に多大なる影響………」

「ダメだなこれは」

知識をおぼろげながらに思い出そうと、机に突っ伏して呻くようにしてつぶやくヒートについつい笑ってしまう。全くもって、普段真面目な人間は枷が外れると予測できない行動をとるのだなと常々実感した。僕は立ち上がって、狭いキッチンの方へ行く。すると椅子を引く音で気づいたのか突っ伏していたヒートは顔を上げて、不思議そうに僕に問いかける。

「……何するんだ?」

「空きっ腹にアルコールはあまりよろしくないんだろ。今更かもしれないけど、なんか作ってあげるよ」

夕食も食べずに飲んでいたんだろう、そう言うとヒートは目をぱちくりさせて、驚いたように目を見開いた。いつもの仏頂面なんかよりも年相応、もしくはそれより幼く見えるその表情に思わず可笑しくなって笑ってしまう。

「お前、料理作れるのか…?」

「人並みにはね。君みたいに自炊してるってわけじゃないから味は君よりも劣ると思うけど」

「…苦学生をバカにしてるのか」

「そんな滅相もない」

納得できなさそうにするヒートをあしらって、僕は意外にもキレイに手入れされているシンクの周りを物色し、フライパンとトングに包丁、そして鍋。それから冷蔵庫を開けて、ニンニクと奥の方にこれまた珍しいオイスターのオイル漬け(ヒート曰く余り物をもらったらしい)を見つけたのでそれらを取り出す。
さて、と袖を捲って濡れないようにしてから鍋に水を入れ、火にかける。
その間に、潰れているヒートを揺さぶって起こす。

「ヒート、パスタはどこに置いてある?」

「シンクの下の棚…でもペンネとかじゃない…」

「それは結構」

言われた通りに向かい、戸を開けると、確かにパスタがあった。種類はカペリーニとスパゲティである。しかも両方とも業務用と言っても差し支えない大きさだ。彼が、こういった悪くならず、安くて量のある物を買ってしのいでいると前に言っていたので思い出した次第だ。(その時に普段はピザの君が料理するなんて!と大袈裟に驚いたら機嫌を損なってしまったけれど)
今日は僕が作ってやるんだから最高だろう?
スパゲティの方の大袋を持ち出しながら、鍋の方を見るとすでに沸騰していて、そこに少々のオリーブオイルと塩、そして2人前程の量のスパゲティを投入する。

「何作ってるんだ…?」

すると、ふわふわとした普段より締まりのない声で、ヒートが声をかけてきた。

「シェフィールドの気まぐれ特製パスタだよ。あ、オイスターのオイル漬け使おうと思ってるんだけどいいかい」

「なんだその名前…。いい、好きにしてくれ…」

そう言うと彼はまた机に突っ伏してしまった。全く、無防備だなと呆れを通り越して愛おしさを感じる彼を眺めてから、先ほど冷蔵庫から取り出したニンニクとオイル漬けの調理に取りかかる。
ニンニクは皮を剥くときに、手に匂いがつくので極力手ではなく包丁で皮を剥く。そして3~4粒くらいを輪切りや微塵切りにし、切り方ごとにまとめておいた。
オイスターに至っては、あまり考えずにとりあえずぶつ切りにして食べやすい大きさにした。見た目は黒い宝石、とでも言うべきか。それをぶつ切りにしていて、中から内容物がでてきたときには少し顔を背けたが、まあいいだろう。

鍋も煮え立ったようで、いい感じの柔らかさになったスパゲティをザルに入れて取り出し、冷水にさらす。ザーッと水が熱湯に変わりながら排水溝に飲まれていくのを見ながら、頃合いを見計らってシンクにあげた。

「んー無難に胡椒と…鷹の爪、なんてないよなあ」

言いながらフライパンを火にかけ、熱されてからオイスターに使われていたオリーブオイルをまんべんなく敷き、微塵切りにしたニンニクを投入する。すぐに火が通って、鼻腔をくすぐる、香ばしい匂いへと変わる。その匂いについ気を良くしてしまったが、その後にまた輪切りのニンニクを入れ、ガーリックフライのようにする。
そうしているとどこからか、食欲の唸り声が聞こえた。その音に思わず笑ってしまうと、後ろから似たような声でまたしても唸られたのでくすくすと潜めて笑う。

「もうちょっとだから待ってなよ」

返事はなかったが、今の自分の声はさぞかし喜色に満ちたものだったのだろうなと想像し、ああやっぱり彼には敵わないなと逸れた思考を始めたが火を扱ってる以上は気をつけなければ。
次はオイスターだ。
これに関しては少なくとも元から下味がついているので余計なことはせず、シンプルに仕上げようと思い、胡椒をかけるのみで済ませる。ぱちぱちと弾ける音が堪らない。味見しようかどうか迷ったが後のお楽しみとしよう。
最後にザルにあけられたスパゲティをトングで掴んで少しずつフライパンの中へと投入する。オイスターのオイルと具材が絡み合って混ぜるのに少々手間取ったが、とても美味しそうな仕上がりになった。

皿に綺麗に盛り付け、オイスターを均等に、と思ったが少し彼の方に多めに分けてやる。これはもう出血大サービスだろう。僕が作ってやることはもうないかもしれないぞ、という言葉を飲み込んで静かにヒートの元へ行く。

「ほら、出来たぞヒート」

「……んぅ」

「僕がせっかく作ってやったんだから起きて食え。…それとも、目覚めのキスでもして欲しいのかい?」

冗談半分本気半分(いや本気の方が強い)でそう問いかけると、今までの様子が嘘みたいにバッと起き上がって、覚醒したのか、いつものヒートの様子そのものになった。

「お目覚めですかね、お姫様」

「…気色の悪い冗談はよせ、サーフ」

「僕はいつでも君に対して本気だけど?」

そう言うと鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしてから、ややあって、はあとヒートのため息が聞こえた。

「そこの空瓶もしくは中身のあるやつ片付けておいてよ。こっちに持ってくるから」

「分かった…」

疲れたようにしながら、しょうがなくといった体でヒートは立ち上がって瓶たちを片付け始める。それを見送ってから、僕はキッチンに向かって、湯気を立たせながら鎮座するオイルパスタを机の方に運ぶ。すでに片付けた、というより隅に寄せたらしい。ヒートは座りながら、心なしか目を輝かせてパスタを見つめているように思えた。

「美味そうだな…」

その言葉に僕は微笑しながら、

「そりゃあ、僕が作ってあげた至高のパスタなんだからね」

と返す。ヒートは、このときばかりは純粋に尊敬の眼差しをこちらに向けてきたため、少し優越感が生まれた。
勝手知ったるヒートの家なので、フォークもすでに用意してさて、と席に座る。






「召し上がれ」

その言葉を皮切りに、ヒートはパスタを見つめるのをやめ、フォークを握った。祈りの言葉…と思ったが彼は敬虔なクリスチャンでもなければ無宗教であり無神論者であったな、と思い、少し面白い提案をしようと静止の言葉をかける。

「ヒート、何も言わず食べ始めるのは寂しいと思わないかい?」

「…別に?」

きょとん、とするヒートに僕がお手本を見せようと自分の目前で両手の掌を合わせ、「いただきます」と言葉を発す。そうするとヒートは何をしてるんだと言う風に首を傾げた。

「日本の食事の作法だよ。食材になった命に感謝の意を表す言葉、だったかな」

「そうなのか?」

そしてヒートはたどたどしく、僕のように両手の掌を合わせイタダキマス、と深々とした礼をしてから、フォークを持ち直して食べ始めた。なんとも一連の動作があどけない子供のようで可愛らしい。ヒートはおそるおそる、小さくフォークに巻きつけ、スパゲティを口に入れるともぐもぐと咀嚼し始める。そしてそれをごくん、と飲み込んだあと、ヒートは僕の方に目線を向けた。

「…サーフ、お前本当に自炊してないのか?」

「そんな面倒なこと、君みたいに器用にできるわけないだろ」

僕もそれに続いてスパゲティを口に入れると、オイスターのほどよい苦味と旨味が絡んだ麺の風味が口いっぱいに広がる。ガーリックがスパゲティをさらに引き立たせ、オイスターをより際立たせる。中々の物だろう、ヒートが驚くのも無理はないと自画自賛しているとヒートが突然静かにフォークを置いた。

「…すまない、サーフ」

悲痛な面持ちでヒートはサーフに謝罪の言葉を投げかけた。その顔は、教会の懺悔室で罪を聞いてもらっているあの愚かで哀れな彼らを連想させられた。

「いきなりどうした。僕は、お前に謝ってもらうようなことをされたかな?」

おどけた風に言うとまた慌てるようにしてしどろもどろになるヒートを落ち着かせ、ゆっくりと話をさせる。ヒートが罪悪感に足を取られているという事実にいい気はせず、罪悪感に対して憎らしいとさえ感じたが、今はなぜそんなことを言い出したのかを聞く必要があると思ったからだ。

「お前は俺なんかよりよっぽど優秀なやつだ。だから、俺みたいなのとつるんでるのはその…」

「その?」

「…周りもいい気がしないし、何よりお前が憐れみから俺と友人になってくれてるんじゃないかって言われて…」

言葉を濁らすヒートに、僕はバンっと机を叩いて、衝動のままに立ち上がる。その行動に驚愕の目を向けるヒートを、僕は苛立たしく感じた。
僕が憐れみからお前と友人になった?お人好しの考えにも程がある。僕は何も打算なく人と関わるようなやつではない。無駄なことはしない主義であるし、何より君より劣っている周りの評価を気にするなんて全くもって不愉快だ。

そうさ、君とは親友だ。完璧なるサーフ・シェフィールドを構成するために、この男、ヒート・オブライエンとは切っても切れない縁(えにし)を結ばなければいけないから、君と僕は何があっても、親友という鎖で結ばれた仲なのだ。

「周りがなんと言おうと、僕と君は親友さ。サーフ・シェフィールドとヒート・オブライエンは、唯一無二の親友。その事実に他人は干渉できない、そうだろう?」

「……そうだな」

ほっとしたように、胸を撫で下ろし安堵の笑みを浮かべたヒートに、僕の中の何がどくん、と波打った。その笑顔に見惚れている内にふつふつと、先の鍋の湯のように身体の底から湧き上がる何か。僕は何事もなかったように座り、その昂りを鎮めようと再びフォークにスパゲティを巻きつける。
ヒートの方を盗み見ると同じように食べ始めていて、ゆっくりと、スパゲティとオイスターを味わうように食べていた。オイルで艶やかに光る、唇に目が釘付けになる。フォークに絡むスパゲティをその口が咀嚼し、飲み込む時にはごくんと喉をならす。うっかり夢中になって見ていて、こちらに気づいたヒートと目が合い、咄嗟に普段通りの様子を取り繕った。

僕と彼は親友だ。しかし、一線を越えてしまえば、どうなるかなんてわからない。この鎖を外してまた一重、二重と別の鎖を掛け直そうとするならこれからの関係に支障をきたす場合だってある。でもこの時ばかりはどうしようもなかった。キャパシティの限界だったのかもしれない。僕が思案している内に食べ終わったのだろう、ヒートは満足げな様子だった。
その顔が、どう変わるのだろうか。

「ヒート」

「なんだ、」

ヒートが自分の名前を呼ぶ前に、無理やり立たせ、至近距離まで顔を寄せてからそのままかぶりつくようにヒートに口付けた。強いアルコールの匂いにクラクラしたが、離れようとは思わなかった。狭いテーブルがこれ程までに好都合だと思ったことはない。一心不乱に、立ち上がらされ状況を把握し切れてないヒートの口内を犯すと、徐々に彼は顔を真っ赤にさせて、僕の肩を力強く押したためそのまま自分の席に押し戻された。

「っなにすんだ、サーフ!」

ヒートは立ち上がったまま、キッと目に涙を浮かべ、怒ったようにこちらを睨んだが、迫力がなければむしろ小動物が自分を恐れているようなあまりにも滑稽とも思える表情だった。

「ひどいなあ、僕ら親友だろ」

「それとこれとは…!!」

言い淀むヒートに追い打ちとばかりに、普段の僕とは対照的な悲しげに、弱々しい印象を与えるられるように、自信がなさそうな小さな声で話し出す。


「…どうやら僕は、ヒートが好きなようだ」

彼がまたしても驚いたのが分かった。僕は彼が自分よりも年下の存在には弱いということを身を持って知っていたので、抵抗はないと思ったが、まさかここまでとは。これでは勘違いされてもおかしくないぞ、とどの口が言うのかという台詞を頭の中で浮かべた。

「ねえ、こんな僕でもまだ"親友"でいてくれる?…嫌なら断ってくれていいし、金輪際君と関わらない」

どうする、ヒート?と選ばせているようで、主導権のある僕がヒートの選択肢を奪う。優しい優しいヒートはそんなこと夢にも思っていないだろう。僕の期待していた通りの答えを出した。

「…………お前のこと、親友だと思ってる。…別に嫌じゃなかった、し…」

長い沈黙の後、迷いが伺える返答であったが及第点ともいえる言葉だった。まだヒートの中で僕の存在は大きなものであることに変わりはないようで、ついほくそ笑んだ。

「そうかい、ありがとうヒート」

僕はそのまま赤い顔で俯いているヒートの顔に空いていた手を添え、誘導するようにこちらへ向かせる。困惑しているような、期待しているような。そんな色を帯びた瞳を見て、僕はやはり彼を面白いと思った。


冷めたパスタはもう既にダストボックスへいくことが決定していた。僕はもう食べないし、彼だってお腹がいっぱいだろうから。
必要なかったら捨て、要る物は手元に置いておく。
それでいいじゃないか、今も、これからも。だから僕と彼の関係は、いつ要らなくなるかで終結するものにしなければいけないのに。

ヒートは僕が固まったのを見て心配そうに見つめてきたが、気づいた僕が視線を送ると安心したよう、心配させるなと言いたげに頬を少し膨らませた。
彼は、僕をどう思っているのか。
同じ境遇に立つ親友?それとも、…後者の考えならば出来すぎたものだな。

今はこれでいいと言い聞かせて僕はヒートにまた口付けた。抵抗は、なかった。




静かになった部屋には、どちらのものとも分からない心音だけが響いてた。








Soluble in liqueur:リキュールに溶ける


End


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