パンドラパラドックス(後)
「やあ、来たね」

そう言って先ほどと打って変わって優しげなシェフィールドの隣には、清潔感溢れる白いベッドと黒髪の少女ーーテクノシャーマン19号、もといセラが寝かされていた。

すでに十代前半のように見える彼女だが、これでまだ、自分たちのおよそ半分の年も生きていない。忌まわしい実験のせいで、その精神、実年齢とともに身体年齢が噛み合っていないのだ。セラの黒い目が、こちらへと向けられる。ぼんやりとヒートを見たが、すぐにシェフィールドの方に視線を戻されてしまった。

「セラ、君がさっき神と交信している時に何か変わったことはなかったかい?」

そうシェフィールドが優しげな声で問いかけると、セラは虚空を見つめてからもぞり、と動いて起き上がった。患者用の衣服から覗く白い腕には無数の注射の痕が残っていて、ヒートは憤りを感じ、唇を噛み締める。

「架空のものを手に取れたら、って思ったらお日様がね、やり方を教えてくれたの。ここの機械が壊れないように、調節しながらやってね、…先生、気付いてたの?」

恐々と、自分のやったことに対してまるで悪戯をした後のように心配そうに告げるセラは痛々しかった。それはそうだろう、実験の時も上手く行かなければセラのせいにされ、上手く行ってもセラ以外には理解できないのだから、彼女は怒られたり苛立たしげにされるのが怖いのだ、と気づいたのはほんの数か月前だ。それを知っているシェフィールドは、今後にマイナス要素を与えるようなことはしない。

「大丈夫だよ、セラ。でもそれで僕らは困っているんだ。…戻すやり方とかは、聞いているのかな?」

「…あれは長くは続かないの。精々、1日が限度。長い間使えないし、そうじゃないと狂っちゃうんだって」

何が、とはセラは言わなかったが、しばらく様子を見るしかないということが分かっただけマシだろう、ヒートはそう聞いてホッとした。サーフが辛い思いをして帰らなければいけないのはなんとなく、嫌だったからだ。
ヒートとシェフィールドが黙っていると、セラはおずおずと「あのね、」と小さく話しかける。

「よかったら、その…見せてほしいな」

はにかむような笑顔でそう言われて、ヒートとシェフィールドはその場で顔を見合わせた。




ーーー


「わぁ…!すごい、本当にサーフなんだ」

感激するように言うセラは、年相応に楽し気で見ているこっちも楽しくなるとヒートは思った。表情が一切動いていないサーフも、初めて見るセラに興味があるのか、しげしげと見つめている。

「ね、サーフはあっちの世界で頑張ってるんだよね」

「…あっちの…?」

慌てて、「サーフがいた所のことだ」とヒートがフォローにはいって、サーフはあぁ、と理解したように頷く。

「ボスとして、皆を連れてニルヴァーナへ行かなければいけない。それが、掟だからだ」

淀みなく、サーフが言うとセラは悲し気にそっか、と目を伏せた。ヒートはその様子を見て、何か言ったほうがいいのか、と口を開こうとするがその前にシェフィールドが動いた。

「セラ、今日は疲れただろう?明日のためにも、ヒート先生に診てもらって、今日は休んだ方がいい。いいかな?」

シェフィールドは有無を言わせない雰囲気で、しかしそれでいて威圧感を出すわけでもない、誘導するように言うと、セラも大人しくそれに従う。

「じゃあヒート。検診が終わったらカルテはいつも通り彼女に渡しておいてくれ。…僕は彼と話があるんでね」

そう言ってシェフィールドはサーフを引っ張って、何処かへ行ってしまった。

「…サーフはあれで幸せなのかな」

「幸せ、だと思うぞ」

セラの独り言にとっさに反応してしまい、セラには不思議そうな目を向けられるが、ヒートは言葉を続ける。

「サーフはあんな環境に置かれていても自分を持っていられるから、幸せだよ。…生きながら死んでいるような、今の人類より、よっぽど」

少し口が滑った、と思ったがセラには理解し難い部分もあったのか小さく呻くようにして考えこんでいた。それを見て微笑ましいな、とつい顔を綻ばせると、セラは驚いたように声を上げる。

「ヒート先生も、笑うんだ」

ぽろっと出てきた一言に、セラはさらに続けて、
「ヒート先生は、笑ってた方がいいな」
と率直に感想を述べた。言われたヒートは、そうか?と自分の頬をつまんだりする。その様子が面白かったのか、セラはふふっとまた笑みをこぼした。
























カツカツカツ、とサーフがもう一人の自分に早歩きで連れて来られたのは、ディスプレイとコンピュータが所狭しと並べられた部屋だった。そこでシェフィールドが、手近にあったコンピュータの電源を苛立たしげに点ける。

「お前を見てると本当にムカつくよ。何も知らなくて幸せそうなのはーー気に食わない」

その言葉は呪詛のようでもあって、本能的にサーフは少しシェフィールドとの距離を開けた。しかし彼はお構いなしにカタカタとキーボードを叩いて、ニヤリと笑みを浮かべる。

「見てみろよ、お前が住んでいるとこだ」

シェフィールドは、ディスプレイを見るようサーフに指示をする。サーフが言われた通りにそのディスプレイを見ると、なんとそこには数時間前まで自分がいたところの様子が映っていたのだ。しかも、エンブリオンのメンバーも次々に映されていく。これにはサーフも動揺した。どういうことなのか、と後ろを振り向くとシェフィールドは心底面白そうに、喉を鳴らした。

「お前らAIは所詮さっきの小娘に作られた、人形なんだよ。分かるか?お前らは作られた存在、いわばコピーにしか過ぎないんだ」

「…違う!」

「何が違う?お前らは言われた通りに戦い、頂点を目指しているんだろう?そこに自分の意思はあったのか?ないだろう?
あんな夢見る少女に作られたんじゃ、到底人間性なんて無いに等しい」

真似事なんだよ、おままごとと同じだ。


吐き捨てるようにシェフィールドは言った直後、サーフの方へ歩み寄り始めた。一歩、二歩、ゆっくりとだがサーフへ近づいてくる。
逃げなければ、ここでは勝機がないとサーフは察したが、この部屋はロックをかけられたばかりだ。さらにサーフはここの地形をまだ把握できていないため、圧倒的不利な状況で追い詰められてしまった。

「…僕は神の力を手に入れるためにここにいるんだ。そう、計画の邪魔になるものは排除しないとね。」

かちゃん、と何か光るものがシェフィールドの手に握られる。ーーナイフだ、それも果物ナイフなどではない、ジャンクヤードで目にしてきた、圧倒的な殺傷能力を持つ特化型のナイフだ。

「"僕"が僕に殺されてしまうなんて、どこまで神は僕のこと嫌いなんだろうね。
…心配しないで、ここでの怪我は後でバグとして処理しといてあげるから」

振り上げられたナイフを間一髪で避けるが、このままでは埒が明かない。どうすべきかーーと参謀がいない中で最善策を考えようとした時、電子音が鳴り響く。

「サーフ、シェフィールド!何をやってる!?」

電子音が鳴り響き、ドアが開いてそこへいたのは、白衣を身に纏って、顔をしかめ、息を切らしながら声を荒げるヒートの姿だった。

「…何って元居たところに返そうとしただけだ」

「セラはほっとけば元に戻るといっただろう?!なぜわざわざサーフを傷つけるようなやり方で…!」

「気に入らないから」

ふらりとヒートの方へそのナイフを持ったまま向かうシェフィールドに、サーフは咄嗟にヒートを庇うようにして前へと出る。

「おっと、ナイトを気取るつもりかい?生憎だけど、彼にはも相手がいるよ。…君の目の前にいる奴がそうさ」

「それでも、俺は守らなければいけない。…ヒートをあんな顔をさせるお前は、本当に、守れていると思っているのか?」

「…黙れ!」

刹那、シェフィールドは持っていたナイフを振りかざしーーそのままヒートを庇うようにしていたサーフの腹部へと刃を突きたてた。ずるり、とそれを抜くと、サーフの腹からはしとどに真っ赤な血が流れる。

「サーフ!!」

駆け寄るヒートに、サーフは少し笑みを浮かべる。その様子は、今置かれている状況にしてみれば不自然極まりないことだったが、ヒートはそれを言うことなく、ひたすらにサーフに声を掛ける。
シェフィールドはと言えば、自分のしたことに対してなんとも思っていないようで、ヒートは絶句の表情を浮かべた。


「…大丈夫だ、ヒート」

穏やかにそう言うサーフは、ヒートの頬へと手を伸ばす。

「お前はいつも悲しそうだ。…その顔。お前には似合わない。もう一人の方の俺がどんなに嫌なやつでも一緒にいてくれる、お前は不思議なやつだ。…温かくて、優しいお前なら、変えられることもある」


そういって、サーフが取り出したのは彼の体の一部でもある、ハンドガンだった。冷たい銃身が、ヒートの手のひらへと乗せられる。


「だから大丈夫だよ、ヒート」

「サーフ…っ!」

微笑んだ瞬間、サーフの周りがキラキラと輝き始める。
ここまでのようだ、とサーフは他人事のように考えた。ふと見上げるとヒートの目からは、とめどなくポロポロと涙が落ちていく。

「また会える。だから、泣かないでくれ」

サーフは意識が薄れる中で、自分を労る手へとそっと、唇を落とした。ありがとう、という感謝の意と、自分の想いを残せるように。





ふっ、と暗闇の方へ意識が傾いてそのままーーサーフは眠るように、落ちた。その時見えたヒートの顔はまるで憑き物が落ちたように、迷いのない眼差しをしていた。











ーーー








「さぁ、君を縛る亡霊を倒し、自由になれ」

サーフ、と呼んだ彼は今や実態もなく、そこへ佇むだけの存在になっていた。彼の目の前には黒く染まった自分と、白く染まった自分が立ち塞がる。
情報になったことを認めない、自分の意思を持たない彼らは、今のサーフを縛る鎖だ。ヒートは払いのけるように、右手を振り下ろす。


「…そして、もう一人の俺を開放してやってくれ」


彼はそう言って、双頭の紅い悪魔ーーアグニへと変身する。ああ、彼はやりきれなかったのか、と直感で感じ取ったサーフはその言葉に頷く。アグニになろうとも彼は、穏やかに、それでいて意思を持っているのだ。

『サーフ、お前の言う通り、変えられたのかもしれないな』

人間態であったならきっと苦笑しているのだろうヒートを想像して、サーフは少しばかり懐かしさを感じた。そして、素早く身構える。

頬から全身に掛けて、力がみなぎってくるのが分かる。この力で、今自分を縛るこの鎖を引きちぎるのだ。

楽園は、もうすぐそこにあるのだから。











end








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