「…とんだことになったな」
知識的に専門外な出来事に立ち会ってしまった場合、人はどのように行動するだろうか。何もしないで場が収まるまで待つか、その筋に詳しい人に聞くか。そういった手段を取る方が効果的だというのは分かってる。だが、この状況ではそれも望めそうにはないらしい。
「ここはどこだ?…お前は、ヒートじゃ…ないな」
目の前にいる戦闘服のようなグレーのスーツに身を包んだ銀髪の端正な顔立ちが、こちらを見る。何処かで見たことある顔だと思ったのは実在の人間を元に作られたAIだからであり、そして彼の名はーーサーフと名付けられていた。
そんなAIサーフは突然、ヒートの部屋に現れたのだった。とりあえず、問われたことに答えようとヒートは口を開く。
「ここは、EGGの施設の中だ。…俺はヒート・オブライエン。ヒートではないが…」
お前の知ってる方のAIヒートのモデルだ、と言おうとした時、銀髪のサーフの顔が険しくなった。彼が見つめる先にはドアがある。そして次の瞬間、そのドアは静かに、解除されたという合図の電子音を鳴らして、開いた。
「ヒート、遅いじゃないか。検診時刻の5分前にはセラの所に居る君が来ないなんて。どこか悪いとこでもあるのかい、」
皮肉を並べながら我が物顔でヒートの部屋へ足を踏み入れた人物ーー彼こそが今、自分の部屋に出現したAIサーフのモデル、シェフィールドの方の、サーフである。彼は、ヒートの他にもう一人の来客に気がつくと、まるで苦虫を噛み潰したかのようにAIサーフと瓜二つの端正な顔を歪めた。
「…おやおや全く、悪趣味な。君には男を、それも親友と似た顔の男を連れ込む特殊な性癖でも持っていたのかい?知らなかったな、君の性癖に口を出すつもりはないがここへ来てそういうのはーー」
「…お前、勘違いも甚だしいぞ」
何かを勘違いし始めたシェフィールド(こちらの方が呼びやすいから彼のことはそう呼ぶ)を一蹴し、ヒートはサーフ(AIをつけるよりこちらの方が親しみやすい)を指差し、説明する。
「…なるほど。つまりはあの女神様のお人形か。どうりで、嫌になるくらい僕に似ているわけだ」
「そういう言い方はよせ。でも、お前なら原因分かるんじゃないか?」
ふむ、と考え込むように顎に手を添え考え込むシェフィールドに、ヒートの脇にいたサーフは落ち着かなさそうにしてヒートに問いかける。
「こいつは、誰だ?…俺に似ている」
シェフィールドを指差し、視線を向けてくるサーフに、ヒートはどう説明すべきかと悩んだ。自分たちが作られた世界の、造られたヒトだと知ったら、それこそ元の世界に戻す際に支障が出るのではないか?と。それならば、さっきヒートと自分の関連について言わなくてよかったなと少なからずシェフィールドに感謝した。
「ん?あぁ、僕はサーフ・シェフィールド。君とはそうだね…他人の空似、ってやつさ。君にしてみれば僕はドッペルゲンガーとも言うかもね。…まあ正確にはドッペルの方が本物なんだけれど」
思考していたシェフィールドが、こちらの視線に気づいたらしく顔を上げて、自分とサーフとの確信的な紹介は避けてよろしく、と彼の方に右手を出した。しかし、その手をどうするともなく、サーフはシェフィールドに問いかける。
「…この手はなんだ?」
「コミュニケーションの基本だよ、握手って言うんだ」
「握手……」
すると何を思ったか、サーフはシェフィールドの出した右手を強く握りしめ力強く振ろうとする。慌ててヒートが止めに入り、なんとかシェフィールドとサーフの握手を無事に済ませたが、シェフィールドは不機嫌そうな様子でヒート、と名前を呼んだ。
「少しぐらいこっちの礼儀を教えておいてやれよ。まるでモデルの僕が粗相をしでかしてるみたいで、不愉快だ」
「それはすまなかったな。突然のことでそんなこと、気にしてる余裕もなかった。…そう言えば、俺を呼びに来たんだろう?セラの検診の時間、もう3分も過ぎてる」
何が気に食わないのか、分からなくもないがシェフィールドは舌打ちをしてから乱暴に、カルテをこちらに放り投げる。
「最近はセラーーテクノシャーマン19号も調子がいいようでね。
多分、今回の原因にはそれがあると思う。中枢で情報量がEGGの限界まで限りなく近くなった時間が丁度30分前。19号が交信をしてからだ。今は正常値だけど、その時にでも出て来てしまったんじゃないか?…入れ物も無しでね」
黒き太陽から受ける情報というのは膨大だ。それが関わってしまえば何が起こるかなんて、人間の範疇を軽く超える。あまり科学的なことは分からないが、ヒートにだってあんな凶病を引き起こす原因がどれくらい強大なものかなど、言われなくても分かる。そう仮定したらしいシェフィールドは、クローゼットに丁寧に掛けられていた白衣を剥ぎ取って、ヒートに寄越す。
「セラがお待ちかねだ。これについて彼女に聞かなければいけないことがある、早く来いヒート」
そう言って、シェフィールドはすたすたと歩いて行ってしまった。ヒートも、寄越された白衣に袖を通して、カルテを持って部屋から出ようとしてから突っ立ったままのサーフに呼びかける。
「サーフ、お前も行くぞ」
「分かった」
素直にサーフは頷いて、ヒートの後ろをついて行くようにして歩き始めた。
ーーー
行く道中に、ぽつりとヒートが言葉を零した。
「……あいつは変わってしまったんだな」
誰もいない廊下でも、よく聞いてなければ足音に消されてしまうくらいの本当に小さな声で、彼はそう呟いた。
「彼とは、誰だ。…さっきの俺と似たやつか」
そうヒートに問いかけると、聞かれてたことに気づかなかったのか珍しい翡翠色の瞳を大きく見開いて、驚くような表情をする。
「聞いていたのか」
「小さな音でも見逃したら命取りだ、と俺は思っているからな」
そう言うと、彼は立ち止まってこちらへ振り返るようにして哀しそうに、微笑んだ。
その時、自分の胸の内でドクン、と大きく心臓が跳ねるような感覚に襲われる。敵を倒した時のあの高揚感のようでいて、どこか肺が詰まって息が苦しいような、そんな感覚に襲われた。こんなのは初めてで混乱し掛けていたサーフだったが、ヒートがもう一人の俺を肯定するかのように話し出した為、その言葉にハッと我に返ることができた。
「あいつは、本当はいいやつなんだよ。俺が疑われた時だって、助けてくれたんだ。…あんな、怖い奴のはず、ないんだ…」
「…ヒート」
彼は自分の知っているヒートとは違う。ヒートはあんな表情はしないし、何より彼のように護りたくなるような人間をジャンクヤードでは見たことがない。誰しも戦い、勝つために特化しているからか、どこか人として欠けているような印象を持つこのヒートは、今まで見たことのない種類の人間であった。
「……すまん。変なこと話したな、セラはこの先のラボを入った右の部屋にいる。きっと、水から出たばかりだから疲れているだろう。シェフィールドに行ってもらったが、先に俺が入って事情を説明してこよう」
そう言うと、ヒートは駆け足で行ってしまう。サーフはその様子を眺めながら、整理のつかない考えにモヤモヤとした思いを抱きながら、ヒートを待った。