08| 恩寵を君に
「そんな格好して…どうしたの椿?」
時刻は十二時半。空腹を感じて自室から出てみれば、 少し離れたところにいる普段見慣れない彼の姿に、呆気にとられながらも#変換してください#は問いかけた。 それもそのはずだ。和服を好み、普段から着物しか着ていない椿。 だが、今目の前にいる椿は卸したての真っ白な背広に腕を通したところだった。
黒いネクタイを締め、綺麗に磨かれた革靴を履くその姿は 立派な資産家のような風格を醸し出していた。
「ああ、#変換してください#……ちょうどよかった。今、#変換してください#の部屋に行こうと思っていたんだよ。」
颯爽とそう言いながら近付いてきた椿に少し見とれながらも、#変換してください#自身も椿へと歩み寄った。 二人の距離が詰まるのを見計らって椿が答える。
「ちょっとこれから、ある人と会談があってね。少し面倒だけど、必要なことだからさ。」
と、語尾に溜息を混じらせながら肩を落とした。 なるほど。相手に見合った服装をしているというわけだ。
「そうなのね。椿のスーツ姿なんて初めて見たからびっくりしたわ。」
「ああ、そういえばそうかもね。元々着る機会もあまりないし……変?」
一瞬自分の服装に目を落とすと、椿が尋ねてきたので、 #変換してください#は口元に笑みを浮かべながら素直な感想を口にした。
「見慣れないから不思議な感じがするけれど、とっても似合ってるわよ?」
「そう?じゃあ、これからは普段からスーツとか洋服着てみようかな。」
「でも、あんまり長い間かっこいい椿と一緒にいたら、私が緊張して疲れてしまうかもしれないわね。」
ふふ、と口元を手で軽く隠しながら#変換してください#が笑う。
その様子とかっこいい、という言葉に少し驚いた椿。その言葉の真意を確認しようと口を開いたところで 突然後ろから声を掛けられた。
「若…そろそろ出発のお時間です……。」
「え?…あ、ああ、本当だ。ありがとうシャム。」
腕時計に目を落とすと合点がついたようで椿はシャムロックから差し出されたコートを受け取る。 そして名残惜しそうに#変換してください#へと視線を戻した。
「じゃあ、行ってくるね。帰りは遅くなると思うから。」
「そう…。気をつけてね、……いってらっしゃい。」
「……。」
見送りの言葉を掛けたつもりだったが、椿はそのまま#変換してください#の顔を見たまま黙っていた。
不思議に思い、首をかしげるとその行動で意図を察したのか椿が話す。
「ああ、ごめん。なんか本当に夫婦みたいだなって」
「えっ?!」
「わ、若…や、やはりお二人は……!!」
「あはは、なんてね。じゃあ、行ってくるよ。」
そういって踵を返した椿はそのままエレベーターのある方向へ歩いていった。 一瞬出遅れたシャムロックも、#変換してください#に軽く一礼すると、椿の後を追い駆けていった。
ぽつん、とその場に取り残される#変換してください#。 つい先ほどまで賑やかだったのが嘘になるくらいの静けさだ。
椿の言葉と今朝の一件の事もあり、収まっていたはずの羞恥心がこみ上げてくる。 両頬に手を当ててみれば掌にじんわりと熱が伝わってきた。 また椿にからかわれてしまったと思いながら、気持ちを落ち着かせラウンジへと向かい歩み始める。
ラウンジへと着くと、窓へと近づく。 このフロアは最上階とあって、ラウンジに相対するこの壁にあたる部分は一面ガラス張りとなっている。 その為、ここからは東京を一望することが出来た。 右手でぴたりとガラスに触れてみる。一瞬無機質な冷たさを感じた。 そこから下を覗いてみれば、目の前の大通りは車や人で溢れかえっていた。
椿が一日いないのならば、これは外出するいい機会かもしれない。 とりあえず昼食をすませたら、町へと行ってみよう。
「スリーピーアッシュ……。」
何か彼に繋がるヒントを見つけられると信じて。
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