34| 恩寵を君に
「ふぅ……まあ、こんなもんかな?」
一通りの部屋の掃除を終えた真昼は、辺りを見回すと満足げに一言そう呟いた。
先週も一度掃除をしに戻ってきていたとは言え換気に始まり窓や床の水拭き、トイレ掃除に加え、天気もよいことから布団を干すところまで完遂してしまったところを見るとクロに主夫と言われても返す言葉もないと呆れ気味に自嘲した。そんな苦労もあってか、二時間も掛からずにあらかたの部屋の掃除は片付いたのであった。
#変換してください#がこちらへやってくるまでにもまだ時間もある。何かやっておくことはないかと考えを巡らせていると先ほど #変換してください#から送られてきたメールの文面が思い浮かんだ。
「そう言えばロールケーキ持ってくるとか言ってたっけ…。だとすると、紅茶とか出したほうがいいよな」
普段は紅茶を飲まない習慣の城田家には、当然茶葉など常備してあるはずもなく思い当たる棚を探ってみれば簡素なティーパックが一つだけ。
「こういうのって賞味期限とかあるのかな…?」
恐る恐るティーパックの入っていた箱をくまなく見てみれば、どうやら期限はまだ切れていないようだが客人に出すには少々気が引ける代物だ。しばらくキッチンでどうしたものかと首をかしげていた真昼はちらりと、部屋にあった掛時計に目を向けた。
まだ約束の時間までにはだいぶ余裕がある。
そう言えば、確か近所に最近出来たという洋菓子店を覗いた時に数種類の紅茶も置いてあったような気もする。わざわざ買いに行くのか…と言う思いもあるがクロの知り合いのようでもあるし、何よりあんなに綺麗な人をもてなすのだから…と少々ズレた考えも従えつつ「よし!」と意気込んだ真昼は鞄を手に家を後に駆け出した。
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「ごめんなさいね、ここまで付き合わせてしまって」
#変換してください#は静かな住宅街に沿う並木道を並んで歩いていた桜哉に声を掛けた。
「別にいいっすよ。この辺結構同じ景色が続くから迷う人多いらしいし……。俺も最初来た時はさっぱりだったんで」
表情を変えずに辺りを視線を移す桜哉は、時折懐かしそうに目元を細めた。
「桜哉もよく真昼と一緒にこの道を歩いていたの?」
そう問いかけると、一拍の間を空けて桜哉が静かに答えた。#変換してください#とは反対の方向へと視線を向けている為、ここからは桜哉の顔を伺うことは出来ない。
「……まあ、ついこの前まではそうでしたけど」
前方へと視線を戻した桜哉は、遠くを見つめ何か思い指すような眼差しでこう続けた。
「……少し間があくだけで、こんなに懐かしく感じるものなんだな」
「思い入れのある場所だからこそ、そう思えるんじゃないかしら」
「……。」
桜哉の沈黙が続いたが、 #変換してください#にはそれが肯定のようにも受け取ることが出来た。
桜哉と真昼との間に何があったのかを #変換してください#は知らない。
それでもお互いがお互いを大切に思っている事、大切に思っていてもどうにもならない状況下になる事はなんとなく感じ取る事が出来た。二人の為に何か出来ないかとも思ったが、自分が踏み込んでどうにかなる問題ではないのだろうと #変換してください#は悟った。
平日の昼という事もあり、住宅の建ち並ぶこの道を歩くものはほとんど居なかった。社会人は働きに出かけ、夏休みである学生達はどこか遊びにでも出掛けているのだろう。あまり人通りの多い大通りからは離れていないはずだが、こちらは随分と穏やかに時間が過ぎているように感じる。
ふと、隣で桜哉が足を止めたのでつられて #変換してください#もその場で立ち止まった。
問いかけるように桜哉の方を見てみれば、桜哉は前方へと視線を向けるとその先をゆっくりと指差した。
「あそこの十字路を右に曲がってすぐに、真昼のマンションがありますから。じゃあ俺はここで」
「分かったわ、わざわざありがとう」
#変換してください#が礼を告げると桜哉はそのまま踵を返し、今来た道を戻るように足を踏み出した。
あまりこの場には居たくないような様子でそそくさと姿を消そうとする桜哉の後ろ姿を見て思わず #変換してください#はこんな言葉を投げ掛けてしまった。
「桜哉!」
#変換してください#が呼び止めると、桜哉は振り向くことなくピタリとその場で足を止めた。 そして #変換してください#はこう続ける。
「桜哉は、真昼に会わなくてもいいの?」
さあ、っと辺りの草木を揺らすそよ風の音が際立って聴こえる。お節介な事をしている事は #変換してください#にも分かっていた。きっと桜哉にとってはこれ以上は踏み込んで欲しくない領域なのだ。けれど、何も知らないまま気付かない振りをしているのも #変換してください#には耐えられなかった。
「……俺はいいんです。今の俺には、真昼合わせる顔がない。」
微かな声で桜哉はそう言い残すと、再び歩み出す。 桜哉はどんな想いでこの言葉を吐いたのだろうか。 #変換してください#はまだ何も知らない。
どうすれば彼の力になれるだろうか、と漠然とした考えだけを胸に抱え桜哉の後ろ姿を見つめながら #変換してください#は自分の無力感にただただ立ちすくむことしか出来ないのだった。
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