novel | ナノ


32| 恩寵を君に




静かになったフロアのラウンジには窓越しに広がる夜景を神妙な顔で見つめ、佇む修道女の姿が一つ。ベッドで眠っていた椿を一人残し部屋をあとにした #変換してください#はラウンジへと足を運んでいた。



高層ビルが立ち並びそれぞれの建物の織り成す窓の灯りが一つの芸術的な照明のようにぽつりぽつりと小さな光を灯している。ここから見える景色はまさに“都会”と一言でまとめてしまえば簡単だが、厳密に言うのであれば現代が人工的に作り上げた景色なのだ。

何百年と昔の古びた低い家屋の立ち並ぶ日本の風景を知っている #変換してください#からしてみればそれは驚くべき変化とも言えるだろう。故郷の変貌を共に分かち合える存在も刻一刻と減ってきている。あと数十年もすれば、そんな話を人間達とすることも出来なくなるだろうと #変換してください#はこの町並みを見る度にしみじみと感じるのだった。


そんな考えにふけっていると、両の手のひらで握りしめていたスマートフォンが突然振動した。驚いてその画面を見てみれば、午後十時になったことを知らせるアラームが作動していた。

修道院での生活から一変した日本での生活にもそろそろ慣れてきたが、いつも就寝前の日課である祈りの時間を忘れないようにと念のためアラームをかけるようにしていたのだ。
もうそんな時間なのかと一人、時の速さに驚きつつも作動していたアラーム機能を停止させた。

そのままスマートフォンの画面を指でなぞり、とある人物の登録情報を表示させた。





――城田 真昼。





脳裏に数時間前に会ったあの活発そうな短髪の少年の姿が浮かんだ。

彼が現在の“クロ”の主人。
クロの隣に立っていたせいかとても幼くも見えたが、真っ直ぐに覗き込む大きな瞳からは誠実そうな印象も受けた。

…彼なら話を聞いてくれるだろうか?



不安な気持ちを振り払うように考えを払拭する。

違う、何とかすると決めたばかりではないか。
そう自分を奮い立たせると、 #変換してください#はスマートフォンの画面に戻った。
この時間に突然電話をかけるのは迷惑だろうか、と考えた #変換してください#は電話ではなくメールを送ってみることにした。




メールならば電子機器に不慣れな #変換してください#であっても一度文面を確認してから送ることも出来て、咄嗟のことに慌てる必要もない。相手も都合に合わせて読む事も可能となるためそれが最良だと判断したのだ。


何より、真昼の方は #変換してください#の連絡先を知らないのだ。警戒されてしまう事態は避けたい。
返事をもらえなかった時のことはまた考えようと思い、ラウンジの窓際に近い席に腰掛けると先日桜哉に習ったばかりのやり方で新規のメールを作成した。



文面は簡潔に。

突然の連絡で驚かせてしまい申し訳ないこと、
クロの主人である真昼にお願いしたいことがある、
出来のであれば真昼と二人で話がしたいこと。

要点をこの三点に絞り、内容をまとめた。


こうじゃない、ああでもないと打ち込んでは消しての繰り返しで思うようには中々いかず、四苦八苦しながらも何とか相手にも伝わる文面になった頃には四半刻ほどの時間が経過していた。もう一度内容を見返し、誤字脱字や失礼のない事を見直すと「よし」と一言漏らし気を引き締めると送信のボタンにそっと触れる。無事にメールが送信された事を確認すると、 #変換してください#はほっと胸を撫で下ろした。

気が抜けたのが、全身の力が抜けたように椅子の背もたれに身を預ける。そのまま天井を見上げ瞳を閉じ、一息深いため息をついてみれば今更ながら眠気がこみ上げてきた。思い返してみてみれば、今日一日はとても長く感じられる。予想外の出来事に自分の想像以上に疲れていたのかもしれない。


真昼からの返事が来るまで、せめてシャワーを浴びるまでは眠るわけには……
という #変換してください#の思いも虚しく、静かにそして緩やかに #変換してください#の意識は遠のいていく。












そのさなか、クロの姿が浮かんだ。



夢なのかどうかも分からない現実と深い深層心理の間の一幕。



クロは一見すると無表情にも見えるその顔には、憎しみや悲しみ、切なさや寂しさと言った様々な暗い影を宿しているように思えた。




ごめんなさい
ごめんなさい


二人きりの暗闇に包まれたその空間で #変換してください#はただその言葉を口にしていた。
しかし、クロはただ何も言わずこちらを見つめているだけだ。


私の代わりにあなたにはたくさんのものを背負わせてしまった


クロの頬へと伸ばしたその手が触れることはなく、クロは静かに深い闇へと溶けていく。
空を切る #変換してください#の手が、クロを追うがそれが届くこともない。
暗闇にクロは消え、その空間には #変換してください#一人が取り残された。






だからどうか私を、許さないで―――…






#変換してください#の意識はそこで静かに途絶えた。








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