31| 恩寵を君に
宿泊している東京ワールドツリーホテルへと帰ってきた #変換してください#は、桜哉と自室の前で軽く挨拶を交わすとそのまま別れた。
自室の扉を開けると、室内の照明が点いていることに気がつく。
部屋を出る際にはいつも照明を消したのを確認している為、消し忘れというのは考えにくい。 僅かに #変換してください#に緊張が走る。少し強ばった身体で奥の部屋へと足を進めるとそこには、見慣れた人物の姿があった。
「椿?」
メインルームのベッドに横たわる椿に声をかけたが、反応はない。緊張の糸が切れた #変換してください#は音を立てないように気を付けながらベッドへと近付く。
そっと顔を覗きこむと、案の定椿は静かに寝息をたてていた。
なぜここで椿が寝ているのかという疑問は拭えないが、無防備に眠る彼の寝顔に #変換してください#は頬を緩ませる。そして目を覚まさないように静かに布団を掛けてあげると、ベッドの端に腰を下ろした。そのまま少し身体を捻る状態で、傍らで眠る椿を見下ろした。起きる様子もない椿の艶やかな黒髪にそっと触れるとゆっくりと髪を撫でる。昔から椿を寝顔を見るとこうしてしまうのが、 #変換してください#の癖になっていた。
椿と初めて出会ったのは300年程前の事だろうか。
冬の冷たい雨の降る夜に、外出から帰ってきた先生が抱き抱えて来た小さな少年が椿。 椿は気温と雨に晒された事で冷えきっており、小さなその身体はひどく傷つき出血もひどく虫の息だった。そんな椿を先生は手厚く手当てし、何とか命を繋ぎ止めたのだ。 しかし炎症反応が酷く椿は熱にうなされる日々が続いが、そんな椿に寄り添い、 #変換してください#も寝る間を惜しんで付きっきりで看病をしていた。まだ小さなその手を握り、髪を撫でて寝かしつける事しか #変換してください#には出来なかったがただ傍にいてあげたかったのだ。自分勝手な行動だとは自覚していたが、ただ何もせず見ていることなんて出来なかった。
そんな事が続き、気が付けばいつの間にか椿の寝顔を見ると そうしてしまう癖が今でも抜けないでいる。
たまに椿本人からは、『子供扱いしないで』と注意もされるが彼が本心からそれを言っていないのが伺える為、 #変換してください#も治す気はない。
物思いに耽りながらクセのない真っ直ぐな黒髪を指で梳くとくすぐったかったのだろうか、椿の瞼がぴくりと反応したが目を覚ます事はなかった。再び規則正しい寝息をたてる。椿の髪から手を離すと、その寝顔を #変換してください#は優しい眼差しで見つめた。
静かに眠る椿を見て #変換してください#は素直に愛しさと、守りたいという気持ちが浮かんだ。
守らなければ 他でもない私が、彼を。
膝の上で祈る様に組んだ両手に自然と力が入る。 先生がいなくなったあの日から、そう思ってきた。
椿が間違っているのだと言うのなら 私がそれを正してあげないと。
でも、正しい道とはなんだろうか…? 正解なんてあるのだろうか。
#変換してください#の揺れる心を更に煽るように、先ほどクロからの言葉が脳裏をよぎる。
私は、無力だ。 いつだって無力で何も出来ない。
修道服の右側のポケットにしまわれたスマートフォンを布越しにそっと触れる。 桜哉から教えてもらった、怠惰の真祖……クロの主人である城田真昼の連絡先。 もう遅い時間だが、なるべく早く連絡をとりたいところだ。
図々しいと思われるかもしれない。 また、クロには失望されるかもしれない。
でも、今度こそ守ってみせる。
「私が……椿も、みんなも守るから」
そう決心すると、 #変換してください#は静かに立ち上がる。
ベッドサイド脇の備え付けの棚に置かれた、小さなベッドサイドランプのみを灯させると室内の照明自体の電源は切り自室を後にした。
パタンと静かに閉じられた扉の音を聞くと、椿はゆっくりと瞼を開く。
暗闇の中で、ベッドサイドランプの淡い橙色の灯りだけがその存在を主張していた。 再び静寂に包まれた室内で椿は #変換してください#の呟いたその言葉に返すようにそっと呟いた。
「……大丈夫。 #変換してください#だけは僕が守るよ」
その言葉は誰の耳に触れることもなく、夜の闇と静寂の間に溶けていった。
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