26| 恩寵を君に
「おい!……いいのか?」
隣でクロを呼び止めていた御園は、黙り込んだ真昼の顔を不思議そうに覗き込む。 突如現れた黒装束に身を包んだ謎の修道女の手を掴んで、クロは自分達の前から一方的に逃げるかのように去っていった。 まだその後ろ姿を目視で確認することも出来る、今なら彼らに声も届くだろう。
だが真昼はそれをしなかった。
力なくその様子を立ち尽くしたまま、ただただ見つめるだけだ。 自分の真祖が勝手な行動をとった際、その行動を縛れるのは主人である真昼だけだ。真昼が命令すればきっとクロは足をとめるだろう。 “なぜ、その行動をとらない?” 御園はそう言いたいのだ、頭では理解出来る。 それもそのはずだ。クロの言動は誰が見ても怪しいものであり、何かを隠そうとしているのは明らかだった。しかし、真昼はそんなクロを言及することもなくただ後ろ姿を見つめることしか出来ないでいる。
緊迫したような御園に駆り立たされ、真昼はもう一度クロを呼び止めようと口を開いたがそこから声が発せられることはなく、再び口は閉ざされてしまった。そんな真昼の様子に隣にいた御園は何か言いたげだったが深い溜息をつきながら両腕を組み、視線をそらした。
さっきの#変換してください#さんは何者?
クロとどんな関係だったんだ?
クロは何を隠してる?
頭の中でぐるぐると数え切れない問いかけが、誰の耳に触れるでもなく駆け巡る。消化出来ないその問いかけは真昼の心へと埃のように降り積もり影を落とした。
答えをクロの口から聞きたい ___しかしそれはクロにとって迷惑ではないのか?
知りたい ___興味本位で勝手に踏み込んでもいいのだろうか?
力になれるのであれば言って欲しい ___頼ってもらえないのは、俺に力がないから?
浮かび上がる疑問の種の成長は留まる事を知らず、芽生えたその根は負の感情へと癒着し真昼の胸を締め付けた。
クロ、俺はどうすればいい…? お前は俺にどうして欲しい…?
小さくなるクロの背中を見つめる。 考えれば考える程、身体から力が抜けていくような感覚に陥る。不安になる気持ちを拭い奮い立たせるかのように両手の拳をぐっと握り締めた。
「……クロもああ言ってるし、俺は戻るよ。御園達はどうする?」
絞り出したその言葉を御園は横目でちらりと一目すると再び真昼から視線を逸らし、一拍置くと口を開いた。
「この状況で別行動をとるのは得策ではない。僕たちも戻ることにしよう……。」
御園は本日何回目かも分からない深い溜息をつきながら瞳を閉じる。その言葉を皮切りに一同は重い足取りで帰路を辿ることとなった。
「あれ…?そう言えば鉄とヒューは?」
カラオケ店から一向に出てこない二人の姿に気づくと真昼は御園に問いかけた。しかし、その問いに答えたのは御園の隣にいたリリイの方だった。
「ああ、そう言えば……受付を済ませた後に、ここで働いているという下位吸血鬼の方に会いに行ったようですよ?」
「そうか……。でも帰るなら受付も取り消さないとな……」
そう言って店内の方を振り返る真昼だったが、出入り口である自動ドアから出てきた見慣れたその姿に踏み出そうとした足を止めた。
「全く…興醒めじゃのう……。」
鉄に肩車されたヒューはつまらないと拗ねたようにそう吐き捨てると頬を膨らました。 不思議に思った真昼はヒューへと問いかける。
「何かあったのか?」
「今、情報を送ってきた下位吸血鬼の者と話してきたんじゃが……何でもその人物は今日もこの店に来たらしい。」
「えっ?!じゃあ、今もまだ店内に……?」
突然希望の光が見えたような気がして、真昼は前のめりになってヒューの答えを待った。帰ろうかと思っていたが、目的の人物がすぐ目の前にいるとなれば話は別だ。しかし、そんな真昼の期待も虚しくヒューは渋い顔を浮かべ口を開いた。
「残念ながら、既に帰ったらしいのじゃ……」
ヒューはそう言うとがっくりと肩を落とした。初日から上手くいくとは思っていなかったが、真昼はすぐ目の前にいたはずの大きな獲物を獲り逃したような喪失感に襲われた。新しい情報が得られると期待していた分反動も大きいのだろう。一同の士気が下がるのを感じた真昼はこれではいけないと、自らを奮い立たせた。
「まあ、初日からいきなり上手くはいかないか……もう帰ったって言うならしょうがない。クロもいないしさ、また明日にでも出直そう」
じゃあ、俺は受付をキャンセルしてくる…と続けようとしたところで、クロがいないことに気がついたヒューがその疑問を口にした。
「む?そう言えばあやつの姿が見えないのぉ。どこに言ったのじゃ?」
それがですね……、とリリイがその時の状況を簡単にまとめて説明した。それを黙って聞いていたヒューは眉間に皺を寄せ、疑問を口にした。
「我々の事を知っていた……という事は吸血鬼に関係しておる人物のようじゃのう」
「すごく綺麗な人で、クロとも仲良さそうに話してたし真祖と主人との関係についても知ってるような感じだったんだよな……。」
“もしかして、彼があなたの今の主人?”
自分を見て、確かに彼女はそう言ったのだ。主人の存在を知ってるとなると、吸血鬼……真祖に関しての知識もあるに違いない。 そして話の流れで思い出したかのように、御園も話に加わってきた。
「そういえば、リリイ……貴様もあのシスターを知っているような口ぶりだったじゃないか。知り合いではないのか?」
「いえ、それが……。知っている、ような気はするのですが、ハッキリと分からなくて。」
「分からない?」
「はい。どこかで会っているとは思うのですが、それがいつだったのか、どこだったのかが思い出せないんです。相当昔の出来事ような気もします。」
「真祖のように長い年月を生きていると仮定すると、彼女も吸血鬼である可能性が高いな……。」
御園は一点を見つめ、考え込むような素振りを見せた。
「ふむ……しかし、その人物は椿と行動を共にしているのじゃろう?それが引っかかるのぉ……。」
「確かに真祖達も知らなかった椿を、#変換してください#さんだけは知っていたってことだもんな。」
「それもそうじゃが、椿の存在を知っているとなると……」
と、ヒューは途中で言葉を濁した。 リリイと静かに目を合わせると、お互いそれで理解したのか何も言わず視線を逸らした。真昼がその意図を探ろうと口を開きかけたところで、それを制するようにヒューの方が先に口を開いた。
「ここで話していても埒が明かんのう。ここは一先ず撤退じゃ!行くぞ、鉄!」
「おう」
「……では、私は受付をキャンセルしてきますので。」
ヒューと鉄は肩車をした体勢のまま歩みだし、リリイも言葉通り店内へと姿を消してしまった。その場に残された真昼と御園は、言い表せぬ疎外感を感じながらもお互い何も言い出せずにいた。 クロだけじゃない。やっぱり真祖達も何か隠している。 前々から感じていたものが、ここに来てハッキリと確信に変わる。 だが、それを聞き出す術も勇気も今の真昼は持ち合わせてはいないのだった。
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