20| 恩寵を君に
リヒトとの会話も弾み、しばらく話に夢中になっていた#変換してください#だったが、突如聞こえた コンコン、という扉をノックする音にビクリと肩を揺らした。 はっとしてスマートフォンから耳から離し振り返る。 誰か来たようだ。「#変換してください#?」と受話口からリヒトの声が聞こえ、扉を気にしつつ通話に戻る。
「ごめんなさい、誰か来たみたいなの。」
「そうか、じゃあ今日のところはここまでだな」
「また連絡するわね。」
「ああ、分かった。またな。」
おやすみなさい、と最後に付け加えて電話を切ると、ひとまずテーブルにスマートフォンを置くと 振り返りドアへと近付いた。
『#変換してください#、いる?』
それは聞き慣れた椿の声だった。 ドアノブに手を掛け、ドアを開くとそこにいた椿を招き入れた。
「椿、おかえりなさい。ごめんなさいね、開けるのが遅れてしまって。」
「それはいいけど、どうしたの?もう寝てるのかとも思ったけど、部屋の中から声はしたからさ。誰かいるのかと思って。」
椿はそう言うと、チラっと部屋の奥へと視線を向けた。 その様子に#変換してください#は慌てて訂正した。
「あ、えっと違うの。電話していて……。」
そう言いながら#変換してください#はドアを開ききり、部屋の奥へと進む。椿もそれに習い部屋へと足を踏み入れると扉を閉めた。
そして、テーブルに置いていたスマートフォンを手に取ると、椿の方へと向き直る。
「桜哉に使い方を教えてもらったから、実際に使ってみようと思って通話していたの。」
「そうなんだ。誰と話していたの?」
椿からそう聞かれて、#変換してください#は返答に困った。 リヒト、と名前を出しても椿に伝わるだろうか?ピアニストと言っていたが、椿がクラシックに興味を持っているとは聞いた事もないし知らない可能性の方が高いと#変換してください#は思ったからだ。 しかし、ここで下手に誤魔化しても困るだけだと思い直し素直に名前を出すことにした。
「リヒトっていう子よ。ピアニストとして活動しているらしいけれど、椿も知ってる?」
「ああ、知ってるよ?彼、有名だからね。」
椿も知っているくらい有名なのかと、#変換してください#は改めて驚いた。 来週講演もある、と言っていたがピアニストとしてしっかり活動しているのだと素直に#変換してください#は関心すると、もっとピアニストとしての“リヒト”についても知りたいと#変換してください#は思った。
「そうだったのね。ピアニストと言っていたけれど、そんなに有名だなんて……。」
「うん。でも意外だなあ、そんな彼と#変換してください#が知り合いだなんて。」
「それもそうなんだけど、話せば長くなるというか……。」
そう言葉を濁したところで、#変換してください#は「あ!」と声を出して思い出した。
「それより椿にお願いがあるの。」
「お願い?何?」
「今度、そのリヒトとカラオケに行きたいんだけど……ダメかしら?」
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#変換してください#との通話が切れた後も、リヒトはぼーっとスマートフォンをしばらく見つめていた。 その画面には先ほどまで話していた#変換してください#の登録画面が表示されていた。
そして思い出されるのは、彼女の口から言われてた事。
――年をとれない、不老不死
そう言う彼女の声は少し震えていた。
打ち明けるのが怖かったのだろうとリヒトは勝手ながらにも解釈した。 深い所までは聞けなかったが、いつか#変換してください#の口から聞きたいと思った。
そして何度も言うのだろう。 『#変換してください#は#変換してください#だと』
自分の中では何があろうとそれは揺るがない。 彼女が何者であろうと、それは問題ではないのだから。
すると、唐突にリヒトのいる部屋のドアが無造作に開かれた。 こんな訪ね方をするのは一人しかいない。
「リーヒたーん、クランツがお呼びっすよー。……ちょっとリヒたん、聞いてないんすか?」
と、ロウレスの近付いてきた気配を感じリヒトはスマートフォンから顔をあげた。
「おい、クズネズミ。明日もカラオケに行くぞ。」
「あっそ、どうぞご勝手に。限界距離は守っ…」
「何言ってんだ。お前も行くんだぞ。」
「はあ?!なんで俺までついて行かなきゃなんないんすか?!」
理不尽な提案に、ロウレスは心底嫌そうな表情を浮かべる。
「#変換してください#とカラオケに行く前に腕を磨いておかなければならないからな。不本意だが#変換してください#がクズネズミも一緒にと言ってるから仕方なく連れて行ってやる。感謝しろ。」
「ちょっと何勝手に決めてんすか!?嫌っす、俺忙しいんで…って痛っ!!!!ちょっと蹴らないでって痛いっ痛いってば!!ぐげっ!」
「うるせえ、お前は黙ってついてくればいいだクズネズミ!!」
容赦なく蹴りつけてくるリヒトからロウレスは「理不尽っすよー!」と逃げ回る。 この騒ぎを聞きつけてマネージャーであるクランツが頭を抱えながらこの部屋へ向かっているのを2人はまだ知らない。
―――― おい、見ろよあれ。
―――― うわ、また来てるよ…。本当なんなんだあの客。
―――― しかし、もの好きだよな。こんなに毎日カラオケに来るなんてさ。
―――― しかも大部屋。
―――― そうそう、しかも一人で。
―――― あとさ、何かこの前騒ぎあったよな。
―――― ああ、なんか喧嘩だっけ?そこの路地裏で誰かと揉めてたんだろ?
―――― 本当謎だよなー。…って、どうした新人。真っ青な顔して……大丈夫か?
「あ、嫌…すいません、ちょっと俺……電話してきます!!」
ガチャり、と音を立てて閉められたドアに寄りかかりながら、その男はハアァ〜と溜息をついた。そして、ズボンのポケットに入れていたスマートフォンを取り出すと、ある人物の番号へと電話をかけた。 3コールもしない間にその人物は電話に出た。 早る気持ちを抑えながら、男は重い口を開いた。
「あ、もしもし俺です。相漠です……。」
『おう、お主か。どうしたのじゃ突然』
「あの…実は最近俺のバイトしてるカラオケに怪しい奴が来てて…」
『ほほう、怪しい奴とな……』
こうして何の因果か、そっと静かに物語は動き出す。 少年と、少女が出会うまであと少し。 椿の本当の目的が明かされるまで、あと――……。
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