18| 恩寵を君に
「……ごちそうさまでした。」
手の平を合わせ、空になった食器の前で一人静かにつぶやいた。 適当にラウンジで夕食を済ませると、食後に恒例の温かいミルクティーの入ったティーカップに口付けた。
部屋に戻ったら、シャワーをあびて、着替えてから桜哉から教わった事を復習しよう……と脳内でこれからの行動の順序を考える。 そして最後の一口を飲み干すと、#変換してください#は席を立つ。その様子を見ていたボーイの一人が#変換してください#が片付けようとしていた食器を受け取るので「ありがとう」と一声かけてその場から立ち去った。
シャワーを浴び終え、メインルームへと戻ってきた#変換してください#は今日着ていた修道服を洗おうと手にとった。 洗う前にいつもの癖でポケットに何か入っていないかと確認すると、右のポケットに折りたたまれたメモが入ってあるのに気がついた。
「これ……リヒトの番号だわ。」
リヒトとの別れ際にもらったメモ用紙。確か『演奏中以外なら気付くはずだ』と言っていた。 今日の昼間にあった出来事だったが、随分と前の事に感じる。
もう夜もふける頃合だがリヒトにはまだ話したい事もある、丁度こうしてスマートフォンを入手することも出来た事もあり、今日のおさらいも兼ねてリヒトに電話をかけてみることにした。
リヒトも連絡を待っているかもしれない。連絡するなら早い方がいいだろうと#変換してください#はメモを片手にスマートフォンを手にとった。
ソファに腰を下ろすと、桜哉から教わった手順で番号を入力する。 今一度、画面に表示された番号と、メモに記載された番号を照らし 合わせ間違いがない事を確認すると#変換してください#少し緊張する胸を落ち着かせ発信ボタンを押した。
慌てて本体を耳にかざす。すると、スマートフォンの受話口からは少しくぐもったような呼び出しのコール音が聞こえた。 そのままコール音に耳を澄ませ、待っていると突然コール音が止んだ。
『誰だ?』
「あっ!えっと…こ、こんばんは。#変換してください#です。」
『#変換してください#か。この番号はお前の…?』
「そうなの。突然なんだけど、今日からこのスマートフォン使うようになったから、電話してみようかと思って。」
『そうだったのか。分かった、登録しておく。』
「よ、よろしくお願いします。」
まだこうしたやり取りに慣れていない為か、どう答えればいいのか分からずたどたどしい返答になってしまった。恥ずかしさと、困惑も相まって#変換してください#の顔は赤く火照っていた。
「今日は突然帰ってしまってごめんなさい、せっかく誘ってくれたのに……。」
『ああ、それは大丈夫だ。#変換してください#がいなかったのは残念だったが、楽しかった。』
「一人で歌っていたの?」
『ん?一人じゃない、不本意だがクズネズミもいたからな。』
クズネズミ、と言われて#変換してください#の頭に浮かんだのはあのハリネズミの姿だった。確かにあの子を入れれば一人ではないけれど…と少し疑問を感じたが、リヒトがそう言っているのだから一先ずそう言うことにしておこう。
「私も今度都合をつけておくわね。」
『明日か?!』
「あ、明日?うーん、そうねえ……。」
いきなり明日と言われても、こればっかりは#変換してください#だけで決められる事ではない。 また今日のように、黙ってこっそり出掛けて桜哉やオトギリに迷惑をかける事になるのは避けたい。 となると、少し躊躇われるが椿に事前に許可をもらって行くのが一番確実な気がした。
「ちょっと確認をとってからじゃないと出掛けられないから、また折り返し連絡するわね。」
『そうなのか、分かった……。』
表情は見えないが電話越しでも少しリヒトの声のトーンが下がったのが分かる。仕方ないとは言え、少し申し訳ないと感じてしまう。少しでも慰めになればと#変換してください#はリヒトに声を掛けた。
「ごめんなさい、でも実現できるように頑張るわ。そうしたら、また一緒に遊びましょう?あのハリネズミさんも一緒にね。」
『そうだな。じゃあ俺は、一足先に腕を磨いておくことにする。』
「リヒトの歌、楽しみだわ」
ふふ、と電話越しにもリヒトのキラキラと目を輝かせている姿が浮かび、#変換してください#は僅かに首を傾げ微笑んだ。 こんな風に他人と遊ぶ予定を立てるのは何年ぶりだろうか。 数週間前までの修道院での生活を思い返すと、考えられない出来事だ。
そこで#変換してください#は、昼間にリヒトに話せなかった事を思い出した。 しかし、その話題について本当にリヒトに話すべきなのかと躊躇い口を噤んだ。
すると、急に黙った#変換してください#を不思議に思ったのかリヒトが話しかけてきた。
『どうした?』
「いや……、えっと」
『何か言いたい事があるのか?』
そう言うと、電話越しのリヒトは黙った。#変換してください#からの返答を静かに待ってくれているようだ。 #変換してください#は腹を決め、スマートフォンを握る右手に少し力をいれると口を開いた。
「いずれリヒトも気付く事だろうから話すけれど、私は普通の人間じゃないわ。」
『どういう事だ?』
「リヒトも不思議に思わなかった?あんなに小さかったリヒトが、私の身長をとうに超えるくらい成長したというのに、私はあなたと出会った頃のまま何も変わってない、って。」
『……。』
それは肯定を表すのか、否定なのか。リヒトは黙ったままだった。 その沈黙は怖かったが、その沈黙を打ち破るように#変換してください#は続けた。
「信じてもらえないかもしれないけれど……私は、年をとれないの。」
『年をとれない?』
「不老不死、とも言うわ。もう何百年、何千年とこの姿で生き続けているの。」
『そうか。』
「そ、そうかって……。驚かないの?」
『別に。#変換してください#は天使だからな、仕方ない。』
「天使ってそんな。それで納得出来るの?……気味悪くないの?」
『#変換してください#は#変換してください#だ。それに変わりはないだろ?』
リヒトは、そう力強く言い切ってくれた。 #変換してください#はその言葉が嬉しくて、目頭が熱くなる。そんな風に言ってくれた人は今までも少ない。 でも、自分の事を分かってくれる人は確かにいるのだととても嬉しかった。
#変換してください#はこみ上げてきた涙で滲む視界を拭いながら、「ありがとう」と呟く。
「あなたに話してよかったわ。リヒトが昔と変わっていなくて」
『まあ、何てったって俺は……天使だからな。』
相変わらずのリヒトだが、あの純朴な少年は今も変わらず真っ直ぐ成長しているようだ。 変わっていく時間と時代の合間にも、変わらないものは確かにあるのだと、確信し胸が温かい気持ちで溢れた。
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