14| 恩寵を君に
コンコン、と自室のドアがノックされる音が聞こえた。 「はい」と返事をすると#変換してください#はドアへと歩み寄る。先日椿に指摘されたのを思い出し、ドアの前で訪ねた。
「どなた?」
『僕だよ』
「椿?」
ドアの先から聞こえた親しみのあるその声を聞き、ドアノブを引いた。
「この前言ったの覚えてたんだ、#変換してください#は偉いね。」
「茶化すのは止めてちょうだい。……どうしたの?今日は遅くなるって言っていたのに。」
椿の軽口を流しそう問いかけながら、#変換してください#はドアを大きく引き室内へと椿を招き入れた。 部屋の奥へと足を進めながら椿は続けた。
「ちょっと相手先との会談の間に時間が出来てね。丁度いいからこれを買ってきたんだよ。」
と言いながら、椿は小さな紙袋を#変換してください#に差し出した。 恐る恐るその紙袋に手を伸ばすと、それを受け取った。随分と軽く感じるその紙袋の中を覗いてみると、小さな箱といくつかの書類が入っていた。
「これは何?」
「スマートフォンだよ。」
「そ、そんな高価なもの受け取れないわ!」
椿の言葉に驚いた#変換してください#は思わず紙袋の中を覗いていた顔をぱっとあげた。
スマートフォンの存在は知ってはいるが、実際に自分のものを持ったことなど一度もない。 携帯電話なども、今まで名義上の問題や金銭的な不安もあった為契約をした事もなかった。 あったら便利だろうと思う事は多々あったが、転々と拠点を移し人との関わりを避けて生活してきた#変換してください#からしたらあまり必要なものでもなかったからだ。
なのにも関わらずそんな物をどうして今更椿が自分に持たせようとしているのかが分からなかった。
「僕が#変換してください#に持っていてもらいたいんだよ。連絡が取れないと不便だしね。」
「でも……。」
「いいから。僕からのプレゼントだと思ってさ。」
プレゼント、という言い方をされると押し返す事に後ろめたさを感じる。 それにこれからしばらく日本で暮らす事を考えると、持っていて損はないような気もしてきた。
しかし、本当にいいのだろうか…と迷っていると、そんな心を見透かしたのか椿が話を無理矢理進めてきた。
「使い方は桜哉に教わりなよ。物覚えのいい#変換してください#ならすぐに使いこなせると思うからさ。」
「桜哉に?でも、桜哉に悪いわ…何から何まで」
「いいんだよ、桜哉もどうせ暇だろうしさ。……さて、じゃあ僕はそろそろ戻るとするよ。」
そう言って#変換してください#向き直る椿。まだ、この部屋に来てから五分と経っていない。
「もう行ってしまうの?」
「元々空き時間を利用して帰ってきただけだからね。また夜になったら戻ってくるよ。」
「そう……。気をつけてね。」
「うん、ありがとう。じゃあ桜哉には僕から頼んでおくから、#変換してください#はこのままここで待ってなよ。」
羽織ったコートの裾をひるがえして椿がドアへと向かう。 その後ろ姿を見て、#変換してください#ははっと気がつき「椿」と、彼を呼び止めた。
「ん?」
「素敵なプレゼント、ありがとう。大切にするわ。」
そう言うと紙袋を大切そうに抱え#変換してください#は微笑む。 その姿に満足したのか「どういたしまして」と言うと椿はドアを閉め、部屋をあとにした。
__________________ ___ __
自室のベッドに飛び込んだまま身を沈め、桜哉は椿から解放された反動で動けずにいた。 先ほどのピリっと張り詰めた空気を思い出すと息が詰まる感覚を覚える。 これからこんな事が続くのかと思うと先が思いやられる。 はあ、と本日何十回とついた溜息の記録を更新したところで、突如自室のドアが開かれズンズンと何者かが侵入してきた。
「桜哉ーーいるよねーーー?」
「……。椿さん、ノックくらいしてくださいっていつも言ってますよね。」
「えー?なんでそんな素っ気ない事言うのさー。僕と桜哉の仲じゃない。」
どんな仲だよ、とツッコミたい気持ちを抑え桜哉はベッドから気だるげに身を起こし立ち上がる。
「で、何の用ですか?」
「そんないきなり本題に入らないでさ、会話を楽しもうよ。」
何を言っているんだこの人は、と桜哉は苛立ちを感じた。 どれだけ人を振り回して楽しむ気なのだろうか。 隠しきれない苛立ちは、口調にも現れつい刺々しい返事をしてしまう。
「すいません、生憎今忙しんで椿さんとの会話を楽しんでる暇がないですよね。」
「え……忙しいって、今桜哉寝てたよね?」
「寝るのに忙しいんで、早めに切り上げてもらっていいですか?」
「寝るのに忙しいって、何それ…っく、あはっ、あははははははははははははは!!」
いつものお決りの椿の発作的な笑いが始まり、桜哉のイライラは増すばかりである。 「……あー面白くない。」という椿の一言を聞くと、やっとか…と桜哉は本題へと促した。
「それで、本題はなんですか?」
「はいはい、桜哉はせっかちなんだから。本当そういうのモテないよ?」
「……余計なお世話ですよ。」
まだ軽口を叩く椿に桜哉の怒りがピークに達しそうになろうとしたところで、ようやく椿は本題へと突入し話し始めた。
「#変換してください#にさ、スマホの使い方を教えてあげて欲しいんだよ。」
「……は?」
「今まで携帯とかも使ってなかったみたいだからさ、教えてあげてよ。今部屋で待たせてあるからさ。」
「ちょ、ちょっと待ってください。なんでよりによって俺が……。」
「え?だって桜哉いつもスマホいじってるじゃない。人に教えるくらい出来るでしょ?……じゃあ、そういう事で。僕はもう行くから。」
一方的に要件を告げると椿は部屋を出て行こうとする。この人はいつもこうだ。
そんな身勝手な姿に呆れていると、部屋を出ていこうとしていたはずの椿がくるっと振り返り、こちらへと戻ってきた。 何事かと、立ち尽くす桜哉だったがズンズン近付いてきたかと思うと間合いを詰めてくる椿に思わず一歩後ずさりする。 そして桜哉のその一瞬の隙をついて椿は更に一歩と距離詰め、顔を近づけてきたかと思うと桜哉の耳元で囁いた。
「ちゃんと#変換してください#の事見ててあげてね。」
椿はそう言うと羽織っていたコートをひらりとひるがし部屋を出て行った。 騒がしかった室内が、狐につままれたかのように一瞬にして静まり返る。
桜哉は力なくその場にしゃがみ込むと、バクバクと鳴る心臓を落ち着かせる。 反応が遅れたかのように、今更冷や汗が出てきた。 心を落ち着かせようと目を閉じると、椿の最後の言葉が蘇る。
――――― ちゃんと#変換してください#の事見ててあげてね。
脳内で繰り返し反響するその言葉を振り払おうと、前髪を手でかきあげた。 要は、護衛役として#変換してください#の傍にいろ、と遠回しに忠告されたのだ。
スマホの使い方を教えるというのも名目上で、#変換してください#が大人しく部屋で待っているように監視していろと言いたいのだろう。
先ほどは、今日#変換してください#が外出したのをあまり気にしていないように見えたがそうでもなかったらしい。 やはり、#変換してください#が外出した事に対しては俺に責任があると言いたいのだろうか。 あの言い方だと今度はしっかりやれ、とプレッシャーをかけたようにも捉えることが可能だ。
結局そうなるのか、と桜哉は天井を見上げると目を閉じ深い溜息をついた。 ようやく落ち着いてきた鼓動を確認すると大きく深呼吸して立ち上がる。
気が滅入るが、やらなければやらなかったで後が怖い。 桜哉は護衛役となってしまった自分の不運を呪いつつ、重い足を引きずるようにトボトボと#変換してください#の自室へ向かうのだった。
back
top
|
|