novel | ナノ


13| 恩寵を君に


はあ、とため息をついたリヒトは残された大部屋の広いソファーに一人で腰をかけた。
#変換してください#に再び出会う事が出来た喜びと、帰ってしまった事への寂しさを噛み締めていた。


幼い頃の記憶というのは色あせていくものだが、彼女の事はハッキリと覚えていた。
目を閉じて#変換してください#の姿を思い浮かべると、最後に部屋を出て行く時に自分に微笑んだ姿がまぶたの裏に浮かんだ。
柔らかい笑みを浮かべるその姿は今も昔も変わらず、リヒトの胸を温かい気持ちで満たしてくれた。




「やはり#変換してください#は天使だ……。」



とぽつりと呟くと、すぐ傍にいたハリネズミのロウレスはポンっという音と共に人型へと姿を変えた。



「なーんか、さっきからリヒたんらしくないっすね。どうしちゃったんすか??」

「うるせえクソネズミ。それはお前もだろ、いつもハリネズミの姿の時は愛想振りまいてばかりなのに」

「いやー……。」



と曖昧な返事をしながらロウレスは頭をかいた。その返答にリヒトも疑問を覚え瞼を開き視線を向けた。
いつものロウレスなら嫌味の一つや二つ飛んでくるかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
ハリネズミ姿の時だって、いつもならうるさい程に鳴き声をあげて周りに媚びているのだが#変換してください#の前では静かだった事にずっとリヒトは違和感を覚えていた。


「なんだ、お前も#変換してください#の天使力に圧倒されたのか?」

「天使力とか俺分かんないけど、なんつーか……どーーっかで見たことある気がするんすよねぇ、あの子」

「#変換してください#は人間界では有名なのか?」


「いや、そういうんじゃないと思うっす。もっとずっと昔に…」


とどこか遠くを見ながら眉間に皺を寄せ悩んだ様子のロウレス。「C3の関係者…?あるいは…まさか……いや……」とぶつぶつ言いながら一人で考え始めたようだった。そんな様子にもう話す気もないのだろうと、見切りをつけたリヒトはソファから立ち上がると部屋の中央に設置された大きなモニターへと近づいた。
そこには、タッチパネル式の機械を操作するのであろう端末と、マイクが置いてある。
リヒトはそれを掴み、機械の案内の通りに操作すると曲のリクエストを入れた。すると、天井に設置されたスピーカーから大音量の前奏が流れだした。
腹の底からズンズンと響いてくるその音楽に、リヒトが目を輝かせた。


「これが…カラオケか!」

「ってリヒたん歌う気なんすか?リヒたんも帰る気だったんじゃ…?!」

「歌うに決まってんだろ。次に天使と来る時までに上達しておかないと……なっ!」


と言うとリヒトはマイクを手に取り、ビシっとポーズを決めた。
考え込んでいたロウレスも、大音量の音楽に驚き思考を中断させられた。
ロウレスは完全に自分の世界へと入り熱唱する自らの主人を見て吹き出すと、笑いを堪えながら震える手でスマートフォンで動画を撮り始めた。リヒトのカラオケデビューはこうして幕を開けたのだった。








___________________ ____ ___


チーンという、甲高い鐘の音が指定したフロアへと到着を告げた。
すかさず重く閉ざされていたエレベーターの扉が開く。
#変換してください#がフロアへと足を踏み出すと、後ろを付いて歩いていたオトギリもそれに続いた。

あれから、逃げ帰るようなオトギリの様子につられて#変換してください#も早々にホテルへと帰ってきた。
元々ホテルから離れた距離ではなかったが、その間二人の間には会話というものはなかった。
それはオトギリの発していた話しかけるな、という雰囲気を察した#変換してください#が口をつぐんでいた結果である。

ホテルへ到着した今もオトギリのそれは同じで、中々話すきっかけというのも掴めない。
どうにも落ち着かないこの空気の中でうつむき加減でフロアの奥へと続く通路を進んでいると


「やっと帰ってきたか。」


ぱっと顔をあげると、通路の少し先のラウンジには呆れた様子の桜哉が立っており溜息混じりに話しかけてきた。


「桜哉……ただいま。あの連絡は何?どうしたの?」


「おかえりなさい、お早いご到着で。……って、どうしたもこうしたもない。椿さんに出歩くなって言われてるの忘れたんですか、アンタは。」


またも溜息を付き、頭を掻きながら桜哉が嫌味を混ぜ言った。
桜哉からしてみれば前回の件の事を引きずっているのだろう。
その事に関しては申し訳ないと思っているが、椿の帰りも遅い今日なら関係ないはずだ。
椿がホテルへ帰ってくるまでに部屋で大人しく待っていれば済むことなのだから。

そう考える#変換してください#はどうして桜哉やオトギリがこんな慌てた態度なのかが、よく分からなかった。


「それはそうだけれど、今日は椿の帰りも遅くなるからいいかなって」


「その椿さんが、もうすぐここに来るらしいから焦ってたんだよ。」


「えっ?!」


予想だにしなかった桜哉のその言葉に#変換してください#は間抜けな声をあげてしまった。

時刻はまだ午後二時を過ぎたところである。椿が出て行ってから二時間も経っていないというのにあまりに早すぎる帰りだ。


「それはどうして?」

「さあ、俺にもよく分からないけどさっき椿さんから連絡が来たんです。その時はまさかアンタが外出してるとは知らなかったから椿さんには『部屋にでもいるんじゃないですか』って適当な事言っちまったけど……実際、部屋を訪ねてみたらもぬけの殻だったから焦ってた訳ですよ。」


「そう…。」

訳を知ってなんとなく今までの流れが分かったような気がした。
それで桜哉もオトギリも焦っていたのか……。自分だけ事情を知らなかったとは言え、二人には悪い事をしてしまった。


「こういう事もあるんで、椿さんに黙っての外出はあまりしないでください。怒られるのは俺なんだから…」


「そうね、ごめんなさい……。オトギリもごめんなさいね。」

自分の非を認めた#変換してください#は素直に謝った。
いくら気をつけていてもこういう事もあるのだ。それに他人に迷惑を掛けてしまったのには変わりない。
後ろで話を聞いていたオトギリの方へと向き直り頭を下げると、オトギリはいつもの様子で淡々と口を開く。


「いえ……、私は何も。」

「……じゃあ、私は自室に戻るわね。騒がせしてしまってごめんなさい。」

こんな事があっては、これ以上外へ行きたいなどとは言い出せなかった。
今日のところはこのまま大人しくしていようと、#変換してください#はトボトボと自室へと戻った。



そんな小さくなった#変換してください#の背中を見ていた桜哉とオトギリの二人は、#変換してください#が自室へと戻りドアを閉めたのを確認すると緊張していた糸が切れたかのように口を開いた。



「ったく、椿さんも#変換してください#も人を振り回すのもいい加減にして欲しいぜ」

「そうですね……こういった展開が続くようですと…大変困ります。」

「お前もだぞ、オトギリ。『帰ってくるよう催促するような文面を送れ』って、いきなり言われても分かんねえだろ。」

「……。緊急事態だったので。」


オトギリは桜哉から難癖つけられると、バツが悪そうに目をそらすとボソっと本音を呟いた。
そんな、いつもとは違うオトギリの様子に、珍しく焦っていたのかもしれないと桜哉は思った。

「それにしても…こんな事もあるんだな。来週の作戦のターゲットと、#変換してください#が偶然出会っちまうなんてさ。……おまけに二人は面識があるようだし。」

そう、来週開演するリヒト・ジキルランド・轟の講演会は、椿及びその下位吸血鬼達にとってはとても大きな出来事なのだ。それを目前にしてこんなイレギュラーが起こるとだれが予想出来ただろうか。
ターゲットを無駄に刺激するような事も、接触するような事も避けたいところだ。

しかし、奇妙な偶然が重なり出会ってしまったリヒトと#変換してください#。


オトギリはそんな状況で、どうにかしてこの場から迅速に離れる為に#変換してください#の納得のいく理由を考えなければならなかった。そして考え付いたのが、護衛役である桜哉からの呼び出し、という事だった。
第三者であり、#変換してください#の身辺を管理する桜哉からの通達を#変換してください#が無下に出来ないだろうと予想したオトギリは桜哉へと「私の携帯に、『#変換してください#を帰ってくるよう催促するメッセージ』を送ってください」とメールで連絡をいれたのだ。


突然のオトギリからのそんなメールに戸惑う桜哉だったが、#変換してください#の行方が分からずどうしたものかと頭を悩ませていた際に届いたその知らせ。オトギリと#変換してください#が共に行動していると仮定すれば、そのメッセージはおのずと送らざるを得ないものとなる。

そして状況は今に繋がるという訳だった。




桜哉は偶然で片付けるには不思議なこの出来事にもう一度溜息をつくと、オトギリへと視線を戻した。
心なしか、オトギリも疲れているように見えた。そんなオトギリに声をかけようと口を開いた。

とりあえず、この事は椿さんには報告しなくてはいけない。
しかし、それは夜になってからでも遅くはないだろう。あまり昼間からあの人の機嫌を損ねたくないのが桜哉の本音だった。
また椿さんから責められるかもしれない、と少し頭が痛くなる。



「とりあえず、この事は椿さんには……」

「僕が、何だって?」



心臓が跳ね上がり凍りつくのを感じた。
気配も足音も立てずに現れたのは、他でもない椿だった。

あまりに唐突な登場に、桜哉の口調は思わずたどたどしくなった。


「つ、椿さん……。」



「2人でこそこそして……何の話〜?」

そんな桜哉の態度に気付いてか、椿はにやにやと怪しい笑みを浮かべながら一歩、一歩と煽るように歩み寄ってきた。
どこから話を聞かれていたのだろうか、と焦る桜哉を横目に、隣にいたオトギリはさらっと口を割った。



「#変換してください#さんの話です。」


このバカ正直な奴め、と桜哉はオトギリを睨んだ。オトギリはそんな視線に気付いているのか、いないのか、涼しい顔をしている。
椿が、#変換してください#の話をしていたと聴いて大人しく引き下がる訳がない。



「#変換してください#……?どうかしたの?」



すっと、椿さんの表情は曇るのを感じた。相変わらず薄気味の悪い笑みを浮かべたままだが明らかに顔色が変わった。その変貌ぶりから察するに、先ほどのこちらの会話は聞かれていなかったようだ。



「……#変換してください#さんが先ほど外出されまして」



淡々と先ほどの出来事をオトギリが語りだす。
#変換してください#が外出した、という言葉を聞くと椿は「へえ」と適当に流したような返事をしつつ桜哉の方へとチラッと目を向けた。
椿からの視線に耐え切れず、桜哉は思わず視線を逸らした。



「その際に、#変換してください#とリヒト・ジキルランド・轟が偶然、接触しました……何でも面識があるようで。」


「……。それはすごい偶然だねえ……。」



一拍置いてそう呟いた椿は、言葉とは裏腹に何か考えを巡らせているようだった。


そんな椿を尻目に桜哉は「なぜ、面識があるのか」「そもそも、なぜ#変換してください#を外出させたのか」と椿に言及されるだろうと覚悟し、思いつく限りの言い訳を考えていた。
押し付けられただけの護衛役。それなのにも関わらず、どうして自分だけこんなに責任を負わなければならないのだろうか。とんだ貧乏くじを引いてしまったと、何度目かの後悔をしたところで考え事をしていた椿がぱっと顔をあげた。

ああ、また怒られる……と身構える桜哉だったが、降ってきた椿からの言葉は予想と反するものだった。



「まあ、それはいいや。」



桜哉は思わず目を丸くする。#変換してください#が絡んでいるにも関わらずずいぶんとあっさりした対応だ。


「それよりシャム、あれ。」

「こちらですね、若。」


そう後ろに佇んでいたシャムロックに告げると、シャムロックはスっと小さな紙袋を手渡した。
その紙袋には大手携帯会社のロゴマークが記されている。椿はそれを受け取るとくるっと桜哉の方へと振り返る。


「何もないところで、ただ待っているから外に出たくなる。それなら、おもちゃを与えればいいことだと思わない?」


呆気に取られる桜哉の前を、そう問いかけながら椿は颯爽と通り過ぎていった。そしてそのまま#変換してください#の自室へと足を進めるのだった。



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