novel | ナノ


11| 恩寵を君に

店内に入ると正面にカウンターがあり、そこには店員が立っていた。
既に何やら会話をしていたその店員と彼のやり取りを少し後ろから覗くような感じで様子を伺った。


「じゃあ、その一番広い部屋にしてくれ」

「大部屋になりますと…料金は通常のお部屋より高くなりますが……。」

「それでいい。」


では…、と簡単にその大部屋と呼ばれた部屋への案内を聞くと「伝票」と書いてある紙の挟まったケースのようなものが渡された。彼はそれを受け取ると、案内の通りにカウンターの脇の通路へと進んでいった。
狭い通路の両側には所狭しと部屋が設置してあり、色んな部屋からは微かに歌声が漏れていた。

カラオケ、と呼ばれる娯楽施設があるのは椿からの話や情報として聞いていたが
実際に来るのは初めてだった#変換してください#は、きょろきょろと辺りを見回しながら彼の後を着いて歩く。
突き当たりにある階段を上り二階へと着くと、そこにも数々の部屋が設置されていた。
一体いくつ部屋があるのかと不思議に思いながら、重低音の響く店内を歩く。後ろからは少し遅れてオトギリもついてきているようだ。


それを確認すると、前を向き直った#変換してください#は彼が足を止めたのに気付き反射的に自分も足を止めた。
そして彼はゆっくりとその目の前の部屋の扉を開いた。
どうやらここが案内された部屋らしい。


彼の後に続いて室内に足を踏み入れると辺りを見回した。
大部屋、と言われただけあって通路から見えていた部屋とは比べ物にならない程広い空間だった。
おそらくこの大部屋というのは大人数で利用する為に作られた部屋なのだろう。
だが、平日の昼間では利用する者も居らず今回利用できたのだろう。

室内をぐるっと囲むように置かれたソファと、いくつかに分けられて置かれているテーブルも
この3人で利用するには余りあるものだった。



「安っぽいが、まあまあの部屋だな。」


ふん、と鼻を鳴らしながら彼は言っていたが、どうやら気に入った様子だった。



と、そこで#変換してください#は先ほどの青年と店員との会話を思い出した。

「あ……そう言えば、さっき大部屋だと料金が高くなるって言っていたけれど……、ここ高いんじゃ……」



と#変換してください#は恐る恐る彼に訪ねてみた。


「ああ、それは大丈夫だ。全部俺が払う。」

「えっ?!そ、そういう訳にもいかないわ……。私もこうして利用する訳なのだから」


慌てて#変換してください#は否定する。場所を変えようと提案したのは自分から言ったことだったし
年下の彼に払わせれるのは申し訳なかった。もし彼にも払ってもらうにしても、せめて自分の分は自分で払おうと考えていた。


「こういう時の為にカードがある。」

そういうと、彼はスっとカードを取り出した。

「クランツから日本で金に困ったら、とりあえずこれを使うよう渡された。」


「クランツ?それはあなたの……お父さん?」


「いや、マネージャーだ。」


「マ、マネージャー……?」


突然の慣れない単語に戸惑ったが、意味くらいは知っている。
だが、マネージャーを雇っているという彼の身分がどうにも分からなくなった。

「ええっと…ごめんなさい。分からないことがたくさんあって……。」


「天使でも分からない事はあるのか。」


「うーん……とりあえず、その天使という呼び方から変えてもらっていいかしら……?」


「天使は天使だろ?」


と首をかしげている彼からは全くからかっているような様子ではないのは見て取れた。
本気で私の事を天使だと思っているのだろうか?
そう仮定するとまず、そこから訂正しなければならないようだ。


「昔も否定したと思うのだけれど…私は天使ではないわ、ごめんなさいね。でも、その代わりに#変換してください#っていう名前があるの。」


「そうか、天使にも名前があるからな。#変換してください#か……いい名前だ。」

と名前を口ずさみしみじみと噛み締める彼。
すると彼は次は自分だ、と言うように自己紹介を始めた。

「俺はリヒト。リヒト・ジキルランド・轟……長いからリヒトでいい。一応ピアニストをしている。今はたまたま来週の公演の為に日本に来ている。」


リヒト、と名乗った青年のその自己紹介で今までの疑問が解けた気がする。
彼はピアニストで来週開催される公演の為に来日している。その公演のリハーサルの合間にカラオケに行こうとやってきたところで私を見かけたのだ。
そして、ピアニストである彼にはクランツというマネージャーがおり、その彼からもらったカードで生活するように言われている訳なのだろう。


そう頭の中を整理すると、#変換してください#はリヒトへと向き直った。


「お互い自己紹介が遅れてしまったけれど、よろしくねリヒト。」


そう言って微笑むと、リヒトは口を開いた。
だが、聞こえてきたのはリヒトからの返事ではなく「キュー!」という動物の鳴き声だった。


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