10| 恩寵を君に
僅かに脳裏をよぎった微かな記憶を頼りに#変換してください#は目の前の青年に問いかけた。
「あなた、確か…ウィーンの教会で降誕祭の時にいた……?」
「!…覚えてくれてたのか…。」
この、笑ってはいないものの嬉しそうに目を輝かせる姿にも見覚えがあった。 微笑ましいその姿につい微笑んでしまう。
「ふふ、あんな印象的な出来事だったのに忘れられるはずないわ」
そして、自然と#変換してください#はその時の記憶を思い出した。
そう、それは確か十年程前。
ウィーンの教会にいた頃にあった12月24日の降誕祭で出会った少年に 突然「天使だ!」と指さされたのを覚えている。 そんな事を言った子は後にも先にも彼だけだ。 あんなに小さかった少年がこんなに立派な青年に育つなんて…
と、当時の光景を思い出しまた頬を緩ませる#変換してください#だったが、ふと思考が止まる。
あんな小さかった少年が、こんなに大きく育つ程の年数がたったのだ。 単純に考えても少なくても十年は経っているはず。
どんどんと背筋が凍っていく感覚を感じる。 #変換してください#にとっては十年という月日は、ほんの少しと感じる時間だが 子供にとっての十年はとても大きいものだ。 彼だってそれは例外ではなく色んな出来事があっただろう。
なのにも関わらず、あの頃の姿と全く変わらない私を見てどう思うだろうか?
ドクドクと鼓動が早まる。
今までも、こういう事がなかった訳ではない。
世界中を飛び回っている#変換してください#だが、十年、数十年ぶりに偶然旅先で 再会してしまうことも少なくはなかった。
だがそんな時、自分に向けられるものは決していいものではなかった。 最初は再会を素直に喜んでくれる者もいたが、全く容姿の変わらない#変換してください#に気付き そのうち、恐れ慄き逃げ去っていく者、悲鳴をあげる者、罵声を浴びせる者もいた。
何度もあった事だが、こればっかりは慣れることが出来なかった。 そういった事がある度に自分は異質なのだと気付かされ傷ついてきたのだ。
それを避けるため、#変換してください#は極力同じ地域には留まらないように気をつけ 世界中を転々としてきた。
『化け物』
誰かにそう言われた言葉が脳裏に浮かび、冷や汗が浮かぶ。 今は再会を喜んでくれている彼だって、今に気付いてしまうだろう。
そして不審に思うだろう、気味悪がられるだろう。
彼にそう思われるのも、彼を疑うのも嫌だと思う。 これ以上関わるのは止めよう。
#変換してください#は今すぐにでもこの場から逃げたい一心に駆られた。
「ご、ごめんなさい……私これから行くところがあって」
そう言って彼から視線を逸らし、掴まれた手を解いてもらおうと少し手前に引いてみる。 視線を逸らしたのは、嘘をつくことへの抵抗。 そして何より自分に真っ直ぐに向けられた彼の目を見ることが出来なかったからだ。
「待ってくれ。俺はまだお前に聞きたい事がある」
それでも彼はぐっと手を握り返してきた。 そして真っ直ぐに見つめてくるのだ。
そんな彼に応えてあげたい。彼を信じてみたくなる。 それは#変換してください#にとってとても怖いことだった。
しかし、彼なら……と思わせてくれる強く握られたこの掌の温もりを #変換してください#は信じてみる事にした。
「分かったわ。……でも」
「何だ?」
「場所……変えない?」
昼過ぎの町の賑やかな大通り。誰もが足早に駆けていくこの都会で 手を握り合う青年とシスターの構図は、そこにいる人々の注目の的だった。 痛いくらいに突き刺さる大勢の人からの視線を浴び、徐々にこの状況が恥ずかしくなってくる。
彼も周りを見回して「ああ…」と状況を察したようで、握たれた#変換してください#の手をゆっくりと名残惜しそうに手放した。そして、口を開いた。
「じゃあ、ここでどうだ?」
そう言って彼が指差したのは、二人のすぐ横にある建物。見上げる程の高さのあるビルだったが 入口となる自動ドアの上には装飾された看板がある。 そこには大きく『カラオケ』という文字が掲げてあった。
「ここ……に入るの?」
と、恐る恐る訪ねると彼はこくんと頷いた。
「日本に来たらカラオケに行こうと思ってたんだ。そしたら今日たまたまリハーサルが早く終わって自由にしていいとクランツに言われて来てみたら……そこには天使がいた訳だ。」
最後の天使、というのは今までの流れだと私のことを指しているのだろう。 何点か聞きたい事があったが、今は聞かないことにしよう。
「天使もカラオケが好きなのか?」
「えっ、私?えーっと……話には聞いていたけれど、入ってみたことがないから分からないわ」
「なら丁度いい。ここにしよう。」
と彼は納得したように言うとクルっと向きを変え、自動ドアへと歩みよる。 人の動きを察知してドアが開くとずんずんと中へと入っていく。 あまりの思い切った行動に慌てる#変換してください#だったが、人ごみの中に取り残されるのも嫌だったので とりあえず後を追って入ってみることにした。 彼とは話たい事もあったし、自分が不死であるという事も言っておきたかった。
店内へ入ろうとした所で、#変換してください#は一人で来たのではないことを思い出した。 振り向くと、今までじっと何も言わずに黙っていたオトギリの姿があった。
「ごめんなさい、オトギリ。あなたの事を放っておいて話を進めてしまって……」
「いえ、それはいいのですが……」
「とりあえず、彼に付いて行きましょう。ちょっと人が多いところに長居しすぎたわね……」
と、店内へ足を踏み入れる#変換してください#とは引換に、オトギリはそのままその場を動こうとしなかった。 不思議に思い、「カラオケは嫌い?」と訪ねてみると、「いえ……」とオトギリはつぶやいた。 椿から、よく下位達とカラオケに行っていたという話を聞いていたのだがオトギリは来ていなかったのだろうか?そうなると、オトギリも初めてのカラオケで不安なのかも知れない。おまけに、彼の言動は初めてのオトギリにとっては動揺を隠せないのだろう。
ここは、私がしっかりしなくては!と、#変換してください#は気を引き締める。
「大丈夫、私もいるわ。それに椿が帰ってくる前には帰れるし、大丈夫よ!さあ」
と、オトギリの手を引いて店内へと歩き出した。 半ば強引な形でオトギリも一歩、また一歩と歩みだした。
それを確認すると、#変換してください#は安心し前方の『counter』と書かれた場所で何やら店員と話している彼の元へと近付いていった。
「……まだ作戦は先なのに、こんな急展開は困ります……。」
と呟いたオトギリの焦りと呟きは誰にも気づかれぬまま。
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