09| 恩寵を君に
#変換してください#はミルクティーを飲み干したティーカップを静かに受け皿の上に戻した。 昼食も終わり、食後の一息をついていたところだ。
世界中の修道院を転々として生活している#変換してください#だが、日本での食事は久しぶりだ。 椿には、もっといいものを食べた方がいいと言われているけれど素朴な和食が今の#変換してください#にとっては嬉しい限りだった。
先ほど、ラウンジの前を通り過ぎた桜哉は、和食にミルクティーという不思議な組み合わせを見て 渋い顔をして去っていったが見なかったことにする。
さて、と気を入れ替え席を立ち上がる。 静かなフロアを見て、昼過ぎという事もあり出払っている下位吸血鬼も多いのだろうと#変換してください#は思った。 椿の帰りは遅くなると先ほど聞いていたし、護衛として何人かの下位吸血鬼達を連れて行ったようだ。
出かけるなら、今が絶好のチャンスなのかもしれない。
#変換してください#は考えが悟られぬよう何食わぬ顔でエレベーターホールへと向かう。 あまり早足だと、目立つと思いあくまでいつも通りの速度で歩く。 ドクドクと脈を打つ音が鼓膜に響く。 平静を保ってはいるが、やはり内心は緊張していた。
誰にも見られず、エレベーターホールへ到着し、ボタンへと手を伸ばす。 下へと向かうボタンの確かな重みを感じながら押すと、ボタンは点灯した。
あとは、エレベーターの到着を待つだけだ。 30、31…と上昇してくる様子が扉の上部にある階層を表す表示で見て取れた。 焦る気持ちを落ち着かせながら、その表示を見上げていた。
35…36…37…
あと少しだ。
「どちらへ行かれるのですか……?」
突然後方から声をかけられ、#変換してください#は心臓が飛び跳ねるような感覚に襲われた。 恐る恐る振り返ると、そこには椿の下位吸血鬼であるオトギリが相変わらずの無表情のまま立っていた。
「び、びっくりしたわ……心臓が止まるかと思った……。」
「そんなつもりはなかったのですが……。」
「そ、そう……。」
とは言ったものの、足音一つ立てずにどうやってここまで来たのか#変換してください#は不思議でならなかった。 途中でオトギリの姿を見ることもなかったし、どこで気付かれたのだろうか。
「それより、どちらへ?」
話を逸らさせたと思ったのだろうか、更にオトギリが問いかけてきた。 これは逃げられそうにない。 しかし、この機会を逃したくないのも事実だ。何とかして、この場を乗り切らないと。
「少し町へ行こうと思って。」
「……何をしに?」
「日本へ来るのが久しぶりだから、色々見たいところがあるの。」
「椿さんにあなたを極力外出させないようにと忠告されていますので、そういった勝手な行動は困ります……。」
静かな物腰だが、有無を言わせぬハッキリとした物言いだった。 それもそのはず、#変換してください#は昨日椿に怒られたばかりだった。 椿が下位達にも念を押して言ったとして不思議ではない。 けれど、#変換してください#は引き下がらなかった。
「でも、椿は護衛をつけていればいいって……」
「それはあくまで外出をやむを得ない場合です……。それに護衛役の桜哉は外出中です。」
「じゃ…じゃあ、オトギリ!一緒に行きましょう?!」
「……え」
苦し紛れで放った言葉だったが、一理ある。 オトギリに引き止められてしまうのなら、護衛役として一緒に連れて行ってしまえばいいのだ。 その言葉を待っていたかのようにチーンという高い音と共にエレベーターが到着した。 扉が空くやいなや、#変換してください#は呆然とするオトギリの背中を押しながら「さあ、さあ…」とエレベーターへと乗り込んだ。 オトギリの反論の言葉はエレベーターの扉の閉まる音にかき消された。
静まり返っていたホテルとは裏腹に、一歩出た大通りはがやがやと賑わっていた。 既に早い学校では夏休みが近い事もあって、制服を着た少年少女の姿も見てとれる。 一方、ワイシャツの袖を捲り汗をかきながら歩くスーツ姿のサラリーマンの姿も多いようだ。 そんな各々慌ただしいいお昼過ぎ。
#変換してください#はよし、と気合をいれるとその人ごみの中へと紛れていった。 何度か人とぶつかりそうになりながらも、歩道の端を人並みの速さで歩く。 すると、いつの間にかすぐ隣に来ていたオトギリが声をかけてきた。
「#変換してください#…さん、はどちらへ……?」
「え?…えーっと……」
じとーと、#変換してください#の顔を見つめるオトギリの視線に耐えかねて目をそらしながら、少し歩く速度を早めた。 言える訳が無い、宛もなく歩いているなんて……。 暑さのせいだけではない汗が流れるのを感じる。 返答のない#変換してください#にオトギリが畳み掛けた。
「もし、目的がないのなら帰るべきです……あなたのその格好は目立つので…困ります……」
「この修道服のこと?これは日本だけではなくてどの国でも目立つ格好よ?」
自らの服装に目を落とす。修道服の中ではごく一般的な黒と白を基調とした修道服だ。 教会の国や、地域、またその時期によって着る服の色なども変わってくるが今、日本で着る分にはこの服装で間違ってはいないと思う。
それに、修道服を着ていると視線を浴びるのは今に始まったことでない。 どの国でもそういうものだ。#変換してください#からしたら慣れ親しんだ事だった。 それに修道士として活動する上では、修道士である事がひと目で分からなければ意味もないのだ。
「そういう意味ではなくて……」
「あまり目立つ行動は……」とオトギリが口ごもったので、思わず#変換してください#は足を止め、オトギリの方を振り返る。 ふと、その奥に見えた人物に目がいった。
厳密に言えば、その人物に目を奪われた。
その人物はたくさんの人々が早々と取りすぎていくこの大通りで足を止め、そのまま立ち止まっていたからだ。 気になって更に見てみると、その人物と目があった。若い青年だ。 ぼそぼそと何か呟いているように聞こえたが、この距離では聞き取る事は出来なかった。
すると、次の瞬間青年は叫んだ。
「再び天使に出会えるとは……!!奇跡……そう、奇跡だっ……!!」
人目も憚らず、そう叫んだ青年は天使の羽の装飾のついたリュックを背負っていた。
青年は、スタスタとこちらへ歩いてくる。 どんどん距離が詰まっていくその最中、#変換してください#は青年の容姿をまじまじと見つめた。
スラリとした体型で、印象的な黒いブーツを履いているせいだろうか?余計に背が高く見える。 キリっとした顔立ちはどこか高揚したように頬を染めていた。 青みがかった瞳は日本以外の遺伝子の象徴だろうか。 そして一番目に付いたのが、まっすぐな黒髪にひと房だけ混じった白髪のメッシュだった。
その容姿に、#変換してください#はなんだか見覚えがあるのを感じた。
彼とは、どこかで会ったことがあるような…… そう、日本ではないどこかで…… 記憶をたどってみたが、いまいちピンと来るものがなく頭を悩ませていると すぐ目の前にやってきたその青年に手を掴まれた。
「またあなたに出会えるなんて思っても見なかった……。」
そう言った青年はキラキラと目を輝かせ、顔を近づけて見つめてきた。 そのあまりの勢いに、反射的に身を引くが彼は負けじとズイッと迫ってくる。
「俺以外の……初めての天使に。」
「てん、し?」
見覚えのある容姿、そして先ほどから彼の口にしていた 『天使』というキーワードで、脳裏にある記憶が蘇ってくるのを感じる。
「あなた……もしかして……」
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