薪が火に点され、音を鳴らして割れた。温かい飲み物を渡され、空腹を感じていたのが薄らいでいく。

「ご親切にして頂きありがとうございます」

私が頭を下げると、道中行き倒れていた私を助けた男が照れ臭そうに気にするなと言いながら笑った。

「ほっとけなかっただけだよ、気にすることはない」

男の顔が火によって赤く照らされる。
また薪が音を発てた。

「おまえ、旅人だろ」
「えぇ、あなたは?」
「……政治犯、危険だから明日早くにこっから離れた方がいいぞ」

驚いた、人当たりの良い明るい男なだけにまさか思いもつかない回答だ。しかし、宿と飯の礼は厚く感じている。

「もちろん他言などしませんよ」
「そうしてくれれば助かる」

一口また飲み、少しずつ思考が回るようになるうちに純粋な興味から彼に政治犯などになった理由を尋ねた。
たしかにこの国の治安は間違っても良いとは言えない、人掠い、人身売買、生きとし生きるものすべてが金になる。
しかし、反旗を翻そうだなんてなかなか思えないことだと感じた。

「理由、か……そうだな……こんな話、つまんねぇと思うけど、聞くか?」

私が頷くと男は静かに語り出した、また薪が音をたてて割れた。










地面を蹴り、出来る限り足を伸ばして大股でひたすら商店が立ち並ぶ道から曲がり路地に逃げ込んだ。少年の後ろには恰幅の良い男が距離を保ちながら追い掛けている。
路地に入ってしばらくした所にまたじめじめとした暗い裏路地があり少年がそちらに向かって入ったところを男はしかと見て、とうとう追い詰めたとばかりにニヤニヤと笑いを浮かべながら少年の足が向かった路地の前で旋回した、きっとまだ走り続けているのだろう、と思っていた彼と目が合った。
少年が口端に不敵な笑みが浮かび上がり、男が不信に思った矢先、不意に少年が籠を蹴り上げた、男の顔が蒼白に染まる。驚いてしまい、足が動かず逃げることを忘れて叫んでいたら、狙いを違えることなくそれは彼の頭に命中した。
暗がりの路地のそこかしこに置かれているこれらの籠はこの時代の言わば公衆便所である。

「わりーな、オッサン」

少年は笑い声と共に絶叫する男の前から去って行った。

百戦百勝黒星無し、少年の自慢の足に着いていける大人に出会ったことはなかった。
昔は立派な屋敷だったのだろうボロ屋敷が彼の今の隠れ家だった。これもまたボロボロの壁を飛び越えると、屋敷の下に潜り込み、先程の男から奪った食糧を取り出した。

少年の物心がつく頃、家族を亡くした彼が覚えた何がなんでも生き抜く術は盗みだった。

掻っ払って来た握り飯を掴み、一口含むと、空きすぎていた腹がキュウと鳴いた。
それでも少年はがっついて食べるような真似はしなかった、また盗みをしないといけないと思うとかったるく思えてしかたないからだ。
悪いことだと知らないわけではなかったが、それ以外の方法を知っているわけでもなかったので、延々と同じことをし続けている。

二口、三口と十分噛み締めてから腹に流し、空腹を満たしていく。

野生並に研ぎ澄まされた聴覚が荒れた庭の草を踏む足音を捉えた。すぐに食糧と護身用の、普段は魚などを捌くための随分前に拾った短い刀を握り代える。
使ったことはないけれども警戒するに越したことはないと思っていた。

足音の主を伺うと、少年よりはまだ少しマシなボロボロの服を纏った同い年ぐらいの男が足を忍ばせながら屋敷へ入って行った。
少年のふらつき具合から察するに、おそらく屋敷に食べ物でも物色に入ったのだろうが、めぼしいものは何もないことを既に知っているため、しばらくしたら彼もいなくなるだろうと踏んだ。
程なくして頭上で漁る音が止み、少年は安心して一息ついた矢先、転倒した音が聞こえて驚いた。
何なんだ、と床を見上げるが、一向に立ち上がる音がしない。
そんなところに死人なんかいてたまるか、と思った少年は軒下から這い出て、恐る恐る屋敷の中を見ると先の人間が倒れていた、ゆっくりと近寄ってみたが、警戒して起き上がる様子は全くない。

「………おい、生きてるのか?」

不信に思った少年はそう言いながら倒れている相手を突いた。
反応が、ない。
かに見えたが、いきなり足首を捕まえられ心臓がひっくり返ったような思いをして短い叫び声を上げた。

「………………腹、減ったんよ……」

がつがつと食べっぷりの良い相手を見て少年は頭を抱えた、遠慮がなさすぎるってどういうことだ、と。
しかし一度関わった上に食糧を提供してしまった以上後には引けなかった。
今更ながら数分前の自分を呪った。

「おまえ、良い奴だな!」
「はいはい、分かったから口の回りなんとかしろ」

少年が頬を指さすと、相手はそこに着いてた食べカスを摘み笑いながら口に運んだ。

「おまえ、名前なんてんだ?」
「……ホロホロ」
「よっし、ホロホロ、礼になんでも歌うんよ」

オイラこれでも歌い人なんよ、と少年は笑った。

「座は?」
「焼け落ちたんよ、オイラだけ助かったけど、行くとこもないし、さっき死にかけたしで踏んだり蹴ったりってこのことだな」

少年と一晩過ごし、気の良い奴だということは分かった。しかし、自分を知る人間がいる以上、長居はできないと判断した結果、ホロホロは少年が熟睡している内に屋敷から出立し、一路西へと進んだ。

西域は風が強く、地面がえぐれ、砂丘地帯となっていた。
歩きは辛いな、など考えながらも腹を決め、大きな街がある場所へ向かうため砂丘を突っ切ることにした。砂丘は砂以外何もない。したがって逃げも隠れもできない場所だから好きにはなれなかった。

朝日が強い日差しへと変わったころ、第二感が馬の鳴き声を聞いた。
振り返れば遠くで砂が吹き上げられている。
彼はあれは人買いだと直感した、馬には人をたくさん乗せた荷車を引かせているのだろう、今までにも何度か直面した危機だ。
たかが少年の足がそれに勝るはずはなく、心底落ち着かない気持ちでただ馬車が通り過ぎるのを願うだけだった。
そして願いは叶い、彼は無事に砂埃の中にいる。
理由は分からないが、人買いが見逃したようだった。
多少の悶着は覚悟していただけに首を傾げ、素直に喜ぶことができない。

なんだかんだであまり食べられなかった腹が鳴った。
とりあえず考える事は止め、空腹を満たすために次の街で盗む算段を立てながら砂丘を越えた。



一度街を見て回り、地形を覚えたあと実行に移し、成功した。
その後も味を占め、今日もまんまと手に入れた食糧を抱いて走ったが、思うように進めなかった。
すれ違う行列が邪魔になっている、すでに追っ手は撒いたあとだったが、先を急ぐ気持ちが焦りに変わる。

行列を見る人々ももはや一種のパレードでも見ているようで何とも思っていないようだった、たとえそれが売られた人間であっても。
手足に枷をつけられた人々の俯く横顔から同情だなんて得ることはない。
ホロホロだって、しかたない、どうしようもないと見て見ぬふりをしていた……………この日までは。

目の錯覚でなければ、確かに見たのだ。

「あ、いつ………」

言葉に出すと鮮明に少年を思い出した。
間違いようがない。

「今回のハオ様の買い物はさぞ満足だったらしいぞ」
「前々から欲していたという歌人だろう」

近くにいた男二人の会話に背筋が凍った。
ハオという男を知っているわけではないが、大きな屋敷に住まう人間は王族か政治家かだと相場が決まっている、そして欲しているという理由が耳に入り、思い当たる人間がよりによって彼なのだ。

助けなきゃ、と思った。

理由なんて後回しに、本能に従って身体が動いた。
屋敷の主人が少年を欲したのは、手に入れたあとはどうするのか、知りたくもないし想像するのさえも嫌だった。

夕暮れを待ってホロホロは初めて生きるため以外のものを盗んだ。
初めて握った本物の刀を引きずる姿はいつも風のように逃げる彼には似ても似つかない。
自分に降り懸かるだろう罪が足取りにのしかかり、引き返せと叫んでいる。
しかし、後戻りは出来なかった。



彼が屋敷に潜入したことで警備の者が彼の行く道を遮る。
血を血で濡らしている間に主人とやらは手近にいた者たちを連れて屋敷から逃げ去っていた。

ホロホロは広い屋敷の、おそらく主人の部屋を探していると、その寝室を発見した。
手枷を付けられたままのあの少年が床に転がっている。
近寄ってみると、ただでさえダボダボだった服が中央で裂かれ肌が露出していた。

「おい、大丈夫か!?」

ホロホロが少年を覗き込みながらそう尋ねると、目を覚ました少年が身を強張らせた。
目許がどうしようもないほど腫れていた。

「………はは、また会った、な…」

力無く笑う少年を見てホロホロは打ちのめされた。
やはり、嫌な予感は当たり、彼は無事ではなかったのだ。

「……またおまえ、良いモン持ってんな」

少年の目が刀に行く。

「…………オイラ、もう疲れたんよ」

その意味は痛いほどよく分かった。
ホロホロの心臓を何かが締め付けている。

「…………おまえ、名前なんてんだ?」
「…………葉」
「そっか、葉ってんだな」

ホロホロが名前を呟くと葉は嬉しそうに微笑んだ。

ホロホロは刀を投げ捨てた。
最後の一降りは彼に捧げた。












青年の語りはそこで終わった。
その出来事以来、どうしようもないという考えが許せなくなったのだ、と。

「………わざわざそのように辛い話とは知らず話させてすみません」
「お、おいおい、何も俺の話だと決まったわけじゃないだろ」

彼はそう取り繕ったけれどもごまかせるはずはない。

「と、とにかく、俺の話はここで終わりだからな、次はおまえの話聞かせろよ」

薪を新しく追加しながら彼は私に旅の道中の話をせがんだ。
彼の仲間がいるというテントの幕が開かれそこから出て来た男に出来立てだという慎ましやかな食事をいただいた。

彼の話が本当かどうかなんて私の知ったことではない。
ただ、きっかけは何であれ、彼の心に酷く胸を打たれた。

私の話もここで終わり。
悲しい出来事の後に立ち上がる彼に心を動かされたと言いたいのだ。




この話をもし幸せに終わらせたいのなら聞いて欲しい、私に食事を運んだ男の腹部には、生々しい刀傷が残っているのを見たことを。





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