記憶にさえ残っていなかったクラスメートの来訪に教室はざわついた。むろん、長期に渡ってサボり続けた葉にも非があることは重々承知している。
突き刺さるような視線が痛くて怖くて気が重たかったけれども、大丈夫だと何度も自分に言い聞かせて教室前方掲示板に貼られている座席表を見て自分の席を確認した。

「麻倉くんの席ならここだよ」

そう言って微笑んできた年齢と比較して、というか比較などしなくても極端に小さいクラスメートが自身の隣にある窓際一番前の席を指さしながら話し掛けて来た。
一応その場所に麻倉と書かれていることを確認してから葉は彼の隣の席に腰を下ろした。

「麻倉くん、1時間目英語だけど……」
「…………葉で良いんよ」

そう言うと少年は驚いた顔を見せ、葉は照れ臭そうに笑い返すと、釣られて笑われて安堵した。

「葉くん、ね。僕はまん太、小山田まん太だよ」
「ほーい席つけぇーい」

あ、先生だ。と誰かの垢抜けない声がした。

ついさっき校門で会ったばかりなのに教卓を前にすると少しばかり教師然としているシルバにドキッとなる。ぐるっと教室を見回したシルバは最後に葉と目が合ってニコリと笑った。ちくしょう、心臓静まれ!

「出欠ー……取る必要ないな!全員出席…っと」











******


葉が登校を再開したのは既に期末試験が過ぎた夏真っ盛り、数日と経たないうちに夏休みが迫り、今日の午前授業と午後の全校集会でしばらく制服とおさらばとなっている予定だ。
むろん、まん太に説明をうけた葉はようやくシルバが来なかった一週間を把握した。試験を受けなかった、授業に出ていなかった葉は大量のプリントと戦うことを余儀なくされている。

「今日も全員出席、と」

出欠簿を閉じたシルバは朝のホームルームをはじめようと口を開きかけたところ、一人の生徒が上げた腕によって遮られた。

「シルバ先生ー」
「なんだー?」
「噂なんですけどぉ」

そこまで言いかけてその子はキョロキョロと近場にいる生徒たちと目配せをし、言え!と励ましとも脅しともとれる激励を受けていた。

「アメリカに戻るって本当ですか?」

普段は片方の耳からもう一方の耳へ流される言葉が葉の脳全体に響く。
アメリカ? 戻る?
咄嗟に葉はその発言をしたクラスメイトを見たあとにシルバに視点を戻した。

「おいおいどっから仕入れた情報だ」

苦笑いをしたシルバに教室中の目が集まった。

「まーついでに言っておこう、向こうの大学の恩師からプロジェクトチームに入るよう呼び戻された」

おー、やんややんや、と野次が飛び交う。
それらはあっさり葉の耳を通り過ぎた。

「おまえらを最後まで受け持つと言い張ったんだがゴルドb…恩師たちの強引さに負けて、な。1学期終了したら俺はアメリカに帰りまーーーす」

ええぇぇぇ、と声があがるとなんだ淋しいのかお前らとからかう笑みを浮かべるシルバに吐き気がする。
こそりと隣席のまん太が葉の顔色の悪さを気遣って「大丈夫?」と声をかけたのでなんでもない、と笑った。


クラス内の驚愕と残念がる叫びは午後集会で全校へと広まった。








肩を手で押さえて回すとごりごりと音がした。
可愛がっていた生徒たちに名残惜しまれると後ろ髪引かれる気持ちでいっぱいだ。
下校時刻を過ぎてもシルバを囲う在校生がやっと散って、疲れが全身に溜まっている。

屋上に上がりタバコを吸おうと屋上に繋がる最後の階段を上っている間に胸ポケットから一本取り出してライターの蓋に指をかけながら扉を開けた。

夏の太陽が照らし続けた屋上は最大限に熱を帯びていた時間帯を過ぎて、伸びた日陰にいると多少肌寒く感じる。

フェンスに寄り掛かりながらタバコに火をつけ、肺に送り込んだあとぷは、と煙を吐いた。
白くぼやけた街に世話になったものだと感慨深い思いに浸って名残惜しさを感じる。
アメリカ在学時代の恩師に集うメンバーの思い出したくない馬の合わない先輩による嫌がらせに近い電話に根負けしたのは非常に腹立たしいが、研究自体は好きだった。
ただ、今の心残りは限りなく安堵にも近い。

バタン、と重たい扉が閉まる音がした。
開ける音はしなかった、どれだけ自分の世界に浸っていたんだろうか、と恥じながら目下の街から扉に目を向ける。
大きく煙を吸って心臓を落ち着かせた。

「……下校時刻はとっくに越えてるぞー麻倉ー」

シルバの軽い咎めを無視した葉はシルバの横へ来て景色を見下ろす。

「オイラが学校来るようになってからオイラんち来なくなったよなー」

安堵が消え去り、心残りが身体を支配しそうになる。理性をタバコの苦味でなんとか留まらせた。
心残り、なんて可愛らしい言葉に留まらせたい。

「麻倉も、もう安心だからな」

葉は背中をフェンスに預けてシルバを見るとニッと笑った。

「ん!あんがとな!」

いつもふて腐れた顔しかしてなかったのに、と目を見開いてびっくりしていると煙が変なところへ入ってむせ返り、首を突き出す形で顔を下に向けた。

「おいおい、大丈夫か」

呆れた声と共にしゃがみ込んだ葉がシルバの顔を見詰めた。


一瞬だけ、空気が止まる。


寛げたシャツの胸元を引っ張られ、口を塞がれた。
ぼとりとタバコの灰が落ちる。

「また会おうな」

笑顔を残して葉は背中を向けた。
その腕を反射的に掴んだシルバは葉以上に驚いている。

「その時は、先生と生徒じゃないから」

意味はわかるな、訴えかけた瞳に葉は察したうえで微笑んだ。

「じゃーな、先生」
「麻倉、変なオヤジに気をつけて帰れよ」
「うるさいんよー」

シルバは短くなったタバコを吸うフリをして唇を押さえながら葉を見送った。
残る彼の感触。



この街を去る心残りなどない





UNISON
乱された心音は自分一人ではない


これが数年後、シルバがいる研究チームに入った後輩との出会いと別れと約束の話だ
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