「歩く時も美しく」する事は忘れてはいない。気品を保ったままである事は、正直、あまり得意ではない。

早く座りたい、早く行きたい、早く…とグダグダ考えながら歩いていると、他の部屋から怒ったような大声が聞こえた。
しかも、その声の持ち主はどう考えても葉である。



 「ハオ!!お前どーいう事なんよっ!!アンナから手を引けって!」
 「だから、お前がはまり過ぎてるから注意してんだよ」
 「余計なお世話っていうんよ!そういうの!!」
 「だって、あのアンナって奴はお前のことなんざ別に好いちゃいないぜ?」
 「………っ! っでも、オイラをここに連れて来たのはお前だろっ!!」
 「僕は葉の為にちゃんと天神の予約、とってたんだよ。 …なのに、葉ってばアンナなんかに唆されちゃってさー」




えらい言われ様だ。
まぁ、本当のことね。とアンナは会話を聞いても特に関心を抱かなかった。
世間知らずのおぼっちゃんの良い社会勉強になったかしら?とぐらいにしか思わなかった。



他の、葉ではない客の待つ部屋に着くと、アンナは着物を綺麗にして座って、頭を下げた。
「アンナです、失礼しま」
す、と言うのと同時に中から襖を開けられた。

その次の瞬間、瞳孔の開ききった男に襟を掴まれ、がんっ、と押し倒された。

「いっ」
「お前に貢いだ櫛…あったよな、それも大量にあれ、返してくんねえかな」

ギクッ、とした。
今あるのは頭にある一番新しいものだけだ。
それもこの男に貰ったものではない。

「さ、さぁ何のコ」
「しらばっくれるなっ!!お前、ずっと換金してたんだろっ!? ネタは上がってんだよ!!」

前髪をワシと掴まれ、引き寄せられた。
騒ぎに気付いた野次馬お構いなしに男は続ける。

「お前の所為でなぁっ、ウチの店が傾き始めてんだよっ どう落とし前つけるつもりだっテメェ!!!」

そんなもん知るか、と脳裏を掠めた。
自分で勝手に通って来ておきながら。

アタシが落としたのが悪いってんなら、落とされたあんたも悪い。


男は懐紙から刃物を取り出した。
殺される、と思うと流石のアンナも一瞬血の気が下がった。
野次馬はそれぞれに悲鳴を上げている。

男がそれを振り上げた瞬間、バッと反射的に目を瞑った。
終わり、かと思った。




「うわぁっ!!!」という悲鳴が聞こえ、アンナの上にあった人の気配が消え、前髪が解放されると、重力に従って尻をついた。
恐る恐る、目をあけると男が首に刃を突きつけられ、カタカタと震えている。
その上にいたのがなんと葉だった。

「…こんなとこで騒ぎは起こしちゃいけねぇよな? 外、出るか?」

葉がニッコリ笑うと、男は「誰がこんな店、二度と来るか!」と言って逃げ腰になって帰っていった。



野次馬もゾロゾロと帰っていく。

「…怪我、なかったか?」

葉に言われ、コクンと頷いた頭に葉は口付けをした。
よかった、と聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いてもいた。

「じゃ、オイラ帰るな」
「え」

実は仕事、抜け出して来たんよ、と恥ずかしそうに彼はそう言った。

「顔、見れたし」

柄にも無く、アンナは顔が火照っていくのを感じた。
帰路を辿ろうとした葉が「あ」と声を上げて立ち止まり、アンナにもう一度近付いた。

「これ、やる」

アンナの手の平に高価そうな飾りの付いた桃色の櫛を渡した。

「似合いそうだなー、って思ってたら買っちまっててな… はは」


じゃぁな、と葉は今度こそ本当に帰って行った。


アンナはまた櫛を見詰めた。
そしてギュウとそれを握り締めた。


「…こんなの…売れるわけないじゃない…バカ」


最後の言葉は何処に、誰に言ったのか自分でもよく分からなかった。
久しぶりに、耳まで赤くなっていた気がする。






それから、多分、一週間くらいしただろうか。

「…今日も雨ねぇ」

御見せに出ているというのに、皆、アンナたちのほうは向いていない。




まぁしょうがないか、とアンナは溜息をついた。
下を向くと、自分の胸元に挟んである懐紙が視界に入った。
アンナは知らず知らずの内にそれにそっと触っていた。
それも幸せそうに。

そこには例の櫛が挟んであった。


 いつも肌身離さず、貴方を思い出せるよう、なんてまさか本当になるとは思ってもみなかった。


暇になっている後ろに位置する花魁たちがコソコソお喋りを始めていた。


「ねぇねぇ、あの話聞いた?」
「え? 何?」
「雪菜」
「え、あの不細工?」
「…失礼やねぇ、アンタも。事実だけどさ」
「え、どないしたん?」
「身請けされるらしいで」
「うそー、物好きがおるもんやなぁ、誰々?」
「あの、馴染みの客やて」
「へぇー…おったんや」
「しかも町人やって」
「わぁー…羨ましいなぁ」




羨ましい?
そんな根性じゃこの世界で生きる事はできないよ

と脳裏に言葉が走った。
所詮、それは夢物語。



「アンナ、お客さんよ」
「はぁい」


よ、と葉が手を挙げた。
アンナはにっこりと笑って、座敷に上がった。


「なんか…今日はアンナに会えそうな気がしたんよ」
「…何なのよ、それ」
「いや〜…はは」

葉がふ、と窓の外を見た。
つがいの鳥が舞っていた。

遊郭に入った女の大方はそこが墓場だ。
ましては吉原 その掟は厳しいと評判の。

身請けだなんて夢のまた夢。
彼女達はただの玩具 ただの売り物 でも





「雨ん中、あの鳥よく飛ぶなぁ」


所詮は籠の中の囚われの妓
だけど


ギュウ、と葉は腹部にアンナの腕の力を感じた。
後ろから抱きつかれた。
アンナの、体温を感じる。
頻繁に遊びに来ている割に実はこの男まだ“遊んだ"ことがない。
カアァ、と赤味が増していく。


「あ、アンナ?」


所詮は恋なんて 夢物語

でも


「…抱いてよ」
「…ぅえ!?」


でも


「ねぇ」



貴方がいいの 私に 夢見させて


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