葉の家近辺は極端に人通りが少ない、そこに続く暗い道に入ると、安心して少し歩く速度を緩めた。そうすると気が付いたら自然と横に並んで歩いていた。
シルバがその葉の頭を包み込んでしまえるほど大きな手を葉の頭に乗せてわしゃ、と撫でた。
条件反射で葉の手がそれを嫌がり、パシ、と払う。
「いったー、恩人になんて事すんだ」
「…………んよ」
喉の奥から搾り出すような声を葉があげた。
「……なんでオイラなんか助けたんよ」
潤んで膨脹した瞳がシルバを睨んだ。
「ばっか、そんなの………」
そこまで言って言葉が詰まる。睨みつけ続ける葉から顔を反らせて口元を手で覆った。次第に眉が寄ってきた。
「………おまえが、大事だからだよ」
捻り出した言葉はおおよそ納得のいくものではなかった。だけどそれ以上の言及もできない。
「………ホンット馬鹿なんか、おまえは」
葉の足取りが止まった。
数歩遅れて気付いたシルバが葉の方を振り返ると、俯いている彼を目にすることができた。
「オイラは、地元で蔑まれつづけた、そんな簡単に他人なんか信じられっかよ!」
泣いてるように見えた。
言葉が詰まった直後、脱兎の如く葉は走っていってしまった。
彼が自分を語ったのははじめてだった。
葉の後をシルバも追う。
老いだろうか、まさか便所サンダルの少年の足に敵わないとは。
葉の家の扉がしまった。
拳で一度、扉を強く叩く。
「開けろ!」
「嫌だ!」
一言で拒否され、葉の大声で我に返る。
子供相手に何をムキになっている、と邪魔な髪をかきあげて冷静を取り戻すように努めた。
「………信じたら、」
息を整えていると、喉の奥から絞り出した蚊のような声が聞こえた。
「他人を信じる、なんて他人に騙されてやるようなもんなんよ……!」
何があったか、だなんてシルバが知るはずがない。当たり前だ、彼のことは担当教諭になってから知った。
学校に来るように諭しにはじめて行ったとき、放っておけない、人間と接触しないで生きていける人間はいないのに、と思った。
今なら分かる、そんなのはただの建前だ。
そ、とドアノブに手をかけた。
ガチャン、と音がなり、引くと壁に背中を預けて手で顔を隠したまま座り込んでいる彼がいる。
ドアを閉め、シルバもしゃがんで目線の高さを合わせた、それでも顔は上がらない。
葉の肩に手を置くと、微かに小さく震えていたことが分かった。
胸が締め付けられる思いがして居ても立ってもいられず、気が付いたら抱き寄せていた。
「信じろとは言わないよ、でもな、少しは甘えな、全部自分の中に溜め込んだら疲れるだけだろ」
かなりの間が開いて、肩の辺りで葉が頷いたのが分かった。
「…………さっきのアレな、マジで怖かったんよ………ありがとな、シルバ」
葉の素直な言葉を聞いたのはこれが初めてだった。
葉の柔らかい髪を梳くように頭を触った。
もう一方の手で頬を撫で、葉の方から、肩から離れ少しの間を残して見詰め合う。
頬に沿っていた両手でシルバは葉の頬を摘んだ。
「おー、よく延びる。頬が延びる奴はエロいんだぞー」
「いたたたたたたたっ!何するんよっ!!」
真一文字になっている口から文句を言いながらシルバの手を剥がそうと躍起になった。
ニッ、とシルバが歯を見せて笑い、葉の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「じゃ、明日こそ学校来いよ、麻倉」
「だ、誰が行くか!」
高らかに笑いながらドアから消えていくシルバに葉は真っ赤になりながらそう言い捨てた。
シルバの笑い声はほんの少しだけ続き、すぐに暗い顔付きになった。
先程まで葉に触れていた掌を見て息を吐いた。
ぎりぎりの理性で踏み止まったが、雰囲気に飲まれかけた。
罵りの言葉を自身に浴びせ掌を強く握った。
ポケットに入れていた携帯のバイブが鳴る。
数日と言わず、けっこう前から同じ勧誘の電話が届いていた、断る理由は、もう、無い。
「おはよーございまーす」
「おぉ、オハヨ」
毎日交わす挨拶
8:30
定刻になると、溜め息をつきながら、門を閉める。
センセー待ってー、と、遅刻ギリギリの生徒に対して、「もぅ少し早く来いよ、」と、声をかけ、何だかんだで、8:35
だよな、と思って門を閉めかけたところで、カラン、と木の底で出来たサンダルとコンクリートの地面がぶつかる音を耳にした。
音のした方に視線を向けると予想通りの人物がいる。
「おはよう」
笑顔で出迎え、はじめて朝の挨拶を口にした。
葉も口を開きかけ、何かを言おうとしたが、言葉が見付からず金魚のようにパクパクとしたあげく、横を向き、頭を掻きながら恥ずかしそうに「おはよう、ございます」と呟いた。