トカゲロウ編直後の話憑き物が落ちた、先ほどまでまさに“憑き物”に他ならなかった自分が言うのもなんだが、そういった久方ぶりに落ち着いた目を通して見た世界はむず痒いものだった。
数少ない団子をみんなで食うとか、とんだ甘ちゃんだと思ったが、それもそれで楽しそうな気がする。
あっさり、はいそうですかと成仏するには悪名を轟かせていたんだぞ、というプライドが邪魔をしていた。
とにかく、阿弥陀丸に復讐するため巻き込んだ、今のあいつの主人にその友達というちっこいの、そしてギリギリまで体力や生命力を削り続けてしまった男前をしばらく見ていたかったため、“葉”から離れたあと、ボロ屋の屋根に座り込んでぼーと眺めてみる。
霊としての年輪が浅いこの家の霊たちが取り囲むようにトカゲロウのまわりに集まった。悪い雰囲気は消えたが、見張りだと飄々と言い放った褌一丁の老人に舌打ちという悪態をお見舞いする。
一度だけ、おっかない少女に鋭い眼光で睨まれたが、それからはいないもの同等に扱われた、要するに無視だ、いてもいなくてももう構わないと。地獄送りにしてくれようとしていた彼女に見逃してもらったのだ、有り難く腰を下ろしたままになり続ける。
少女を追い掛けた視線は、シャツを羽織っただけの葉を捉えた。
「なに弱小霊に取り憑かせてへばってんのよ!」
「うぇっ、ぐ、ぐるしい、〜アンナ、ごめんって!」
「ゆるさない……このアタシに赤っ恥かかせて…!明日からあんたの修行メニュー倍にするからね」
「「ひいいぃぃぃぃ〜〜〜〜っ」」
目元が赤い少女はそれに似つかわしくない般若を背負っている。
それを眼前に見ている葉は勿論、すぐそばにいたまん太まで悲鳴をあげるとは。
『……あれが現代の地獄ってヤツかね』
暢気なものだと呆れ混じりに呟いた言葉に、まわりにいる霊たちが頷いた。トカゲロウの気持ちに同調したのか、呟いた言葉にだったのかはわからないけれども。
むさ苦しい男共はあまり見たくなかった、ついさっきまで無かったはずの良心めいたものが痛むからと、自衛のためにそちらを見ることを拒んでいたのだが、その心が瞳をそちらへ向けている。
取り殺しかけた男前になんと謝ればいいのかわからない、そもそも他人へまともに謝ったことなど盗賊として生きているうちも死んだのちも無いに等しいのだ。
「竜さん!」「竜さん!!」
「俺がわかりますか!?ボール・ボーイっすよ!」
「竜さん、早く目を覚まして俺たちを安心させてください!ブルシャトー、心からお願いしますから!」
「竜さん、目をあけ、っでえぇぇぇ〜っ!傷開いたあぁぁぁぁぁぁっ!」
「「「「「「「マッスルパーンチ!!!!」」」」」」
ごろんごろんと右足に巻かれた包帯に赤を滲ませながらのたうちまわる男にズキリと胸が痛んだ。
思わずふらりと立ち上がる。
見張りだと言い放ったくせにあっさりと見送る頼りない霊をそのままにしておいて、トカゲロウは竜たちの集団に近付いた。
霊能が無い彼らはそんなこと、知る由もなくギャーギャーとまだ叫んでいる。
トカゲロウの口がぱくぱくと開け閉めを繰り返した。
背中に、葉とアンナ、まん太の視線が突き刺さる。
ただただ様子を心配そうに見ていたり、不信感を滲ませていたり、……横目で確認してみると、想像以上に彼の瞳には真剣な色が湛えられていた。そこには、信頼感が。
考えてみればそんな感情をぶつけられるのも久しぶりだった。
考えを振り切り、数時間前、彼らが慕う男に乗り移り、その外観のまま傷を負わせた男を見つめた。
乗り移っていた見えない霊など、興味がないのか彼らはトカゲロウに対する恨み言は一切言わず、ただただ仲間を心配する言葉しか発さない。
悪名高い盗賊トカゲロウ、恐れられ、怨まれ、あの時代とはえらい違いだ。
もう自身の存在など過去の遺物でさえないのに、いつまでもしがみついていたこの世になんとも言えない気持ちを寄せ、唇を歪めた。
トカゲロウを認知出来ない者にかける言葉は価値がない。
ゆっくり、どこか恐る恐る、トカゲロウは葉たちに近付き、最後の虚勢を張って腰に手をあて、踏ん反り返った。
『迷惑かけたな』
「ホントにね。アタシの肌に悪い。何時だと思ってんのよ」
知るか、と思っても彼女の気迫には勝てる気がしない。
う、とたじろぐトカゲロウを見た葉が笑いながらフォローに入った。
「トカゲロウ、おまえ、これからどうすんだ?」
『そんなん、関係ないこった』
けっ、と悪態をつくトカゲロウに苦笑いを浮かべたまん太が視界に入る。
そちらを見つめるとまん太がびくり、と小さな身体を反射的に飛び上がらせたので、バツが悪そうに頭をかいた。
『…………その』
「…うん」
『…………………悪かったな……』
「! ううん、もう気にしないでよ」
お優しいこって、と皮肉めいた笑みが浮かんだが、すぐに引っ込めた。
その優しさのうえに立つ自分がひどくむず痒い。
『じゃあな』
そう言い残してトカゲロウは姿を消した。
自ら姿を消した霊を追うことはシャーマンにはない。あるとすれば本気の除霊ぐらいだ。
ちなみにシャーマン代表の葉いわく「霊にだって一人になりたいときはさせてやるさ。“プライバシーの尊重”ってやつだな」ということらしい。
しかし、そんなもの600年前には無かった。
『………いつまでつけて来る気だ、阿弥陀丸』
振り向いて睨みつけてくるが、その目の色は先程より含むものはない。
『トカゲロウ……』
阿弥陀丸は彼を殺したことに後悔はない。
たしかに食うか食われるかという時代だっだのだ。
ただあの生きた時代の感覚がこの平和な現代にいると追い付かない。
言い澱み、目を伏せた阿弥陀丸を見たトカゲロウは脇道にむかって唾を吐き捨てた。
『オレは根っからの悪党だ。今更良い奴気取るつもりはねぇよ。』
『だが、しかし!』
『うぜぇんだよ、この偽善者が』
辛辣に言葉を連ねる。
しかし、棘は含まれていないことに阿弥陀丸の塞がっていた胸が軽くなった気がした。
『……とりあえず、オレは今、お前のツラ、見たくねぇんだ。600年間ずーっとてめぇのことしか考えてなかったのに……てめぇの主人のせいでな』
ケッ、としけた顔を見せるトカゲロウに対して、阿弥陀丸の表情は和らいだものに変わる。
『何処に行くつもりでござるか』
『そうだなぁ、ここで成仏は天下のトカゲロウ様の名が廃るってもんだからどうしたもんかねぇ……なぁに、なんとかなる』
ニヤ、と笑ったトカゲロウは阿弥陀丸に背を向けた。
ずっと怨んでいた阿弥陀丸とその主人を見ることはもう無いだろう。葉の口癖を真似することでそう言いたかった。
『もう追っ掛けてくんなよ』
手をあげて指を広げ、1、2度振る。
昔、阿弥陀丸がトカゲロウを斬った場所にまだ木が残っていた。
強い風が木の葉を揺らす。
ざわついた葉の音が残り、能がある者にしかわからない気配がひとつ、その場からなくなった。
あしたは明るい日になるさ
数時間もすればまた朝日が昇る
20111010