また、あの夢を見た。
欠伸ではない涙が、目尻から耳元に伝った。
顔を冷たい水で洗った。肌が引き締まるのを実感する。隣にいる阿弥陀丸が刀の柄を握りながら俯いていた。
『葉殿…』
苦々しい響きの声だった。んあー?と顔をタオルで拭きながら返事をした。
自分の方を向いた葉を見、は、とした表情を垣間見せ、また、目線を下に落とした。
何も言わなかったけれど、葉は目許が赤く腫れている阿弥陀丸から自分への配慮が手にとるように分かったので、厚意に有り難く乗った。
昨晩、沈痛な面持ちでアンナに祖父ちゃん、つまり葉明たちに呼び出されたことを聞き、初めて麻倉家とハオの因果を知った。
一度に全てを飲み込むには事態が重過ぎて、一晩寝てやっと気持ちの整理は一通りつけた。
しかし、隣にいる阿弥陀丸は葉と違い、まだ混乱しているのだろう。葉に聞き募りたいことはたくさんあるだろうに、武人としての誇りが主に対してのそれを是としないため、スッキリした気分になれない彼を巻き込んでしまったことは少し悪いと思ってしまった。
自らの醸し出す重い空気に耐え切れず、阿弥陀丸は、御免、と呟くと位牌に篭ってしまった。
葉は髪を手櫛でとかし、欠伸をしながら、たまおが用意してくれた朝食を食べに向かった。
その席にはすでにアンナがお椀片手に味噌汁を啜っている。
はよ、と声をかけながら座ると、おはよう、と返事を返された。
たまおがホカホカと湯気をたてる白ご飯をよそって持って来てくれたことにいつもと変わらないように、と努めながら笑顔で礼を言った。
「葉」
「なんだ?」
「食べ終わってから30分後に今日の修行開始だから」
うげ、と白目になって、箸を片方落として固まってしまった。
たまおが取り替えようとしてくれたが、大丈夫だと返した。
いつもと、何も変わらないようにしなくてはいけない、頭では分かっていたが、動揺はキレイに隠れてはくれない。その分、アンナは凄いな、と思った。
葉は食べ終わると、パッチ村で自室にしている部屋へ行き、窓の外を見た。
グレートスピリッツがキラキラと輝いていた。
アンナの言う30分後までにはまだ少し時間があったので、外に出よう、と思った。
ちらり、と阿弥陀丸の位牌を見たが、少し頭を振りかぶって持って行くのはやめた。
少し裾が長いズボンのポケットに手を入れて、背の低いビルの上からグレートスピリッツを見上げた。
特に意味はなかったが、全知全能ならば、教えて欲しいことがある。
正体は、もう分かっているのだけれども。
背後に生暖かい空気を感じた。
横目でチラリと確認すると、スピリットオブファイアの色が見えた。
動揺することもなく、葉はまたグレートスピリッツに目を戻した。
「もう分かった?麻倉と僕の関係は」
「ん」
短く肯定の返事をするとハオは葉の手首を掴んだ。
ハ、として葉はハオを見た。
その瞳には、はじめに見せていたような少しでも温和なものは漂ってなどいない。
「敵がこんなに近くにいるのに、お前って奴は持ち霊も武器も持ち合わせてはいない。」
葉によく見せるように掴んだ手首を互いの顔の間に上げ、二、三度振った。
葉が目を伏せ、それを是としなかったハオは葉の顎をもう片方の手で掴み、自分の方を向かせた。
「この状態じゃ、何をされても葉の不注意が原因としかされないね」
「…したいなら、勝手にすれば良い」
へぇ、とハオは皮肉を込めてわざと驚いたように声を出し、葉の首に唇を落とした。
舌を使い、肌を撫でると、慣れない葉が我慢する気配がして笑えた。
しかし、さすがに噛んでやると、その痛みに耐える声が漏れたので、それ以上は踏み込まなかった。
「こんなもんじゃ済まない目に遭うかもしれないよ」
「でも」
葉はハオに噛まれたところを押さえながら、ハオを真摯に見つめて口を開いた。
「お前の痛みだって、こんなもんじゃなかったはずだろ」
未だ掴まれている手首に込められた力が強さを増した。
「…知っているかのような口ぶりだね」
「知ってるんよ」
ハオは葉をふざけたことを言うな、と睨んだ。
それに気付いた葉は首を横に振ってぽつぽつと話し始めた。
「………鬼の子だってオイラ、ガキの頃、まわりからハブられてたんよ、今まで、それが、響いて、夢の中までも虐められてたと思ってた…でも、あれは、お前の昔の記憶だって思ったら、それがスンナリするんよ」
ハオの目が見開かれた。
葉は先程まで見た夢がフラッシュバックのように思い出された。
近所の少年たちに石を投げられて、鬼の子、狐の子なんかじゃない、と言いたいのに言えない悔しさ
母が知らない気持ちの悪いものに連れ掠われた言い切れない悲しさ
初めて人を殺してしまったことに対する罪悪感
数え切れないほど見た悪夢には、とても現代とは思えない着物や風景だった。
「…………そんなもので、分かったような口を利くんじゃない」
ハオは葉の手首をブン、と放した。
痛んだが、葉は押さえようとはしなかった。
「そんなの、僕じゃない。僕は、その全てを恨んでいた。初めて殺した奴には当然の顛末だと思ってる」
「…オイラが、お前の半身だから」
そういう部分だけ、ハオに片寄り、残りは葉に偏ったんじゃないか。
昨日からそう思えて思えて仕方がない。
記憶も感情も
「勝手にそう思っておけば」
憤慨気味に応えたハオは、自身が葉に付けた痕を指でなぞった。
「いずれにしろ、お前は僕の物なんだ。痕も付けてやった、いつでも歓迎してやるよ」
葉は何も言えずに俯いた。
ハオは踵をかえすと再びスピリットオブファイアをオーバーソウルして現れた手に乗って、帰って行った。
それが見えなくなるまで葉は見ていると、小さな足音が段々と大きくなって、葉の姿が見えるくらいの距離にまで近付くと、声を上げた。
「いたーーーっ!葉くん!!」
「どうしたー、まん太?」
多分、今までのことは見られてないよな、と疑心暗鬼しながらいつものようにのんびりとした声で振り向いた。
「どうしたもこうしたも…アンナさんが、凄い形相で怒って葉くん探してるよ」
「ゲッ、もうそんな時間なんか」
早く、と急かされながら葉は帰路を走った。
も〜、とプリプリしたまん太にすまん、とか、ありがとな、と言っている内に、まん太の言った通り、般若と化したアンナが葉を待ち受けていた。
地獄の特訓後、クタクタに疲れた葉は地面に寝転がって空を見た。
体内時計が狂いそうなくらいに明るい。
「阿弥陀丸」
葉の呼びかけに、すぐに応じた彼に葉は言った。
「麻倉に巻き込んで、ごめんな」
阿弥陀丸は首を振って、葉に微笑みを向けた。
彼の意図する優しさが嬉しくて葉も笑った。
アイツにもこんな仲間を分けてやれたらな
柄にもなくそう思った。
きっと、葉は夢に見た悲しい人生を送った一人の人間に決着をつけなくてはならない。
夢の中の彼は、いたいけなただの子供で、成長しても心だけは素直な人だった。
でもきっと、今、葉を形成した一部が麻倉葉王であって、今のハオは“麻倉葉王だった”はずの人なんだ、と思う。
自分に言い聞かせるつもりで考えたことが、欝陶しくなって何が何だか分からなくなってきた。
『さ、葉殿、外は冷えてきたで御座る、そろそろ中に入ってゆっくり休まれ』
阿弥陀丸は急に言葉を切って身構えた。
確かに、視線を感じたのだが、すでに気配はない。
「阿弥陀丸?」
『なんでもないで御座るよ』
「そか。じゃ、中入ろうぜ、たまおが飯作ってくれてるだろーからな」
ハオは頬を伝う生暖かいものを拭いもしなかった。
随分長い間、忘れてた、遠い昔感じた感情。
今覚えているものよりレパートリーがあることを葉の思考を読んで、少し思い出した。
「それでも、僕のすることに代わりはない」
自身を奮い立たせるためにそう口に出した。ハオの新たな決意に悲しむのは、きっと
瞳を閉じて、瞼の裏に彼の姿を描いた。
その姿は、過去の自分に似ていたかもしれない。
【葉くんにハオの記憶が残ってたらなっていう妄想】