※文章リハビリ中
※鏡音三大悲劇・囚人P『囚人』パ口






気が遠くなるような日々だった。最期に走馬灯がすべての思考を占拠する。思い出すのは多分、長くはなかった人生で1番輝いた時期だった。



―――――怠くて重たい身体を引きずり、とにかく嫌悪感しかない棟の外へ出た。 首筋が熱く、右手で触れると痛みが走る。 先程まで打たれていた鞭が作ったのだろう、指の腹に血がべたりとくっついた。 いつもそうやって収容者に暴力を振るう看守よりもある程度距離を取って冷たく見詰める男の目を思い出す。 傍観されるのが1番嫌だ、気味が悪い。
物心ついた頃にはすでにこうだった。
これが当たり前で、これが彼自身、自分の運命なんだと割り切って冷め切った、絶望感さえも通り越して無気力な生活を送っていたが、仲間がひとり、ふたりと消えていく日々は悍ましく感じていた、いつ彼のときが来たものか分かったものではない。怨むなら自分の血筋を怨めだなんて言われても、そんなものを辿る宛さえない、それを理不尽だとも考えることは出来ず、ただこれさえもが終わる日を望んでいながら心の底から恐れていた。
棟の内部からはまだ仲間が鞭やら直接拳ならまだマシな方、腹を蹴られたな、くぐもった慣れすぎて悲鳴にもならない声が聞こえる。 むしろ、声をあげるほうが看守たちは喜ぶだろうが、誰がそんな真似をするか、と心から思っていた。 先発で良かった、だなんて的外れなことを思いながら、首筋以外にも出来ている傷跡が疼くのを押さえるために柵がぐるりと囲む狭い世界の中では限界があるが、音が聞こえないくらい折檻部屋から離れたところへ壁伝いで向かった。柵の向こうでは人の気も知らない上へ、上へと伸びきった雑草が微かに吹く風に揺られている。
良い気なものだ、と冷めた目でそれを見ながら、重たい腰を落とした。冷たい印象を放つ棟の黄色味を帯びてきた白い壁に背中を預け目を閉じる。 せめて逝くときはこうやって静かに逝きたい、だなんてらしくもないことを考えていると、どべしゃ、なんとも普段からなら聞こえがたい音が耳の中、確かにこだました。
怠いだとか言うのよりも、今のは何だ、という好奇心が勝り、疲れで今にも笑い出しそうな膝を力ませ、柵ぎりぎりまで近寄り、草の中目を凝らす。

「…………おい、誰かいんのか?」

捜すよりも出て来てもらうほうが楽だと判断し、疑問を口に出してみる。 これで聞き間違いだったとか人間じゃなかったとかならただの笑い話だった。
が、言葉を放った瞬間、がばと頭が現れる。
声を聞いたほうは目を見開いたようにその方向を見詰めているが、思わず声をかけたほうが驚いてしまった。
こけた事を恥じてか、立ち上がるなり後ろを向いて服に付着した砂埃を払う姿を見て、思わず吹き出しす。
そのことに頬を膨らませて紅潮し睨んできても怖くもなんともなかった。

「おまえ、名前なんてんだ? 俺は……ホロホロって呼ばれてる」

彼の口が名乗った名前を象る。
しかし音が聞こえない。
彼は少し残念そうに笑い、自分の喉を押さえた、そのジェスチャーの意味を分からないほどホロホロも不粋ではない。
ホロホロ自身、落胆した、柵の向こう、外の世界と繋がることはないと思っていたのに目の前にいる、なのに繋ぐことは出来ないだなんて生殺しに近い。繋がりたい、と格別に考えるほど無謀な期待など端から持っていないけれどもいざ目の前にすると何もないよりは何かが欲しいと思った。
少し俯いて普段から自分でもないと思っている頭をフル回転しようと思ったのに真っ白になってフリーズしてしまっている。
ふ、と相手を見ると、突然何か思い付いたように手を叩き合わせて、手の平を下に向けながら手を振った。やけに下方向への滞空時間が長い。そこにいろ、ということで良いのだろうか。2、3回頷くと納得したのか笑いながら頷き返され、手を振りながら走って行った、次の瞬間、またべしゃと草の中に沈んだ。

「……さっきちゃんと前見ないからこけたんじゃないのか」

むくりと起き上がり、姿を消す相手の背中に向かってぽつりと呟いた。

柵にさえ阻まれていなければ、さっきの奴ともっと仲良くなれたかもしれないのに、とぼんやり考えながら収容所を囲んでいる柵を見上げた。
上部には茶色く錆びているように見えようが、効力は衰えない有刺鉄線が鈍い光りを放っているし、飛び越えようにもそもそもそんなところまで昇れない。先に見付かるか、そのまま殺されるか、今までそんな奴、たくさん見てきた。まだ、ホロホロは死にたいだなんて思えない。

待てと言われたのだから、と暇を持て余していると揺れる草々の中にただの光りの反射だと思っていたが、花が咲いていた。 白い花弁を持つ花が一輪だけ咲いているだなんて変な話だ、と考えていると荒い息遣いが聞こえた。先ほど姿を消した少年が戻って来た、片手に白い紙を携えて。
ニコリと笑った少年はその紙を折り曲げ、紙飛行機を作った。
二人の間を割いている柵から少し離れ、角度を確かめながら少年はそれをホロホロに向かって飛ばした。白い紙が青い空に映え、初めて空が輝きを放っているように見えた。
ホロホロが紙飛行機を掴むと少年は満足そうに腕を組んで、また柵に近寄った。

『ホロホロ、これなら、話せるだろ?』

道具は満足に揃っているわけではなかったが、収容施設で働かされている倉庫から少しくらいならパクれる、と考え、ホロホロは頷いた。
満足そうに頷いて、少年はまた手を降りながら走ってさっきとは反対方向へ帰って行った。 と思いきや、また転んだ。
ホロホロが腹を押さえて笑いを堪えると、少年は少し頬を膨らませたがそれを見て笑みを浮かべていた。



輝きなんてなかった人生に光りがあるとしたらそれは紙飛行機。 空を飛ぶそれに自らの思いも乗せて、自由を知らないその身でも心まで飛べた気がしていた、毎日毎日、同じ時間、同じ場所。
しあわせをひとつ知ると、もっともっとと欲張って、何も無くなったときの喪失感はしあわせなんか知らなかったほうがしあわせだったかもしれない。



―――――悲しい顔で笑う少年は目を合わせようともしなかった。ホロホロも呆然と紙飛行機を解いて出来た手紙と彼を交互に見詰めることしか出来ない。
毎日毎日、来る明日への輝きはこのひそかに行われていた文通だけだった。

「なんで、もう会えないとか言うんだよ……!」

手紙には、家族の、一身上の都合で遠くに行くから、と説明があった、けれども納得出来ない。握る力が強くなり、くしゃり、手紙に皺が寄る。
少年が逃げるように背中を向けた。

「待ってるからな! いつまでも……おまえがまた来るその日まで、手紙をなくさずにいたらまた…っ!」

少年の肩が震えたように見えた。これ以上情けない声はあげたくない、ホロホロも逃げるように宿舎へと戻った。
枕の中に、今までもらった紙飛行機を隠している。先ほどもらった、これが最後の光りだった、明日からの空は、いつまでも曇天。



―――――曇りの日がどれだけ過ぎたのか分からない。 深夜、不意に腹を思い切り蹴りつけられて眠りから覚めた。 急に襲われた痛みに嘔吐感がじりじりと喉にはい上がる。
前髪を掴み上げられ、頬が引き攣った。 目の前、今まさにホロホロに手を出しているのはいつも傍観側だったはずの男だった。 彼の代わりになのか、いつも暴力を振るう体格の良い看守がホロホロの枕を手にとり、カバーを裂くと、今までの貯めに貯めた紙飛行機が落ちる。

「おまえなんかに、僕の弟は会いに来てたんだよ」
「………弟…っ」

少年の顔がぱっと浮かぶ。少し明るい黒髪、顔の造型、言われたら似ていたかもしれないが、全く異なる、心が落ち着かない。
一発蹴りを入れられ、前のめりに屈んだ。

「あいつ、身体弱くて、ずっと病院にいろっていくら言ってもいつも僕のとこに遊びに来るくらいだったらまだ良かったのに、脚が、細くなって震えてるのに無理して、」

苛立ちを口にされている、これは八つ当たりだ、それは分かったが、これが事実なら、あいつは、

びり、音が響く。

後ろを見ると、大切にとっていた手紙がばらばらと落ちていた。 息が、詰まる。

「やめろっ!」

制止の声よりも先に手が出た。 一発、目の前にいる男の頬を殴り、前髪を掴む手が離れたあと、手紙を破いた看守につかみ掛かった。
多少暴れたが、簡単に取り押さえられ、床に押し付けられ、身体まで自由を奪われた。

「連れて行け」

男の声が冷たく響く。
終わりだ、心のどこかで生を諦めた。
殴られ、泣きたいのに流す涙も出てこない。
抵抗も出来ずに、連れて行かれた部屋は少しの排気口だけがある灰色の侘しいところ。最後の舞台には酷く寂しすぎる。
扉が閉められる直前に男と目があった。

「……………あいつは、」
「……病気で、死んだよ」

扉が閉まった直後、穴からシューと音が聞こえ始めた。
苦しくて息が詰まる。
悲しくて呼吸が出来ない。

暗くて狭い部屋なのに自分の声さえ響かない。



心の底から叫んでる。

アイタイ
アイタイ
アイタイ
アイタイ



走馬灯が、少しずつ白い靄に邪魔される。
もう、死ぬのは怖くない、だけどせめて名前だけでも







(知リタカッタ)



生きていく世界が違ったけど、必死に手を伸ばしてた。
けれど、名前を聞く勇気がなくて、いまさら後悔してる。



意識が薄らいでいく中、紙飛行機が見えた。





―――――遺体の回収に現れた少年の兄は目を丸くした。 たいていの毒ガス処刑者は苦しくて喉を引っ掻きもがき苦しんで亡くなるのに、この囚人の手は必死に伸ばされていた。


会っちゃ駄目とか意味わからないんよ
頼みがあるんよ
強がって別れちまった
ホロホロに会いたい
(ヒトリハコワイ)




「………葉、もうひとりじゃなくなったよね」

氷のような目で囚人を眺めるだけだった彼の頬を涙が伝った。
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