見た目よし、頭よし、性格は内向的ではあるがよし、三拍子揃った彼女は転校初日にはクラスの人望を意図せず集め、初等部から中等部に上がり、一時は休学していたものの、クラスメイトからの人気は衰えておらず、高等部に上がったときにもそのままだと思っていた。そう、思われていた。

鞘から抜かれていない、それどころか袋に包まれたままの刀を使っていかにも盗んだバイクで走り出してんだぜコラァ、学校のガラス破ってやってんぜウラァ、という感じの不良数人相手に挑んでいた、いや、正確には囲まれていた。理由は仲間がヤられた仕返し。
仲間というのは彼らの中でたった一人だけ頬が腫れたり青痣が出来てたりリーゼントが二、三段折れていたりしている男のことだ。もちろん彼女から手を出したわけではなく、しつこいナンパを繰り返した結果である。

「いくら関東最強だとか言われてる女でも女一人に俺らの仲間が負けたんじゃ格好が悪いからなぁ」
「その女一人に数人がかりじゃないと勝てないわけ?」

彼女の刺を含んだ言葉にあっさり頭に血を上らせた彼らの中でも下っ端らしい男が拳を振り上げ突っ込んで来たところ彼女は刀身で受け流し、鳩尾を深く点いた。苦しそうな声と共に地面に四つん這いになって腹を押さえてしばらくは起動不能になった男を横目で見て、まだやる気?と他のメンバーを見た。

彼女が豹変してしまった原因としての噂は両の手で数え切れないほどある。
家族が亡くなった説から、悪魔に魂を渡してしまった説まで現実味があるものからツッコミ所満載のものまで。
どれも当たらずしも遠からずであり、もっとも近しいと思われるのは、『高等部に入ってから転校してきた外国人女子3人組の世話係に任命され、我が儘放題の彼女たちにキレた』説である。

もっと正しく言うなら、それはただの引き金であり、装填原因は彼女が敬愛している二人の人物と恩師の自由奔放さである。
高校卒業、兼温泉旅館設立直後にラブ&ピースに目覚めた夫婦水入らずの遅い新婚旅行のためまだ小さな赤ん坊の子供を残し旅立った二人に恩師のおかげで慣れてはいたものの呆気に取られ、森羅学園初等部に入学させたいからと恩師の養子・養女の兄妹を出雲から東京に連れて来る、と言って本当に連れて来た彼がパチンコ帰りに車に引かれて亡くなりましたと聞いた日には悲しみを越えて怒りが募っており、わずか16歳の高校生のうちに親なし・シングルマザー(しかも子供3人)・食客(我が儘娘三人組)という三重苦を抱えた少女が今の今まで押し込めていたすべての感情の蓋を取り払ってしまうだけのストレスを抱えてしまうのも無理はない。

不良高校生たちの大半をのした彼女は最後の一人であるグループのリーダー格の男を見据えた。
彼は腕を組んでニヤニヤと面白そうに笑っていたが、まったく怯むことなく睨みつけた。

「おもしれー女だなおまえ、俺が勝ったら彼女にでもしてやるよ」
「絶対イヤです」

男が準備体操がてらに首を回し、たまおは切れの長い目で辺りを見回した。
喧嘩を吹っ掛けられ、連れて来られたのはいかにもなどこかの無用心な海の近くの倉庫内で、近くには食べ物屋が列なっていた気がする。
下手に大騒ぎをすれば誰かに見付かり、警察に御用になるかもしれない。それだけは勘弁だ。
と、思った矢先に、だ。

「うっせぇぞ、ガキども!ケツの青いガキンチョはとっととママんとこ帰りやがれ!!」

たまおは何も言わなかったが、まだ勢い付いてる今まで向き合いになっていた男がうざそうな顔をして、「うっせー糞ジジィ」と声を上げた。
見た目からしてヤーさんっぽい感じな人だが、寿司屋の職人のような、というよりそのものの格好をしている男だった。

「あぁん?誰がジジィだこの糞ガキャ」

近寄って来る男の威圧感は相当のもので、さすがの相手も一歩引いた。
力が少し抜けていたたまおの手から刀を取られ、男はそれをほんの一瞬だけ気を抜いてしまったリーダーの男の顎に当てた。ひっ、と短い悲鳴が聞こえた。

「……木刀の竜の名前を聞いたことがないうちはガキも同然よ」
「ぼくと……!?」

少しだけ剱先を顎に押し付けたあと、離し、顎を押さえて噎せる彼を無視して男はたまおに「着いて来な」と言った。
彼女も黙ってそれに続く。

倉庫を出てしばらく歩き、寿司屋の前で止まり、中に入って行く。
さすがに躊躇したたまおに「来るんだ」とだけ言って渋々と付き合わせた。

「おやっさん、不良どもに連れて行かれてた女の子連れて来ましたよ!」

そう言われ、最初に彼女を見たのは見ず知らずの客らしきおじさんだった。

「そうそう、この娘だよ!大丈夫だったかい?」
「まったく竜、社長の話聞くなり飛び出すなんて、なんちゅー奴だ」
「すみません大将!」

それだけの会話でなんとなく経緯を理解したたまおはとっとと家に帰ろうと未だ竜が持っている刀を取って帰ろうとしたが、思った以上の力で彼はそれを握っていた。

「たまおちゃん、これは葉の旦那のモンだろう、喧嘩の道具じゃねぇ。そもそも何やってるんだ、たまおちゃんは、そんな娘じゃないだろ」
「返して!!」

なんでも分かったような口ぶりに腹が立ち、目を吊り上げて叫んだ。

迂闊だった、たしかに彼は板前修行と称してどこかの寿司職人の下で働いているとしか聞いたことはあったけれども場所までは聞いていなかった。ほぼ年中無休なおかげで忙しく、まったく会う暇どころか連絡さえもがなかったから久々に会ってもの凄く驚いた。
こんな再会の形も嫌だった。

葉が泣く泣く残して行った春雨を奪い、その場から走り出した。
風を切って走ると耳には風が嘲笑っているかのような音が響いた。

関東最強だなんてなりたくてなったんじゃない。
勝手に挑んで来る奴がいて、怪我したくはないからヤられるより先にヤりのめしただけだ。

そもそも、彼女がここまで荒れることもストレスのはけ口さえあればなかったはずだった。
先程の竜もしかり、敬愛している夫婦や恩師、そして彼女のよき理解者である小さな身なりをした先輩、みんながそれぞれの道を歩み、彼女から離れていった。
単なる甘えだとは分かっていても、それをあっさり受け入れるにはまだ幼かったし、後には引き下がれない。

しばらく走り続けて、疲れたところで止まった。
夜の海はどこまでも暗くて、彼女の気持ちを今一番反映している。
肩で息をして肺に足りなくなった酸素を送り込んだ。

どこからか陽気な歌が聞こえる、たったそれだけのことなのに無性に腹が立った。

「誰よそこにいるの、ちょっと黙んな」

一方的な物言いに姿がまだ見えぬ相手は一瞬口を閉じたが、しばらくすると、シャンソン風になった歌が聞こえた。
また苛立ちが彼女の口をつき動かす。

「黙れって言ってるでしょう!」

またピタリと歌声は止んだ。
疲れた、とばかりにたまおは海から来る潮風を軽減するために少し高い位置に植えられた杉の木が並んでいる短く刈られた草に埋まった土手に座り込んだ。
海を見るとなんだか悲しくなってきて、膝に顔を埋める。

しばらくすると同じ声音で今度はブラックミュージックを歌う声が聞こえた。

「……うるさいってば」

だんだん力無くなっていく声に安心したのか、彼女の背後にどうやらその歌声の主らしい気配がした。
彼女の横に腰を下ろしたが、どうしてもその人を見ることが出来なかった。

次に歌ったのはラップで、もう黙らせる言葉を言うのも面倒になっている。
しかし、歌い慣れてはいなかったらしく、途中で噛んでしまい、痛みを堪えるために口をつぐんだ、その様子に気付いたたまおは堪え切れずに吹き出して笑い出し、それでも押さえようとして、プクククク、と笑うために腹がよじれそうになっている。

少し気分を悪くしたらしい相手は、彼女の笑いを止めさせるためにまた歌を歌い出した、小節とビブラートを効かせた演歌調だった。

その独特な音と歌詞が、彼女の中にスッと溶け込んでいく。

茶々を入れることもなく、初めて一曲全てを聞いたたまおはやっと顔を上げた。
ずっと雲に隠れて見えなかった月がほのかに光を放っている。

「………歌って良いですね」

それだけ言って、初めて隣を向いた彼女は目を丸くして固まった。
見間違えるはずのない横顔が先程の彼女と同じように月を眺めていた。

「うれしいことも悲しいことも口に出せば、分かってくれる人には分かってもらえる、相手がいなくたって声に出せば自分の気持ちだって楽になる」

彼はたまおと目を合わせるとにこりと笑った。

「ただの良い人じゃ疲れるだけだよ、たまには、自分の中だけでもそのストレスを解放しなきゃ……歌は、そのツールだよ」
「…………さっきの曲、もう一度歌ってもらっても良いですか?」

仰せのままに、と彼は歌い出した。
彼の声は暗い海に、月が照らす夜に、そして傷付いた彼女の心に溶けていく、思いがけず、たまおの頬に涙が一筋流れた。

雲がどんどん流れ、遂には綺麗な満月が姿を現す。

歌い終わった彼をもう一度見ようとすると、頭を優しく撫でられた。

「君を大切に想う人は、君が思ってるよりたくさんいるよ」
「……っ…ありがとう、ございます」

また、その言葉が胸に染みて、笑顔に変わる。
久々に心から笑え、顔の筋肉がなんだか強張っている気がした。

不意に頭に感じていたその優しい重みが消える。
ほんの一瞬笑って目をつむっていた間に彼はいなくなっていた。

にゃあ、と猫が一匹たまおの側に来て鳴いた。
耳の後ろを撫でてやると気持ち良さそうに目を閉じた。

「……歌って、素敵なんだよ」

猫に語りかけるようにそう言うとそれに応えたようにゴロニャンと鳴いた。
それが可笑しくてまた笑ってしまった。

もっと強くなりたいと思った
大好きな人達がそうなるために思い思いの道に進んだように



そう思わせてくれた彼に感謝しながら、先程彼が歌っていた曲を真似て歌う。
胸につまっていた全ての嫌なものが消えていく、そんな気がした。



天使の歌声
正確には神様だけど
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