大勢での食事を終え、重ねた食器を流し台まで運んだ葉はシンクの中に下ろしたあと、他人の気配を背後に感じて葉は振り返った。
ほんの少しの間のつもりだったため電気を点けなかったが、皆がいる部屋から漏れた明かりが彼女のシルエットを浮かび上がらせている。
「葉さん、この前は失礼なことを言ってすみませんでした!」
彼女が頭を下げると特徴的な長い髪が釣られて靡いた。
前、とは彼女の兄とのシャーマンファイト後のことなのだろう。
「気にすんなよ、ピリカ」
「いいえ、私が間違っていたんです。謝らせてください。真剣勝負に負け惜しむだなんて小者のやることだってお兄ちゃんに後から叱られて反省したんです」
「……ホロホロが、」
妹に頭が上がらない、尻に敷かれているというイメージは払拭した方がいいのかもしれない、と葉は感心しつつ、仲間意識が薄らいでいた。許嫁の彼女を想い気が遠くなる。
「もうすぐ始まるシャーマンファイト本戦……お兄ち……、兄を、よろしくお願いします」
再度頭を下げるピリカに、どうしたら良いのか悩んだ葉はこちらこそ、と頭を下げ返したのだった。
*
ずん、としていて、且つじりじりと熱を持った痛みがホロホロの腹部に留まっている。
いけ好かない男がスピリット オブ ファイアと呼んでいた大きくて赤い精霊に殴られたあとだ。見た目と名前ともども、炎を表していたし、ただ単に殴られただけの衝撃以上に熱を感じていた。
蓮がすぐに馬孫をオーバーソウルさせてホロホロを掴んだため大事には到らなかったが、本戦直前に何しやがる、とただならぬ苛立ちを覚えて頭にも熱が上る。
寄り掛かっていた柱ごとぶっ飛ばされたため、背中もじんわりと痛みを覚えていた。
「ホロホロ、大丈夫か?」
いけ好かない、ハオという男が従えていた仲間と共にだんだんと片付けられている出店へ消えていったあと、雰囲気が悪くなったからと場所を移動していると、最も痛む腹を押さえて猫背になりながら歩くホロホロに葉は声をかけた。
「当たり前だっ!くそっ!!」
全ての荷が詰まったボードケースは竜が持っていて、直前まで食べていたファストフードのゴミは葉が預かっているため手ぶら状態である身を案じられるのはどれだけ甘く見られてるのかと癪に触る。コロロが心配そうに顔色を窺いながら周遊していた。
ハオ達が次の移動手段は飛行機だと言っていたので丸きり信用したわけでは決して無いが、格納庫が見える位置に移動した面々はそれぞれに腰を落ち着ける。
背中の痛みが引いたホロホロは竜から自分の荷物を引き受けて、IMPORTANTと書かれた木製の箱に両手を打ち付けた。
本当に腹立たしいことであるが、血の気が引くほどの巫力だけでない圧力をあの男から感じた。
未来王、などほざいていたが、それはシャーマンキングを指すのだろう。シャーマンファイトはキングになりたい奴達ばかりだが、今までは誰を差し置いてでも俺が、という気概を持っていたのに、はじめて負けが先に頭を過ぎった。はじめから自身の負けを疑うなんて、そんなこと自分でも認められなかった。
もう二度と自分から逃げたくなかったのに、逃げたくなっただなんて。
拳を握り締める、深爪気味の爪が手の平に跡をつけていた。もう身体の痛みは消え去っている。
そして憤りはそれだけでない。
その後ハオ達が言っていたとおり、状況察知能力が高い蓮が格納庫から飛行機が出て来たことを知らされ竜と共に腰をぬかす。機体にPATCH JUMBOと書かれている辺り、呆れを通り越してホロホロは白目をむくことしか出来なかった。
パッチジャンボに乗ってアメリカに行く、ということをハオ達は既に知っていたのだとするととても面白くない。どうやって知り得たのかなど全く分からないがとにかく面白くなかった。
そしてホロホロは道内から出たのもつい最近の話で、それだってヒッチハイクだったのだ。
はじめて乗った飛行機はついこの間の中国で、まだ乗り慣れていない移動手段に多少の尻込みを覚えたところで、さっさと機体に乗り込む大所帯を見付ける。
しろがねの丸いピアスが太陽を反射して光を散らせていた。
まだ先程と同じ薄ら笑顔を貼付けたままだった。腕がゾワリ、と肌を泡立たせている。
「よっし、オレらも行くぞ!」
「おぉっ!」「だな」「なぜ貴様が仕切る!?」
唇を噛みしめたあと、次々と乗り込んでいくシャーマンファイト本戦の参加者に続けとホロホロは先陣を切って歩み出した。
*
「私から詳しいことは言えませんが、お兄ちゃんは昔のお兄ちゃんが嫌いです」
ホロホロの底抜けな明るさしか知らない葉は軽く目を見開いた。
彼に昔、何があったかなど聞くほうが野暮である。何か自身を揺るがすきっかけが無い限り、二度と現実には戻れないと言われた上でもシャーマンファイトに挑もうとは考えないと思っていた。
「ああ見えて今では昔以上に、何と言うか……自分の気持ちに蓋を被せる、ようなくせがついてるんです」
これから彼らは泣き言など言っていられない。耐えられるかどうか、それは本人だけの力では難しい、少なくともピリカはホロホロには無理だと考えている。
頭をまた下げて頼み込む。
「葉さんなら、きっとお兄ちゃんの助けになってくれると思うんです」
「うえー、よしてくれよ、特別なことは何も出来ないんよオイラ」
「絶対大丈夫です!」
やけに自信を持った声がピリカの頭を上げさせた。
*
パッチジャンボの中は、ジャンボの名に相応しく広い機内と席数を誇っていた。
すでにシャーマンファイト参加者たちが所狭しとぎゅうぎゅうに詰めて各々席を獲得している。
運良く4つ連続で空いていた席を奪取して、席上の荷物入れに自身の持ち物を背が高い竜に押し込んでもらう。
「オイラ窓際が良いなぁ」
「馬鹿言うな!俺以外認めん!」
「なんだよ蓮もかよ、意外とお子様だな」
「黙れホロホロ。殺すぞ」
「 」
結局席順じゃんけんにより窓際に蓮、葉、通路を挟みホロホロ、竜ということになった。この間、たしかに騒がしい集団と化していたが、ホロホロはそれを鬱陶しがる視線に雑ざり、不穏な気配を感じていた。
その方向を見詰め返せば奴がいる。
予想外の会場予定地に機内はザワザワと落ち着きがない。
そんな喧騒すら聞こえなくなっていた。
腹のうちで真っ黒い何かが蠢くような気がして、ホロホロは腹立たしげに座席に腰を落とす。
このモヤモヤとした感情がなんなのか考えても正体は突き止められなかった。
ただ、先程の……ハオが葉にかけた言葉も、向けた視線も、何もかもが気に食わなかった。理由は特に無いはずであるが。
*
シャーマンだからか アイヌの子だからか 他人から疎まれた、そんなホロホロが、本人は知らずにであろうが、シャーマンだから 幽霊が見えるからか 他人から疎まれた、葉に出会った。ホロホロの数少ない“人間の友達”に葉はすぐに昇格した。
勘が良いピリカはいつもと、今までと違う兄を感じ取っていた。
「私もよく分からないけど、葉さんはきっと、お兄ちゃんの“特別”です」
*
「いい加減機嫌治せよホロホロ」
葉がなんとも言えない表情を浮かべ、ホロホロを諭しだす。
この噴怒を発散させたいのに逆に止められるとはホロホロにとっては不愉快極まりないことだ。
そんなことは露知らず、葉は通路に首を出し後ろを振り返る。
ニコリ、と笑いながら手を振るハオに彼も無言で応えていた。
実に不愉快である。
若干の飛行機酔いをした葉と吐瀉騒動を起こしたあと、ハァ、と息を吐く。
自分が何が気に入らないのか知らない。もしかしたら分かりたくないだけかもしれない。そのモヤモヤも嫌な気分になる。
何も考えたく無くなって、頭につけていた広いバンダナを下ろして目を覆った。
目を閉じた暗い世界は心に平穏を与える。
「あれ、ホロホロ、寝ちまったんか?」
どきり、と心臓が跳ねたけれども無視をしてタヌキ寝入りを決め込んだ。
ドクドクと脈打つ身体が疎ましい。
葉が別な奴でもなく、ホロホロ自身と暇潰しにでも話したかったのだろう、そんな単純なことに喜んでいることは自分でもわかった。
この気持ちは何ですか
知りたい、知りたくない、が競っていてひどく落ち着かない
20120830