盾子ちゃんと私の関係性というのは、光と影のそれによく似ている。盾子ちゃんが光で、私は影。盾子ちゃんは人気者で私は嫌われ者。盾子ちゃんが生まれつき何もかもを持っているのと同じように、私は何も持っていない。
それでも、光と影がそうであるように、私たちはお互いになくてはならない存在で、相対的で対照的で、依存し合っている。私はずっとそう思っている。盾子ちゃんにもこの考えを話したことがある。そうしたら盾子ちゃんは「お姉ちゃんには絶望的に残念なミリオタ趣味と超スーパーウルトラ級に可愛い妹がいるじゃん」と笑ってくれた。…嬉しかった。盾子ちゃんも私と同じように考えてくれているに違いなかった。何もかもが正反対でも私たちには同じ嗜好と姉妹の絆がある。それを思うだけで何も怖くはない。
…が、しかし、

「………」

盾子ちゃん以外に話す人がいなくて、私はちょっと寂しかった。
お昼休みはみんなワイワイしてて、楽しそうだった。それぞれ親しい人と昼食を取って、話をして、笑っている。そんな光景をぼーっと眺める私。憧れないわけではない。しかし、無理だ。コミュニケーション能力が皆無な私にはあんなことが出来るとはとても思えない。と言うか、純粋に、なんであんなに楽しそうにしているのか理解不能だった。食事なんて15秒で済む。情報の伝達だって、休み時間を食い潰すほどには掛からないし……こんなことも分からないから盾子ちゃんに残念だって言われるのだろうか。
視線をやると盾子ちゃんはクラスメイト数人と楽しそうにお話していた。私と盾子ちゃんはめったにお昼ご飯を一緒に食べない。盾子ちゃんが、学校ではそれぞれクラスメイトと仲良くしようと言ったからだ。
ああ、二重の意味で羨ましい。盾子ちゃんと食事を取れるクラスメイト、クラスメイトと食事を取れる盾子ちゃん。でも、私はその両方を望んだりなんかしちゃ駄目だ。盾子ちゃんに言われるほどじゃないとは思ってるけど、やっぱり盾子ちゃんに圧倒的に劣る私にそんなことができるはずがない。高望みをしては駄目だ。私には盾子ちゃんがいる。盾子ちゃんがいればそれで―――――

「ちょっとー!! なに黄昏ちゃってんのむくろーー!!!まだお昼だよ!!」

びくりとして振り返る。すると盾子ちゃんが激しく私に手を振っていた。なんだか心が通じ会えたような気がして、思わず顔が綻ぶ。

「いい加減馴染んでもいい時期なのに未だ絶望的ぼっち飯を満喫している残姉ちゃんに速報!! なんとこの名字が!!ねーちゃんに言いたいことがあるって―――」
「ちょ、盾子ちゃん、まだ心の準備が!っていうか、戦刃さんも迷惑だろうと思うし、」
「ゴチャゴチャウッセーなあ!!ウチの姉は確かに残念でお粗末で不束者ですがぁー、アタシに対する信頼?忠誠?てか誰かに任せとけばなんとかなんだろって丸投げ感はマジで保証するから!好きにつかっちゃったらいいって!!」
「いや、いいのそれ…?」

クラスメイト、名字名前さん。盾子ちゃんとよく一緒に話しているところを見かける、その割にはあまりテンションの高いようには見えない女の子。そんな彼女が一体私に何の用だ?
目を細めて彼女を見つめると、名字さんは一瞬気まずそうな表情をした。しかし、一瞬で覚悟を決めたようで、颯爽と私の前に駆け寄りると私の手をギュッと握った。それだけでもかなりびっくりしたのだが、次に発せられた彼女の一言により、私は初めて閃光弾をぶつけられた時以上の衝撃と混乱に襲われた。





メイクのモデル。
幾度となく殺人の依頼をされた私であったが、そんなことを頼まれたのは生まれてこの方初めてだった。そういえば、名字さんはメイクアップアーティスト、とかいう肩書きでこの学園に入学してきたらしかった。そう思えば納得もいく。私のことを選んだのはまったく謎だが。
時は放課後。私は今名字さんの部屋にいる。私は別にどうでもよかったけど、名字さんが言うには化粧をしているところは人に見せるものではない、ということらしかった。
初めは盾子ちゃんも一緒に来ると言っていたのだが、飽きてしまったのか途中で帰ってしまい、この部屋には私と名字さんの二人しかいない。こんな時、気の利いた話でもできたらいいのだろうが、私にはとてもそんなことは出来ず、じっとベッドに腰掛けていた。
名字さんが私の顔をちらちらと見ながら四角い箱を片手で開ける。その中には色とりどりなドーランのようなものや、棒状のもの、何に使うか想像もできない形をしたものがきっちり所狭しと入っている。
私は反射的にこれらを用いた戦闘法を考える。まずあの棒みたいなものは目潰しや急所への攻撃に使えるだろう。投擲も視野に入れるべきだ。それなら予め内部にアイスピックを仕込んで、……、
……ああ。

「どうして」

ふと、疑問が口をついて出た。
どうして名字さんはこんなことを言い出したのだろう。どうして私に化粧したいなんか、こんな残念な女に。どう考えても盾子ちゃんの方がそういうのは似合うのに。
名字さんの作業の手が止まる。一瞬の逡巡ののち、名字さんは眉を下げ、困ったようにはにかんだ。

「この学校に入るまで私の周りって当たり前だけど普通の子しかいなくて、」
「だから、入学式で戦刃さんを見たときにひと目で…、なんて言うか、失礼かもしれないけど住む世界が違う人だって思った」
「綺麗だなあ、と思った」

そう言って名字さんは照れたように笑った。

「でも二ヶ月たったけど笑ったところ一回も見たことなくて」
「化粧っていうのは結局の所添加物でしかないよ。本当に綺麗な人には必要ない。でも、私のこの技術で戦刃さんを笑わせられたらいいなあって思った……」
「と!言うのが理由です!ごめんね勝手に語り始めちゃって」

情報量が多すぎて理解しきれない。内容の咀嚼をしながら私はぼんやりと返事をする。

「いや、聞いたのは私…だから」
「…よし。お待たせしました。メイク、始めちゃおっか。ごめん、目閉じてね」
「あっ、はい……」

名字さんが私へと手を伸ばし、慌てて目を瞑った。名字さんの指が私に触れる。
それは、なにか神聖な儀式を行っているようだった。その手つきは優しくて静かだった。壊れものを扱うようなその手つきに、自分はもしかするととても素敵なものなんじゃないかと思える。さっきまでの緊張と恐怖心はいつの間にか消えていた。なるほど、これが彼女の才能か。
名字さんは、時折何の作業をしているか教えてくれたが私には1割も分からなかった。
しかし心地が良くて、私は、こんな気持ちになったのは初めてかもしれない。

「……終わったよ」

その言葉に私は静かに目を開く。本当に不思議と名残惜しいような気さえした。
名字さんが私の目の前に大きめの鏡を差し出す。そこに写っている私は、困ったような照れくさいような顔をしていた。
思ったり色は乗ってなくて、あれだけ時間をかけた割にはどこが違くなったのかはよく分からないが、心なしか眼光の鋭さが柔くなって、優しい感じになったような気がする。あと、唇がピンク色になっていた。

「かわいい」

名字さんが満足げに呟く。
頬が赤くなった。何も言えなくて下唇を噛む。
今まで他人からこんなにストレートに褒められたことがあっただろうか。賞賛の言葉はいつでも盾子ちゃんと共にあった。
もう一度鏡を見る。そこに映る私は相変わらず盾子ちゃんとはまったく違っていた。でも、いつもの私に比べたら…、確かにかわいいと、そう思えた。
でも、

「そんな、私、盾子ちゃんに比べたら…」
「あはは、盾子ちゃんと比べたら誰だって厳しいよ」
「……」
「でも、やっぱり、むくろちゃんはかわいいよ」

私の、名前。

「ごめん、ちょっと図々しかったかな」
「いや、その、私…」

人にこんな風に名前を呼ばれるなんて。私にとって名前とは個人を識別する記号でしかなかった。それがどうしたことだろう。彼女に呼ばれただけで、特別な意味を持っているように思えるのだ。
無言になった私を彼女は心配そうに見ている。私は慌てて頷く。

「…大丈夫」
「あの、私のことよかったら名前って呼んでくれない?」
「名前、さん…」

うわ言のように呟くと、名前さんは太陽のように笑い、
「改めて、これからよろしくね!むくろちゃん!」




なんで、私は今こんなことを思い出しているのだろう。

「あー、あんた名字ってんだっけ?」
「は、はい!名字です!名字名前」

名字さんはキラキラした目で私を見上げている。江ノ島盾子を前にして興奮しているようだ。そんなにじっと見つめられると落ち着かない。化粧は盾子ちゃんにみっちり教わったから大丈夫のはずだけど、それでもやっぱりこわい。

「あー、本当にもう、会えて光栄、です」
「ちょっとー、もう、大袈裟過ぎ!アタシそんな大それた人間じゃないってば〜」
「いや!盾子ちゃんは希望の星です!」
「人間ですらないの!?」
「それで、早速なんですけどメイクさせて頂けませんか!?」
「マジ早速じゃん!いや超高校級のメイクアップアーティストの実力?超〜〜〜興味あるんだけどさあ、でもさ、ごめんね私……」

返事をしようとして、胸が苦しくなった。盾子ちゃんからあらかじめこの質問の模範解答はもらっていたのに、全部が喉につかえて出てこない。
名字さんが不安そうな顔をしている。返事をしなければいけない。

「アタシ、メイク人前で落とさないことにしてんの。プロ意識?ってやつ?だからごめんね〜〜ちょっと無理!このメイクも自前でさ〜」
「え!すごい!じゃあ、メイクの秘訣とか、コツとか教えてもらっていいですか!?」
「意外と図太いねあんた…」

いくら化粧でごまかしているとはいえ、なかにいるのは相変わらず冴えないこの私だ。別に見られてしまってもすっぴんはこの顔、と言って誤魔化せばいいのはわかっている。でも、江ノ島盾子としてのキャラクターが、化粧を落とすのと同時に崩れてしまうような、そんな言い訳も言えなくなってしまうような、そんな気がした。

「てかさ、別に敬語使わなくていいし、アタシら同い年じゃん」
「えーと、そうか、じゃあ…」
「アタシのことは盾子って呼んで!アタシも名前って呼ぶから!」
「じゃあ…、盾子ちゃん!これからよろしくね!」

だから、私は彼女の前で化粧を落とすことはもう出来ない。だから、私が彼女に化粧を施してもらうことは、もうない。それが少しだけ悲しかった。……少しだけ。
一年前と何も変わっていない彼女は一年前と全く同じように笑う。私はなるべく盾子ちゃんっぽく笑い返した。

「よろしく、名前!」




モドル

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