「名字くんは本当に可愛らしいな」
「…!?」


驚いて顔をあげると石丸君とかちりと目があった。石丸君は急に顔を上げた私を見てか不思議そうな顔をしている。いつも通りだ。なにもおかしいことはない。
なんだ、幻聴でも聞こえたのかな…。石丸君に曖昧に笑いかけると、私はシャーペンを握りなおした。
期末テストの前だから私は石丸君に勉強を手伝ってもらっていたのだ。食堂にはちらほらクラスメイトがいて、みんな新聞を読んだりとか、本を読んだりだとか、談笑に励んでいる。やっぱりさっきのはなんてことない、私の幻聴だったようだ。よかったのか、悪かったのか。
さっきの幻聴もあってか、すっかり勉強に身が入らないようになってしまった。ぐぐぐと伸びをして、机に突っ伏す。


「疲れたー…!」
「いや名字くん、素晴らしい集中ぶりだったな!勉強に集中している名字くんも大変可愛らしかったぞ!そのあまりの可愛らしさに僕は思わず名字くんに見とれてしまった!」
「…はい?」
「…ん?」


しんと賑わっていた食堂に沈黙が訪れる。
幻聴じゃ…ない…!?
慌てて辺りを見回すとみんなびっくりしたような顔をしている。えーと、えーと…一番近くの席に座っていたセレスちゃんに助けを求めてじっと見ると、セレスちゃんは綺麗ににっこり笑ってまた紅茶を飲みだした。違う…違うんだよセレスちゃん…!


「そんなにセレスくんを見つめてどうしたというのか名字くん!」
「あ…いや…ちょっと…」
「しかし、出来れば君の瞳に映るのは僕だけでいたいものだな。君が他の者を目に映しているというだけで…嫉妬でおかしくなってしまいそうだ…」
「ちょっ、」
「名字くん……いや、名前くん、僕は名前くんが好きだ。誰にも渡したくはない。僕のものになってくれないか…?」
「ひぃぃ!誰か!誰か助けて!」


にこりと笑う石丸君はいつもと違ってどこか艶めかしくて、否応なしにどきりとしてしまう。でも、なんというか、普段の石丸君とあまりに違いすぎて気持ち悪い…!気が付けば石丸君と私の周りにバラ…?バラ的なものが舞っている幻覚すら見えてしまうような空気になっていた。


「ああ、名前くん、君はどうして僕の心をこんなにも掻き回してしまうのか」
「えっ…いやあ…」
「鈴が転がるような名前くんのその声で僕の名前を呼ばれてしまった日には僕は死んでしまうんではないんだろうか!」
「は…はあ…」
「そうだとも!是非名前を読んでくれたまえ名前くん!」
「えっ…いや、でも…」
「さあ名前を!」
「清多夏、君……」
「ああ!なんという甘美な瞬間!僕はこの時のために生まれてきたのかもしれない!いや、間違いなく僕はこの瞬間のためだけに生まれてきた!そうだ!例え─────」


石丸君のやけに熱のこもった演説に私はただただ呆然とするしかなかった。───ああ、これ、みんなに聞かれちゃうな…。でも、果たして私は彼を止められるだろうか…?石丸君は席を立って拳を握りながら熱い熱い熱い愛の言葉を怒涛の勢いで語っている。


「(…逃げよう……)」


そうだ。それしかない。逃げよう。
石丸君は演説に夢中になってるし、逃げるなら今しかない。教科書とか、ノートとかこの際どうでもいい!私はなるべく音を立てないように椅子を引いて、抜き足差し足忍び足で出口へと向かった。


「しかし、名前くんの可愛らしさはいくら語っても語り尽くせんな」
「!!??」


なんで…なんでいるの…ッ!!??
いつの間にか隣に立っていた石丸君に開いた口が塞がらない。私が目を白黒させていると石丸君は突然真剣な顔をして、私の手を握った。


「名前くん…」
「い、石丸君…!?」


石丸君の大きくて角張ってる手が私の手を包み込む。触れられた手がやけに熱い。熱い…というか…熱すぎやしないか。
私は石丸君の手を振り解いて石丸君の額に手を当てた。その途端じんわりと、びっくりするくらい熱い石丸君の体温が伝わってきた。


「凄い熱…!!!」
「…熱?いや、そんな筈は、僕は君という光の元なら、たとえ灼熱の地獄でさえ耐えてみせる…?ハハ、なんだ、名前くんが2人…?なん、で、」


石丸君は私に倒れかかってきた。慌てて抱き留めるとその身体の熱さにびっくりする。意識のない人間というのはとても重たいもので、私は石丸君を支えたままずるずると床に座り込んだ。石丸君は荒い呼吸を繰り返していて、耳元に熱い吐息が当たってびくりと肩が跳ねた。否応無しに顔に熱が集まる。今日は、厄日だ。本当に。
その後私が助けを求めた声は、恥ずかしいやら情けないやらで笑えるほどに震えていたのであった。





モドル