「やあ三成君、奇遇だね」
「・・・奇遇だな」


この挨拶をするのももう何度目になるだろう。
この出会いが奇遇などではないことは三成が一番よく分かっていた。他ならぬ三成が彼女を訪ねたらかだ。
三成が尋ねる時、名前はいつもフェンスに寄りかかっていた。キシキシとせわしなく鳴るフェンスは随分前から本来の目的を果たすことができない。目の前にいる彼女がそれを証明してくれた。
絶え間なくビルの下から吹き上げる風は名前の髪を弄んで学校指定のプリーツを騒がしく鳴らしている。酷く耳障りだ。けれどそんな音にも慣れてしまった三成は眉をしかめる事ももうない。ただ、これまたいつも通り、そんな自分に気が付いて眉をしかめるだけであった。


「三成君、私死んじゃったよ」


ひどく嬉しそうに彼女は言った。訪ねるたび彼女は必ずそんなことを言う。忘れるな。そういう戒めの意味もあるのだろう。
名前は一週間前飛び降り自殺した。
昨日まで生きていた名前。昨日まで笑っていた名前。棺桶の中の名前も血色が悪いだけで昨日と何も変わらないように見えた。周りが泣いていても、三成は泣けなかった。名前が死んだなんて信じられなかった。信じたくなかった。タチの悪い冗談だ。皆で私をからかっているのだ。そうとしか考えられなかった。・・・・・そうだったらどれだけよかったか。
気が付いたら三成はビルの屋上にいた。名前が飛び降りたビル。三成にとって何のゆかりもない場所だ。灰色の排他的な屋上には誰が置いたか分からない花束がひと束だけだけ置いてある。あまりに不釣り合いで三成は眉をしかめた。
その時、声が聞こえた。名前の声。三成はバッと顔をあげるとそこに名前がいた。生きているとしか思えない笑顔で名前はさっきと同じ言葉を口にした。三成君、私死んじゃったよ。
それから毎日三成は屋上を訪ねている。生前よりよく笑うようになって、それでも生前と何も変わらない名前に三成は名前の死を受け入れつつあった。名前が棺桶に入っている時は受け入れられなかったのに、皮肉なものだ。三成は静かに彼女を見つめた。


「そんなこと、知っている」
「奇遇だね、私もだよ」
「戯れ言を」
「私は冗談なんて言ってないよ、事実じゃないか」
「ああそうだな」
「そうだね」
「貴様、何故死んだ。」
「三成君いつもそれ聞くね」
「良いから答えろ」
「カッとしてやった。反省も後悔もしてないけど」
「ふざけるな」
「ほんとだよ。七割くらい」
「三割の理由を教えろ」
「考えてなかったな」
「・・・」
「怒らないでよ。嘘だよ」
「では、何故死んだ。貴様が死ねば悲しむ奴が居ただろう」
「そんなこと死ぬ前から知ってたよ。だからこそっていうのかな。三割の理由はソレ。大切にされてる内に思い出に成っちゃいたかったんだと思うよ、私」
「私が貴様を一生大切にすると言っていてもか?」
「プロポーズ?」
「ふざけるな」
「ごめんごめん」
「答えろ」
「私に言わせてみればそんなこと言うから女の子にもてないんだと」
「・・・残滅してほしいのか・・・?」
「いやっ、嘘、冗談、っていっても、残滅なんて出来ないよなぁ。ちょっと残念。って思わないこともないな」
「・・・いいから答えろ」
「うーん、一生って言われてもなぁ。変わらなかったと思う」
「そうか」
「うん。怒らないんだね」
「ああ」
「三成君も丸くなったねー。えらい!」
「上からものを言うな」
「そう考えると私って三成君の上を行ってるんだよね。物理的に」


なにがおもしろいのか名前がクスクス笑う。その顔があまりにも楽しそうでこのままでもいいんじゃないかと、三成は一瞬考えた。だが、すぐに考え直す。三成は決意を固めてきたのだ。こんな些細なことで決意を揺らがしてはいけない。
三成は名前の方へ向って歩き始めた。こつり、こつり。三成の革靴が硬く鳴る。それを見て名前は怪訝な顔をした。


「貴様は私を信じないだろう」
「随分乱暴な物言いだけど平たく言えば、まあ、そうなるのかな」
「どうすれば信じる」
「信じるって言ったってもう手遅れだけどね」
「そうだな」
「うん」
「名前、」
「何?」


「私と死ね、名前」


名前がまんまるに目を見開いた。生前では見られなかった反応だ。矢張り、死ぬと感情が豊かになるのか、私も死んだらよく笑うようになるのか。・・・それは嫌だな。と三成が別の方向に思いを巡らせている間に名前は揺らいだ心をなんとか落ちつけた。三成をギロリと睨みつけるように見る。そんな名前に気が付いても三成は何とも思わなかった。反応はある程度予測している。


「・・・普通に考えて無理だよ」
「なぜだ」
「なぜって・・・そもそも私もう死んでるし、それに三成君に死なないで欲しいもん」
「それを貴様が言うか」
「それもそうだけど」
「言っとくが、私は止めないぞ、貴様と死ぬ」
「本気?」
「ああ」
「死にたいわけ?」
「そうじゃない」
「だったら止めた方がいいよ」
「じゃあ、私は死にたいのかもな」
「・・・三成君ってこういうキャラだっけ」
「総て貴様のせいだ」
「人のせいにしないでよ」
「いや、貴様のせいだ」
「私のために死ぬの?」
「いや、私のためだ」
「馬鹿なの?」
「・・・そうかもな」


三成は苦笑した。こつり。三成はようやく歩くのをやめた。三成と名前の距離はもう二メートルもない。思えば名前が死んでからこんなに近づくのは初めてだった。
名前の顔が泣きそうに歪んでいる。名前が強く握ったせいでフェンスがギシリと鳴った。眩しいほど白い彼女の細い指の隙間からパラパラと錆が落ちる。錆はそのまま風に巻き上げられて消えた。


「・・・・死なないでよ」
「その言葉そっくりそのまま返してやる」
「私もう死んでるもん。死ねないよ」
「名前、」
「・・・今度は何?」
「名前、好きだ。ずっと好きだった」


独り言のように呟いた一言。それは名前が死んでから初めて気が付いた感情だった。名前が顔を伏せた。長い沈黙。それから嗚咽がなったのを皮きりに彼女は赤子のように泣き始めた。
これも、生前ではありえなかったことだ。名前は極端に自分の弱味を出すのを嫌がっていた。悩みなんて無いみたいにいつも飄々としていて、泣くことなんて考えられないような女だった。名前のそんなところを三成は気に入っていたのだが、今思うと弱音を吐いてくれればこんなことにはならなかったと思う。今思っても、もう遅いのだけれど。
滴る名前の涙はコンクリートに染みを残すことなく消えていく。私が伸ばした手は彼女の涙を拭うことなくただ宙をすり抜けていった。こんなに近くにいるのに触れることさえできない。涙をぬぐう事すらできない。生きているのに、こんなにも非力だ。
動機は、それだけで十分だった。
三成は泣き崩れる彼女をよけて淵の方に向かっていく。すり抜けられるのは分かっていたが名前を足蹴にするのは嫌だった。もう三成を止めるものは存在しない。名前が掴んでいたフェンスは、名前が死んだ時に一緒に堅いコンクリートの地面に叩きつけられていた。もう存在しないものだ。三成は淵からつま先をだけを出して立ち止まった。靴は脱いだ方が良いのか、そういえば遺書も書いていなかった。刑部には悪い事をした。他のやつらにも。そんなことをぼんやりと頭の隅で考える三成の目にはコンクリートから落ちそうもないどす黒い染みが見えている。
三成の行く末であり、彼女の末路。
さあ、とビルの谷間から吹いてくる心地の悪い風が三成の前髪を掻き分けた。それが合図だったように三成は静かに目を閉じて、そして、




モドル