「名前、あのね私、幸村君が好きなの。」 そう言って、文字道り透き通るような白い頬をうっすら桃色に染める姿は思わず見とれてしまうほど可愛らしい。状況が、状況出なければ。 分かってはいた。予想してはいた。でも、やっぱり辛い。ぎりり、奥歯を噛みしめると血の味がした。それでも知らないよりはまだましだ。そうだ。大丈夫。自分を慰めるのにどれ位かかっただろう。心配そうに私を見上げる愛に気が付いた。 異常を悟られるわけにはいかない。私は極力普通に、いつも通り言った。つもりだ。 「うん、知ってたよ」 「え!嘘?ホントに?!」 「だって愛、真田とすれ違うだけで顔真っ赤にしてたし、いくら私でも気付くよ」 「え、やだ、恥ずかし!も、もしかして幸村君も気付いてたかな・・・!?」 「大丈夫だって。アレは告白でもしないと気づかないと思うよ」 「そうかな・・・?そうだったら、良いんだけど・・・」 完熟トマトのように真っ赤になって慌てていた愛は私の言葉で若干落ち着きを取り戻した。 ふう、と可愛らしいため息をついた愛はまだ顔が赤い。 「あ」 「ん、どうした?」 「あの、一応聞くんだけど名前、幸村君の事好きだったりする?」 「・・・実はそうなの」 悪戯心で漏らした一言に冷や水をぶっ掛けられたみたいに愛の顔から血の気が引いた。金魚みたいに口を開閉させて呆然とする愛の顔に思わず苦笑する。そんなに真田が好きか。 ぎりり。口の中に鉄の味が広がる。 「うそ。嘘だからそんな顔しないでよ」 「ほんと?本当に嘘?サクが本当に幸村君の事好きなら隠さないでちゃんと言って欲しい。私達、親友でしょ?」 「本当に嘘だって。なんなら真田に誓っても良いよ」 「・・・本当に好きじゃない?」 「本当本当」 「・・・よし。信じる」 「そりゃあどうも」 「名前、疑っちゃってごめんね。どうしても聞いておきたくって」 「良いよ別に」 「あの、それなら、ちょっと、お願いがありまして・・・」 「真田への橋渡しならとっくのとうにやってるよ」 「名前・・・!ありがとう愛してるー!」 ひしっ。モモンガが木にしがみつくがごとく愛は私に抱きついた。 やっと言えた、と嬉しそうな愛の呟きが耳元で微かに、でも確かに聞こえた。 どくどく。打ち付けるような鼓動。愛の体温を感じながらやけに冷え切った頭で彼のことを考えてみた。赤いはちまきがよく似合う彼のことを。私の恋は叶ってくれなくていい。想うことすら罪なのだ。 さっきまで燃えるように煌めいていた飴色の太陽は次第に色を失って、最初から何も無かったように空は暗闇が支配している。木に陣取って道行く人々を見下していたカラスの声もいつの間にか聞こえなくなっていた。コツコツと革靴の固い音だけが響きもせず消えていく。日が落ちた人気のない道。等間隔に置かれている電灯は消えているものもある。大半はヂ、ヂ、ヂ、と不気味な音をたてて夜道の怪しさを引き立てていた。本来犯罪を抑制すべきものなのに、嫌な気分だ。 「先、帰ってくれてよかったのに」 「いえ、おなごの一人歩きは危険ゆえ。」 「・・・真田って真面目だよね」 「そうでござるか?」 「うん」 「そうでござるか・・・」 「うん」 前を歩く真田の髪ははたはた揺れ、まるで猫じゃらしのように私を誘惑している。だが私は猫ではない。ただただ鬱陶しいだけだ。 真田と下校を共にするのも不本意ながらもう随分になった。 ことの始まり今から半月ほど前。真田が心配だから送りたい、と言いだしたのだ。小さな親切大きなお世話、とは正にこのことだと思う。真田は自分の人気、ひいてはルックスを把握していないのだ。私は全力で拒否した。 私と真田はおなじ剣道部だったが会話もなく、ほぼ他人。それに、私は真田のことが好きではなかった。別に嫌いなわけではない。ただ、初めて真田を見たときから生理的に無理だと思った。こればっかりはどうにもならない。しようとも思わない。 しかし、愛が好きかもしれない人。どんな奴か知っておきたい気持ちもあった。 最終的に私は猿飛に引っかけられ、真田に子犬のような目で見つめられ、好奇心半分、根負け半分で折れた。 私はそのことを今、猛烈に後悔している。 「ねぇ、真田」 言葉はあっけなく暗闇に吸い込まれていく。私は立ち止まった。電灯の危うい光が私のつま先だけ照らす。真田は立ち止まらない。ただ、前だけを見ている。 「何でござるか?」 そんなこと、分かってる癖に。とんだ茶番だ。 「何で愛のことフったの?」 暗闇に一歩踏み出して、真田は止まった。その瞬間、瞼を閉じたみたいに一瞬、視界が暗闇に包まれた。上を見ると電灯が消えかかっている。まるで、危険を知らせているようだ。 「・・・名前殿。某は、」 「愛のことフるなんて、真田も馬鹿なことしたねー」 「某が好きなのは・・・」 「愛って可愛いし、私と違って気が利くし、優しいし、いいこだし、それに、真田によく似合ってるのになー。なんなら私から言って、」 「某が好きなのは名前殿でござる!」 真田は振り返りながら言った。栗色の髪がキラキラ光って弧を描く。 その言葉は愛に言って欲しかった。 私を真っすぐ見つめる真剣な目。私、その眼が嫌いだったのかも。むかむかした気分が食道にまで流れ込んできて思わず唾を飲んだ。 真田は私から目を逸らさない。だから私も真田を睨みつけながら吐き捨てるように言った。 「知ってた」 「では、返事を下され」 「ごめんなさい、好きな人がいるので真田君とは付き合えません。これでいい?」 「・・・ああ、ありがとう」 真田がなんとも言えないような顔で笑う。こんな顔も出来るからもてるのだろうか。愛に好かれるのか、私にはよくわからない。 妙な罪悪感に苛まれて真田から目をそらす。古くなったコンクリートはささくれ立っていて今の私のようだ。 だけど、これで良かったのだ。 これで私もようやく一息つける 。 「だが、某は諦めないでござる」 耳を疑った。 「必ずや名前殿を振り向かせてみせるでござる!」 息が、詰まった。 太陽みたいに輝く笑み。顔をあげるといつもと変わらない真田がそこにいた。 ひゅーゅー、過呼吸を起こしかけた喉がみっともなく鳴る。 ふつふつと腹の底から湧き上がるどす黒い憎悪。頭に血がのぼって何も考えられなくなる。吹っ飛んでく理性の端っこに残された私は確かに真田のことが嫌いになっていた。 「ふざけないでよ!私、ごめんなさいって言ったよね!?あんたのこと振ったんだよ!?」 「それでも某は名前殿のことが、」 「止めて!聞きたくない!あんたさぁ、人の迷惑も考えてよね!イケメンだからってなにもかも許されると思わないでよ!」 「・・・い、いけ?め?」 「イケメンくらい分かれよバカッ」 「す、すまぬ・・・」 「謝るな!」 「・・・」 さっきとは打って変わっておどおどした態度の真田に腹が立つ。きっとこいつは私がなんでキレてるか理解してない。 今まで私がどんなに苦しんできたかも、フったときの安堵感も知らない。酷く、腹が立つ。 「私、これからも絶対真田のこと好きにならないし、付き合うこともない」 「・・・それでも、某は名前殿が好きでござる」 「絶対叶わなくっても?」 「物事に絶対などないでござる」 「絶対も絶対だよ。だって私が好きなのは、私、」 一瞬の躊躇。でも、止まれない。 「愛が、愛が好きなの。可愛いくて、私と違って気が利いて、優しくて、いいこで、それに、幸村君によく似合ってる愛が好き。ずっと好きだったのに・・・!」 真田が息をのむ音がやけに鮮明に聞こえた。 愛に告白しようと思ったことがないわけじゃない。でも、嫌われるくらいなら、避けられるくらいならこのままで良かった。なんて、悲劇のヒロイン面して。本当は臆病だっただけ。どうしようもないくらい、やましさと、後ろめたさにまみれた恋だった。 でも、本当に好きだった。 気が付いたら泣いていた。高ぶった感情が溶け出して、溢れて、ほろほろ流れていく。 そのうち、頭に昇った熱がすっと引いていって、私は冷静さを取り戻しつつあった。心は嘘みたいに穏やかだ。そして気が付いた。 私、このことを、愛への気持ちをずっと誰かに言いたかったんだ。 ふと、笑いが込み上げてきた。 真田を見るとまた、何とも言えないような顔をしていた。悪いことをしてしまったと思わないこともない。 こんなに良い奴なのに、私のこと好きでいてくれるのに。真田のこと、好きになれたらよかった。 危うく光る電灯、考え込む真田を夢心地で眺める私の耳の奥で、今まで積み上げてきた何かが崩れていく音が聞こえた。 モドル |