絵を書こう。
彼をモデルにしよう。

思い立ったが吉日、善は急げ。
私は彼の腕を掴んで廊下を突っ切っていた。行き先はどこでも良いが、出来れば人がいないほうがいい。

「ちょ、名字くん!?どうしたのだね!?」

あと、石丸くんが逃げないところ。騒がないところ。それは無理か。
そうこうしてるうちに私たちは寄宿舎の方まで来ていた。ここまで来たら、場所はひとつしかない。
私は一つの扉の前で立ち止まると、久々に振り返った。石丸くんは混乱ここに極まれりという表情で私を見つめている。

「石丸くん、鍵出して」
「は…?なにを」
「早く!」

私の剣幕に押されたのか、石丸くんが渋々学校指定の茶色のジャケットの内ポケットから鍵を出す。私はそれをひったくるように奪い取ると、石丸くんの部屋の鍵を開けた。
ガチャ
石丸くんを部屋に引っ張り込むとベッドの方に押し込み、私は内鍵を閉める。
そこでようやく石丸くんが我に返ったように、

「さっきから君の勢いに押されて何も言えなかったが、一体どう言うことなのだッ!? 正直僕は混乱しているぞッ!!さっきまで穏やかに教室で話していたというのに君と来たらいきなり僕を部屋に連れ込み…ハッ!いけないぞ不純だッ!!名字くん!妙齢の女性が男を部屋に連れ込むなどと…!!」
「ここ石丸くんの部屋だよ」
「あ、そうか…。ならば…、…イヤ駄目だ!そもそも前提が間違っている!!男女が二人で個室にいるということがそもそも風紀を乱していて…!そうだ名字くんなんで僕の部屋にいるんだ、今すぐに出て行きたまえ!!…というか…」

石丸くんは仁王立ちで叫んだ。

「何故僕をここへ連れてきたのだ!?目的を述べたまえよ名字くん!!」

相変わらず耳がキンキンするような大声である。私はそれ以上そんな声を聞きたくはなかったので、「落ち着けビーム」と冗談半分になだめようと試みる。…睨まれた。別に、ほんの冗談じゃないか。

「じゃあ、言うけど…、君のことが書きたくなったんだ」

そういうと、石丸くんは鳩が豆鉄砲を打たれたような顔をした。

「…それは随分…急な話だな」

石丸くんはムム、と唸った。
確かに、私は今まで彼を描かせて欲しいという素振りを見せなかったし、クラスのみんなにも頼んだことはなかった。ので、てっきりそういうものだと思っていたのかもしれない。
石丸くんは私の述べた理由にすっかり納得してくれたようだ。少し嬉しそうにこう続けた。

「そういうことなら構わない。僕も一度君の作画風景を見てみたいと思っていたのだ!まさかこんな形になるとは思わなかったが…」

そうと決まれば話は早い。

「服を脱げ」
「は…」
「服を脱げ、と言っているんだよ石丸くん」
「…僕も君のその真剣な表情を見れば、君がそういう意味でその言葉を言っているのではないとは分かる…。ヌードという歴史ある創作表現も知っているぞ…。だが、一言言わせてもらうぞ名字くん、破廉恥だ!!断固拒否する!!」
「恥ずかしいんだったらパンツは履いててもいいよ」
「そういう問題ではない!!」

まあ、石丸くんがそう言うのは想定済みだった。私は少し考えるフリをしたのち、「あ」と小さくこぼす。

「じゃあ、アレ着てもらえるかな、アレ。石丸くんが前の学校で来てた制服。あの、白い学ラン」

アホのような予定調和。
わざとらしすぎてなんなら自分で笑ってしまっている私の科白にも、石丸くんは「ああ分かった!」と快活に返事をしてとっとと着替えに行ってしまった。
そして5分もしないうちに帰ってきた石丸くんは白い学ランを身に纏っていた。
パキッとした白、一寸の隙もない着こなし。嘘のように清廉潔白そのものだ。
そのまぶしさに、思わず私は目を細める。

「大丈夫?サイズ合う?」
「思ったよりは大丈夫だったが。…少しきついような気がするな、首元のあたりが。ブレザーに慣れすぎたせいだろうか」
「…そう、じゃあ、早く始めよっか」

私は石丸くんを勉強椅子に座らせ、私自身は彼のベットに腰掛けた。そして鞄から画材とスケッチブックを取り出す。
石丸くんは照れ臭そうに、窮屈そうに椅子に座って視線を彷徨わせている。私はそんな彼を縫い付けるように見つめながら、鉛筆を動かしはじめた。

「…石丸くん、私が石丸くんの絵を書きたいと思ったのって急な話じゃないんだよ」
「ム、そうなのか」

言いたいことは色々あったが、全部言ってはならないことだった。
本当は入学式の時からずっと石丸くんを見てたとか、石丸くんのことがずっと気になってて多分ずっと好きだったとか。
それが今更になって絵を書くなんて言いだしたのは、怖くなったからだ、とか。
私はずっと石丸くんの白いところが好きで、何も書いてない画用紙みたいな洗いたてのタオルみたいな夏の雲みたいなまっさらなところが好きだった。でも、分かっちゃたんだよなあ。石丸くんも人間なんだって、石丸くんも変わってしまうんだって。画用紙だった書かれるためにあるしタオルだって使われるためにある。雲がいつしか鈍色に変わるように石丸くんも変わってしまうんだということ。汚れてしまうんだということ。今までは、きっと、それを信じたくなかった。信じたくなかったから私はきっと石丸くんの絵を書かなかった。でも、石丸くんの、友達と話す時の笑顔を見て、ああ、私の愛したまっさらで純粋で…孤独な石丸くんはいなくなってしまうんだって。私は、石丸くんの影に勝手に偶像を重ねて、世界で一番身勝手な失恋をした。いっそ殺してしまおうかと思ったけどそんなことはできないから。だから私は、標本にする。この白い紙のなかに石丸くんを閉じ込める。私だけの墓標にする。そして毎晩手を合わせるんだ。なんて、陰険で、悲惨で、無意味!でもそれくらいは許して欲しい。石丸くんを独占できないのは分かっている。時を止められないのは分かってる。変わらないでと懇願することが間違っていると、分かっているのだ。だから、これで、これだけで…
一心不乱に鉛筆を動かす。時の経過を全く感じることはなかった。これだけ集中するのは初めてかもしれない。
額に一筋、汗が流れた。
それを腕で拭うと、私は緩慢な動作で顔を上げた。石丸くんは描き始めと一寸も変わらない姿勢のまま、椅子に腰掛けている。
「出来たよ」
「ム…。思ったより、随分と早かったな」

私は彼にスケッチブックを差し出す。石丸くんは嬉しさを隠そうとしないままにそれを受けとり、その肖像画に目線を落とした。
ハッ、と息を飲む音がした。

「……昔の僕だ」

呆然としたように、ぽつりと石丸くんがこぼした。
そして苦笑した。

「僕はこんなに孤独だったのか」

そんなことを言えるのはね、今の君が孤独じゃないからだよ。さよなら石丸くん。私の愛した石丸くん。




モドル