屋上で御堂筋君と話し込んでいるうちに足を滑らせて落ちてしまった。
でも、御堂筋なら大丈夫だろうかと思う。

「あああかん。あと百メートル低かったんなら大丈夫やったんけど、この高さなら流石の僕も死んでまうわ」

タイミング良く御堂筋君が言い、私はちらりと上を見る。屋上は遙か遠くに見えて、百メートル低かったら大丈夫だなんて、やっぱり御堂筋君はバケモノだと思った。
地面の匂いがする。校庭で野球部が投球練習をしている声がする。ここで私はようやく自分が死に向かっていることに気付いた。そして、例えば地面に当たる直前にふんわり身体が浮いたりだとか、誰かが助けてくれるとか、偶然トランポリンが置いてあるとか、そういう奇跡が起きないということも。私も御堂筋君も死ぬのだ。そう思うと急に背筋が寒くなった。ああ、もう地面が近い。助からない。私は息を呑み、御堂筋君を見た。御堂筋君は人形みたいにぐったりして背中から落ちている。

「み、どうすじく、」

駄目だ。こんな声じゃ伝わらない。地面が近い。

「御堂筋くん!君はいいレーサーだった!大好き!!」

そう言って、目が覚めた。背中には地面に落ちたときの冷たい衝撃が残っている。だが気分は悪くなかった。最期の言葉にしてはなかなかよかったんじゃないか。ふわふわした気持ちのままそう頭の中で呟いて私は大きく伸びをした。



もしかして聞こえなかったんじゃないか、そう気付いたのは三日後、ひとりぼっちの部室で給水用のスポーツドリンクを用意していた時であった。
そう気付いてしまうともうどうしようも無くなってしまって、私は掃除をしておけと言われていたのも忘れてそわそわとイスに座っていた。それからたぶん五分ぐらい。

「名字さん、ボトル」

練習の終わった御堂筋くんがB級ホラー映画に出てくるクリーチャーのように部室に入ってきた。さわやかに感じられるはずの汗もなんらかの粘液のようだ、と毎回思う。っていうか実際そうだ。絶対そうだ。
私が身体に染み着いた兵隊の動きで御堂筋くんにボトルを手渡すと、御堂筋はそれを奪うように受け取り、ベンチに座った。そしてカパッと開いた口にポカリスエットを流し込んでいる。
それから肩で息をした部員たちが部室へと流れ込んできた。その表情は芳しくない。今日の作戦会議は荒れそうだ。
部室が一気に汗くさくなり私は「ちょっと窓開けてきますね」と呟き小走りで部室の奥にある窓を空けに行った。パチと留め具を上げ、そこで私ははたと御堂筋に言うことがあったと思い出した。

「ちょっと名字さん、ボトル足ら」
「御堂筋くん、君は最高のレーサーだった。大好き」

遮ったのは水田くんの台詞だっただろうか。記憶にあったまま溢した言葉は思いの外響き、部室は一瞬静まりかえった。
のち、雄々しい奇声で沸き立った。

「な、」

びっくりして肩がビクリと跳ねる。慌てて辺りを見ると、部室は見事なカオス空間と成り代わっていた。
「ええーっ!そうだったんすかぁ!」と水田くんが私の背中を興奮のままバシバシと叩き、「ええっえっ、ええのこんなとこで」と当事者でもないのに石垣先輩が焦り、井原先輩が男子高校生のお手本のように興奮してエトセトラエトセトラ。
そしてようやく私も、今になって、告白したみたいな感じになっちゃったのか、と気付く。少しばかり恥ずかしい気がしないでもない。が、照れるタイミングも見失った。ちょっと今更過ぎた。でも、あれだ。みんな話せば分かってくれるだろう。…分かってくれるはずだ。そもそも、ここでこんな空気が許されるはずもないのだ。
その時、視界の端で御堂筋くんがゆらりと立ち上がった。あ、マジ切れ。ただ立ち上がっただけなのにそのプレッシャーはすさまじい。部室は一気に静まり返り、視線は御堂筋くんに集中した。しかし、それはざわざわとした期待と興味の込められたもので、いやあ御堂筋くんはさぞ居心地が悪いだろう。本当に今更ながら、ちょっと悪い気がした。
御堂筋はカチカチと歯を鳴らし、無表情だがいつもより七割増し機嫌の悪い顔で私を見下ろす。御堂筋くんの身長は私よりずっと高くて顔に影がかかっているが、目だけがギラギラ輝いていて、内心ゾッとした。
御堂筋くんはゆうっくりと私の耳元へ顔を寄せる。

「どうせキミィのことやから何も考えてへんのだと思うけどぉ…」
「遺言になるで、ソレ」

今度こそ、いつもの空気に戻った。いつもの、張り詰めた息の詰まるような空気。見なくてもみんなの顔がひきつっているのが分かる。
だけど私は、一転、胸からこみ上げる興奮を抑え付けるのに精一杯だった。いや、偶然だとは分かっているんだけど。ちょっとおもしろすぎて、嬉しくて。熱くなる頬を抑え、私はともすると緩みだす口元を必死に引き締めようとする。
俯く私をどう思ったのか、上のほうで御堂筋くんのわざとらしいため息が聞こえた。それから少しの沈黙を挟んでぶっきらぼうな言葉が降ってきて、

「まあ、いいを最高にしたトコは褒めたるわ」

今度は私がポカンとする番だった。




モドル