こういうのって、ちょっと違うと思うんだけどなぁ。私は首をひねりつつ、彼にマグカップを差し出した。中にはハチミツを溶いたホットミルクが注いである。彼はそれを受け取らない。私はまた、何度目かも分からないため息を付くと彼の前と私の前に湯気の立つマグカップを置き、彼の向かいの椅子に腰掛けた。そしてもう一度、彼を観察する。白いタオルケットを被った彼は、まるで世界の終わりを迎えたような顔をしていた。その目は、狂気的に赤い。
超高校級の風紀委員、石丸清多夏。
目の前にいる彼は、どっからどう見てもその人そのものだった。つまりは、トリップ。別世界にやってきてしまったのだ。世界の終わりというのもあながち嘘ではない。彼は一つの、「ダンガンロンパ」という世界の終わりを、どういうわけか迎えてしまったのだ。それを少し、嬉しいと思う。だって彼は、ここにいる間にはコロシアイ学園生活なんてものに巻き込まれずにすむんだから。
───ただ、今じゃなくて良かっただろ。


「ね、石丸くん。あなたも、そう思うよね」


石丸くんは返事をしなかった。それは、突然見知らぬところに来た混乱や、まあ人見知りではない、と思う。それだったらどれだけ良かったか。そりゃあ、画面越しでしか見てないけど、石丸くんは挨拶してもシカトするような人じゃないと思う。それならば、原因は、彼がこうまでなってしまった原因を、私は知っている。この目で、見た。


「…大和田くんが、死んだんだね」


石丸くんの肩がビクリと跳ねる。それで私は予想を確信に変えた。…びっくりするくらい、嬉しくない。つまりこの石丸くんはchapter2の学級裁判以降の石丸くんなのだろう。石田じゃないところを見るとアルターエゴに会ってはいないと思う。思うけど…、それがなんだって言うんだ。来るのがもっと前だったら千尋ちゃん殺害事件、それどころかコロシアイ学園生活を回避するすべを教えることも出来たかもしれない、のに。
私は、簡単な自己紹介を済ませると、一通りこの世界の状況を説明した。コロシアイ学園がゲームだということは言わずにおいた。石丸くんは、微かに反応を見せたものの、何も考えられないのか、それとも考えることが多すぎて言葉に出来ないのか、何も喋ることはなかった。私は少し考えたのち、これからの話をする。この石丸くんにとっては、未来の話。タイムパラドックスがどうとか、そういう話は分からないけれど、それを話すことに禁忌的な何かを感じつつも、私は話さざるを得なかった。それが、間に合わなかった私の、彼に出来る唯一の罪滅ぼしのような気がして。


chapter3、モノクマからの動機の提示。第三の殺人。二人の被害者に、二人の加害者。運任せなトリック。裁かれた彼女の、あまりに身勝手な動機。その処刑。
chapter4、モノクマからの動機の提示。第四の殺人。被害者であり加害者であった彼女のその背景と、事件をかき乱した彼女のその心情。ひとりの仲間の最期。
chapter5、監視カメラの真実。起こりえない第五の殺人。16人目の高校生。戦刃むくろ。辻褄合わせの処刑を助けた、ひとりの仲間。モノクマとの交換条件。
chapter6、動機の提示。最期の学級裁判。外の世界の真実。コロシアイ学園生活の真実。
黒幕。


それを話し始めた時、石丸くんの口が微かに動いた。


「どうしたの?」
「…江ノ島、くんは…死んだではないか…」


思ったよりも暗く、掠れた彼の言葉は、彼女の死を侮辱するな、と私を責めているようだった。
やっぱり、どうなってしまっても石丸くんは石丸くんだ。非常に身勝手だが、私はそれが素直に嬉しかった。


「…ごめん。でも、本当の話。黒幕は江ノ島盾子なんだよ。…信じられなくても、石丸くんが暴いてくれればいい」
「……だが…、君の、話の通りだとすると…、次の動機提示で…、僕は、…」


石丸くんの表情はあまり変わらない。しかし、言葉を言い澱んだ彼は、ことさら、とても悲痛に見えた。私は自分がとても酷いことを言ったんだと、実感とともに自覚する。
高校生だ。希望も、未来も、夢もあって、それがその存在ごと消えてなくなってしまう。それがどれだけ辛いのか、私には分からない。死んだこともないし、彼のように異常な空間にいて死を間近に感じたこともない。このままでは確実に死ぬと宣告を受けたこともない。
だけど、と私はこぼした。


「だけど、その未来は変えられる」
「…」
「私が話したことで…、石丸くんは知るはずの無い、未来のことを知った。過去はもうどうにも出来ないけど、これからの行動次第であなたは、これから死ぬはずだった仲間を、自分自身を、助けることが出来る」
「…」
「…と、思う。実際、何で石丸くんがここに来たのかも分からないのに、未来のことなんて分かるはずもないんだけどね」
「…」
「でも、もし石丸くんが来た、その時間に戻れるなら、私の言葉を忘れないで、みんなを救ってあげてほしい。石丸くんには、それが出来るはずだから」


石丸くんは、無言だ。私が言った言葉を、鈍った頭でゆっくり咀嚼しているのかもしれない。けれど、私にはどうしてもそうは見えなかった。石丸くんの目はこれと話す時と同じ、いや、それより暗い色をしているように思えた。焦燥感が頭の端を焦がす。気が付けば私は、何も考えないままに声を発していた。


「ねえ、石丸くん。…もしかして、何も、しないつもりなの?」


彼は何も答えない。
胸がざわざわとする。止めろと理性が囁く。言ってはいけない。多分、私が言っていいことでもない。それは分かっていた。
それでも、私の口は止まらない。


「嘘だよね…。何もやらないなんて、そんなことないよね。見捨てるの?仲間を、クラスメイトを。で、そのまま自分も死ぬつもり?…止めてよ!ねえ、私、見てるんだよ。何回もあなたたちが死んでいくとこ!それを止められるかもしれないのに何で…!」


そして私は、決定的な一言を口にする。


「───大和田くんが死んだときに、石丸くんの正義も死んじゃったの!?」


シン、とリビングが静まりかえって、私はそこでようやく、夢から覚めるように正気を取り戻した。頭から血の気が引く。私は慌てていつの間にか乗り出していた半身を椅子ごと引いた。


「ご、ごめんなさい!!ごめんなさい、私…、その、カッとなって、本当、ごめんなさい。あの、」
「……う、」
「ああ、もう寝た方がいいのかもしれないね本当ごめんなさい。埃臭いかもしれないけど客用の布団もあるから、」
「違う」
「…ぁ、」
「僕の正義は、死んでいない」


思わず、私は息をのんだ。
石丸くんの眼光は、思わずひるんでしまうくらいに強い。だが、そこじゃない。石丸くんは、私を見ていなかったのだ。目は合っているのに、虚ろに、私ではない何かを見ている。その目は澱んでいるのにギラギラと輝いていて、まるで飢えた獣のようだ。
何も言えなくなる。彼はここまで追い詰められていたのか。
耳鳴りがするくらい静かなリビングで、石丸くんはゆっくりとその口を開いた。


「君は…勝手だ。こっちの事情も知りもしないで、自分の理想と都合ばかりベラベラと、」
「いや、違う。そうではなくて、僕はみんなを助けなければ、」
「兄弟は、」
「違う。努力が足りなかっただけだ。もっと努力をすればよかった」
「僕は、」
「違う。違う、違う違う違う違う違う」
「みんなが頑張っているというのに、風紀委員の僕が足を止めているわけにはいかない」
「僕が、やる」
「山田くんも、セレスくんも、【話せば分かってくれる】」 


最後の彼の言葉が、ノンストップ議論のウィークポイントのように光って見えた。私は直感的に分かってしまう。多分、上手くいかない。絶対に石丸くんは死ぬし、これからの悲劇を回避することは出来ない。


「……そうだね。ごめんなさい、勝手なこと言って。もう寝ようか。布団、用意するね」


───それでも、私はその言葉を撃ち抜くことが出来なかった。
人を信じる。それは、彼が彼であるための最期の一線だと思えた。風紀委員の誇り、と言えるかもしれない。それを壊してしまうことなんて、とても私には出来なかったのだ。
ようやく、今更になって私は、彼のために出来ることは何一つないと気が付く。
その事実に、想像以上に深刻な石丸くんの状態に、私はひどく傷ついていた。勝手な願望で勝手に先走って、勝手に傷ついてる。石丸くんが言うとおり、私は本当に勝手だ。
だけど、許されるなら、もう一つだけ。
せめて今だけは、今ぐらいは、ゆっくりと石丸くんを眠らせてあげたい。過去のことも未来のことも置き去りにして、幸せな夢を見てほしい。そして、嘘でもいいから、明日に希望を持ってほしい。
私はそっと祈り、彼に全てを話したことを、少し後悔した。



朝、目が覚めると石丸くんはいなかった。使ってもらった布団は綺麗に畳まれてある。それだけが、私は夢を見ていたわけではないと教えてくれた。
彼は、果たして未来を変えられたのだろうか。
画面の向こうでは相変わらず石丸清多夏が死んでいる。




モドル