「なんだ石丸くん、こんなところにいたの」

ひょい、と教室を覗き込んだ名字がそうこぼす。その視線の先には何をするでもなく立っていた白い背中がある。彼は、緩慢な動きで振り返ると、ゆらゆらと危うげに燃える瞳で名字を睨みつけた。

「だから、オレは石丸じゃねーって言ってんじゃねーか。石田だ石田!!」

名字は「そっち行っていいかな」とへらりと笑い、返事も聞かずに石丸の近くの椅子に腰掛けた。
石丸はそれに一瞬咎めるような鋭い視線を名字に向けたが、少しして大きく舌打ちをすると乱暴に名字の隣の席に座った。

「なんか、石丸くんと話すのも久々な気がするなぁ」
「石田だっつってんだろ」
「そういえば石丸くん、髪の毛、いきなり白くなっちゃったね。どういう仕組みかは分からないけど、それはそれでよく似合ってるよ。あ、勿論黒髪も似合ってたけど」
「…石田」
「目のそれも馴れたらなんかかっこよく見えてきたし、私も石丸くんみたいに目から炎出せるようにならないかなぁ」
「…石田だって」
「石丸くん、…あれから、ちょっと変わっちゃったけど、相変わらず秩序は守るらしいし、なんか安心しちゃった」
「オレは石田っつーか、勘違いしてんじゃねーぞ」

そう言い石丸は片手を首の後ろにやった。それは、いつかの彼の仕草。記憶の底から引きずり出した彼の残滓。それは妙に痛々しく、まるで全てを拒絶するように名字の瞳に映る。

「オレは風紀は守る。そのために入学したんだしな。ただ、それと馴れ合うことはちげェ。オレは校則が…あとはまあ、人は殺さねーっつう一般常識が守られてりゃそれでイイ。ナカヨシコヨシなんて求めちゃいねェしやるつもりもない。お前と話してんのもただの気まぐれだ」

石丸は顔を背け、暗い瞳で言った。

「…石丸とは、違う」

名字は一瞬無表情になり、それから、よかった、と吐息混じりに吐き出した。
その呟きが耳に入り、石丸は片眉を吊り上げた。さっきまでの態度とはあまりに似つかわしくない言葉だ。石丸の視線に気付き、名字は取り繕うように笑みを浮かべた。

「だって、ほら。石丸くん、…思ったよりしっかりしてるみたいだから」
「ハァ?」
「その…、…大和田くんが、死んじゃって……、石丸くんが、駄目になっちゃったとか、セレスちゃんが言ってて…。みんなも…。でも、違うんだよね! 石丸くんはおかしくなったんじゃなくて、なんて言うか、その…進化したんだよね! 覚醒?って言うのかな、漫画とはアニメとかではよく見るけど現実にはないことかもしれないけど…」
「私は…、別に、それでもいい、と思う。石丸くんは石丸くん、なんだよね。そう…、信じていいんだよね?」

不安そうに石丸を見上げる名字。その目が、いつかの自分と重なる。縋るようなその瞳に、石丸は鳥肌が立つほどの悪寒と不快感に襲われた。
思わず立ち上がり、後ずさる。椅子が倒れ、その音が耳障りに教室に響いた。しかし、そんなことはもう石丸の意識にはない。名字が石丸を見上げる、その不安そうな目が、縋るような瞳が、止めろ、止めろ。止めろ。

「そんな目で、オレを見るんじゃねーッッ!!!」

頭が真っ白になる。わけが分からなくなる。
名字の口がなにか言いたげに動き、吐き気と共に石丸の視界がぐにゃりと歪んだ。その口から発せられる言葉は、今の石丸を完全に破壊する弾丸だ。それに違いない。打ちのめされた過去が閃光のように甦り、石丸は無意識に恐怖する。こんなことが二度もあってはならない。あっていいはずがなかった。
だから、石丸は名字の言葉を遮り、急き立てる。ヒステリックに、感情的に、ただただ、逃げるためだけに、

「石丸は、石丸は死んだんだよ!!オレはオレだ!!石丸じゃねぇ!あんな弱っちい奴とは違うッ!!!オレは、オレはオレは、」

石丸は絶叫した。

「誰よりも強いんだッッッ!!!!!」

少しの静寂の後、石丸は我に返った。そして、さっき自分が言った言葉を思い出し、震えた。
名字が青い顔で自分を見ている。その目は、明らかに脅えを孕んでいる。
………あの時、オレ/僕 もこんな顔をしていたのか?

「〜〜〜ッッ!!!」

石丸は声にならない叫びを上げ教室を飛び出していく。名字は追いかけたかった。が、一歩も動けない。名字はヒーローではない。超高校級の希望でもなんでもない、ただの無力な高校生だった。彼を追いかけて私が絶対にここから出してあげるなんてとても言えずに、発狂しないように自分を保つので精一杯だった。震える身体を押さえつけ、名字は固く目をつむる。
石丸は死んだのかもしれなかった。あれだけ石丸を信じていた名字でさえ、そう思えてしまった。それほど彼は、いつかの、追い詰められたあの男によく似ていた。

石丸が死ぬ2日前の話だった。




モドル