女に生まれてよかったなあ、と時々思うことがある。例えばスカートを履けることとか、痴漢冤罪の話を聞いたときとか、可愛いお菓子をなんの惑いなく食べられる時とか、エトセトラエトセトラ。
それに加え、私は女の子たちを性的な目で見られないことがとても嬉しかった。舞園ちゃんの長い青髪を、セレスちゃんの白魚の指を、盾子ちゃんの赤い唇を、私はそういう視点を絡めないで鑑賞することが出来る。ただなんの欲求も無しに美しいと感嘆することができる。それがたまらなく、嬉しかった。
しかし、弊害が存在する。
私は、女性が好きなのと同じ理由で男性が嫌いだった。それは断じて私がダビデ像に欲情するということではない。逆なのだ。その性のなせるところだ、仕方ない。そう思いつつも嫌だと感じざるを得ない。即物的に言おう。彼らの彼女たちを見る視線には、そこには確かに欲があるのだ。性欲、である。理性の奥に隠されていて分からない、おそらく本人も好意だの憧れだのなんだの、綺麗な言葉で片ずけているであろう感情、私はその奥にギラギラと輝く情欲があるのを知っていた。いや、それ自体を私は否定するつもりはない。それが本人の性格によるものではないし、どうしようもないことだって知っている。が、しかし、その性の隔たりがある限り、私にとって男というのはただ意味の分からない、汚らわしいケダモノであった。
それは芸術家のサガに起因することだと、私はずっと考えていた。今だってその考えが完全に間違っているとは思えない。しかし、いや、もう認めざるを得ないだろう。私はただ恐ろしかったのだ。性的で汚い、愛とか恋とか呼ばれる得体の知れないナニカによって人が変えられていくのが、私にはたまらなく恐ろしくて、嫌だったのだ。今ようやく分かった。死にたくなるほど分かった。
だがもう遅い。
彼の赤い瞳に刺され、それ以上に赤く染まった彼の頬に寒気を起こしながら私は女に生まれたことを後悔し始めていた。




石丸くんと芸術家の事情
20151108