耳が微かな音を捉えると私は反射的に跳ね起きた。一拍遅れて意識が浮上する。慌てて辺りを見回すとそこは教室のようだった。等間隔に並べられた机、かすれた黒板、飴色の床。どこか懐かしさまで感じる。


しかし、あまりにも非、現実的だった。


窓は分厚い鉄板で覆い隠されていて、巨大なボルトでがっちり固定されている。そして二つの無骨な監視カメラは無遠慮に私を見つめていて、居心地が悪いことこの上ない。しかしそれ以上にわけがわからなかった。
ここに至るまでの行動を思い出してみる。私は"超高校級の忍者"として希望ヶ峰学園にスカウトされた。忍者といっても人を殺したりなんて滅多にしない、ただ監視や諜報活動をするだけの生ぬるいものだ。スカウトされたのだって絶滅危惧種保護?みたいなものだろう…とため息を付いてから、それでも期待と緊張とか言うありふれた感情を持って希望ヶ峰学園の校門を通った。…途端、足元がぐにゃりと崩れた。目の前がぐるぐる回って気が付いたらここにいた…と。
おかしい!おかしすぎる!頭の中であらゆる悪態をついてみたが、私はすでに考える気力さえなくしてしまっていた。敵は私の想像の範囲外にいる。キリッ。それになんかあっても自分の身ぐらいは守れるだろう。
私は頭を掻いて大きなあくびをした。それにしてもよく寝たなー…こんなに寝たのはいつぶりだろう。でもわりと最近、―――――理想――睡眠時間――――…かん!?―――即刻――寝た…え!―――――そう、で、無理やり**くんが………まあ、結局寝れなかったけど……………


「あれ?」


誰だ、それ。


頭から血の気がみるみる引いていく。誰だ。思い出せない。ただ、何よりも、私の命よりも、大切な人だった、ような。誰だ。私は、その人が大好きだった。はずで、誰だ。その人って、誰?**くんって誰?名前顔性格全部思い出せない。なにもかも、あんなに好きだったのに?なんで???なんで思い出せないの?????
何かに追い立てられるように後ずさると、背中が壁にぶつかった。そのままずるずると座り込む。気が付いてしまった。胸にぽっかり穴があいてしまったような喪失感。息も出来ない焦燥。そして途方もない淋しさ。それを形容する言葉は、絶望、に、他ならなかった。
私は身体を丸く縮込めた。自己防衛の形。なんだ、一体何だって言うんだ。私は誰を忘れて、何をどうしてここへ連れてこられて、何故こんな死にそうな思いをしているんだ。体の震えは恐怖ゆえか。情けない。いついかなる時でも静穏を保って見せるのが忍びではなかったのか。

死んで、しまいたい。


「君ッ!!大丈夫かね!!!! ―――!! 」


場違いにもほどがあるような、よく通る声で誰かは叫んだ。そう近くない距離のはずなのに頭がくらくらするほどの大声だ。私の耳が良すぎるからかもしれない。私は黙って首を横に振る。誰かはズカズカと歩を進めると、私の前にしゃがみこんで私の様子を伺い始めた。一寸の迷いもない行動。誰なんだ。この人は。名前も顔も性格も知らない、この人は、誰だ。


「―――から、体調が優れないなら僕が保健室に 」
「……ぇ…」
「連れて……ん?なんだね?」
「なまえ」
「名前…?」
「あなたの、」
「ああ、自己紹介がまだだったな!僕の名前は石丸清多夏だ。座右の銘は質実剛健。お互い、切磋琢磨して学業に励もうではないか!」


遠い昔、虚ろな夢の中で聞いたようなセリフ。私はばっと顔を上げた。


一切着崩しの無い制服。
生真面目そうな顔。
真っ直ぐ私を見つめる瞳。


何一つ見覚えなんて無かった。無い、はずなのに。痛いくらいに胸が締め付けられる。なんだか分からない感情が溢れ出して、モザイクを掛けたように視界が滲んでいった。泣くなんて、やっぱり私は忍失格だ。けれど不思議と嫌な感覚はしない。彼が酷く狼狽しているのを見て思わず微笑んだ。
おそらくこの人だ。どこか運命めいた予感。私は涙を拭い、崩していた足を正座の形に整えた。顔は笑顔、のはず。胸はあいも変わらず締め付けられたままだがそれを隠すぐらいは簡単だ。差し伸べられた手に首を振り、私は人生初の三つ指着きの土下座をした。


「石丸清多夏様!!どうか私をあなたの犬にしてください!!」
「………は?」


石丸くんにベタ惚れな変態ストーカー忍長編をしようと思ったけど続かなかった産物。ヒロインちゃんは忍の技術はストーキングに役立つと良い笑顔で言い切れるどっからどう見ても変態ですありがとうございました。

石丸くんが好きすぎるプロローグ
20130726
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