小説 | ナノ


「あちぃ…。」

ボソリと呟いた言葉で更に室温が高くなった気がして、思わず眉をしかめる。
今のは正に身から出た錆びなのだが、そんな自分に苛立ってしまう程に、今日は暑かった。

季節は今、8月真っ只中だ。
8月頭と言うのはこんなに暑かったものだろうかと考え込んだ後に、今朝の天気予報を思い出し、一気に憂鬱な気分になった。
確か最高気温がどうのこうのと言っていた気がする。

そりゃ暑いはずだ。
何てったって年が明けてから、今んとこ一番暑い日なのだから。
あー、うぜぇ。ぽつりと呟き、する事もなくベッドに突っ伏してため息を漏らす。
日中よりかは幾分かまともになったものの、これは寝苦しい夜になりそうだ。

こんな時、今までこのエアコンの無い部屋でどうしていたのだったか。
そうぼんやり思い返したところで、ふとあの憎たらしい存在が脳裏にうかんで、目を伏せた。
そうだ、今までは奴の家に避難していたのだ。

その結論に至った後に、さてどうするべきかと思案する。
あれは奴が一方的に縁を切りたいだのと言い出しただけで、俺は一切了承などしていないのだ。
正直な話、俺は奴と縁を切るなんて認めていないし、そんなこと望んでなどいない。
勿論奴を友人だと思っているとか、そんな美しい理由では無く、ただ単純に奴を始末しなくては気が済まないのと、今日の様な暑苦しい日には、珍しく奴が役に立つという、それだけのことだ。

ベッドの上に転がっている携帯を開いて、ディスプレイを確認する。
時刻はまだ、午後七時をまわったばかりだ。
今日は熱すぎて仕事にならないから、と、早めの帰宅を促され、先程帰ってきたばかりだったのだ。

パカパカと携帯を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返す。
何で自分がこんなことで悩まなければならないのだろうか。そう考えると非常に腹立たしい思いでいっぱいになるものの、俺には行動に移すだけの勇気が無かったのだ。

(って、勇気ってなんだ。)

ガバリ、と、跳ね上がる様に身を起こして頭を抱える。
どうやら俺は暑さで頭をやられた様だ。
一体何に怯えていると言うのだ、俺は。それもノミ蟲相手に。
ブンブンと頭を降って、自分を罵倒する。

もうこのまま寝てしまおう。飯もまだ食っていないが、何だかもうそんな気分では無くなってしまった。

再びゴロリとベッドに横になって、目を閉じたところで、ふと昨日見た夢の事を思い出す。
最近よく見る不思議な夢だった。

何も無い真っ白な空間で、自分と小さな子供が二人、立っているだけのそんな夢だ。
その子供が、泣きながら自分に言うのだ。
気づけだの、目を逸らすなだの、理解しろだの、と。

どこかで見たことのあるような子供だったのだが、誰なのかが分からない。
分からないと言うよりも、毎晩のように夢に出てくる奴なのに、顔がはっきりと思い出せなかったのだ。
まるで霞が掛かったかのように、ぼんやりとしか記憶に残らないソイツが、俺は気掛かりで仕方なかった。

今日もまた夢に出てくるのだろうか。
今日こそははっきりと顔を覚えてやれるだろうか。そう思考の海に沈みかけたところで、ぐう、と腹が鳴り脳内の思考が全て中断される。

そうだ、気分では確かに無くなったが俺はまだ飯を食っていない。
気分で無くとも人間なのだから、生きている限り腹は減るもんだ。

もう暑くて正直食欲も無ければ動く事すら億劫だったが、ぐうぐうと主張する腹の虫を静める為に、俺は緩慢な動作で体を起こしキッチンへと向かった。

さて今日は何を食おうか。
そう考えつつ冷蔵庫を開けて、憂鬱な気分になる。
そこにはプリンが一つと麦茶のペットボトルが入っているだけで、食べるようなものがほぼ皆無だった。
麺つゆはあるが肝心の麺が無い。山葵や辛子はあるがつけて食うものも無い。

確かここ最近はファーストフードばかり食べていたので、食材を買いに行くなんて言うのは久しく無かったはずだ。
もうそんなところに頭がまわらなくなる程、今日は暑いのだ。
そうだ、全て暑さの所為だ。
そっと冷蔵庫を閉じれば、虚しくパタンと言う音が静かな室内に響いた。

さてどうするべきか。
この家には今、食べるものが無い。給料が入った後に、金を下ろしに行った覚えが無いので手持ちも無い。
ついでに言えば、今の時間に金を下ろすと時間外手数料を取られるので、できることなら極力金を下ろすのは明日にしたい。
更に言うなら此処は暑くて仕方が無いので、今すぐにでも涼しい場所に避難したい。

そうだ、大体奴が勝手に縁を切っただけであって、俺は一切認めていない。
なら俺がするべき事なんて一つじゃないか。

そこまで正当な理由が揃ったところで、俺は部屋の鍵と財布を手にして玄関へと向かった。
もう限界だった。
何だかんだと悩む自分が、まるで恋する少女の様で非常に気分が悪い。

あぁ、腹が立つ。
結局ここまで理由を揃えなければ行動に移せないなんて、これじゃあ本当にアイツの事が好きみたいじゃねぇか。

いや、そんな筈はない。ただちょっと胃袋を捕まれただけで、奴を特別視してるなんて、そんな筈ない、多分、いや、きっと。

ごちゃごちゃと煩わしい脳内をそのままに、扉を開け、外に出る。
部屋の中より幾分か涼しい外気に触れて、少し気分が落ち着いた気がした。

何だかんだと考えるより、会ってしまえばいいのだ、きっと。
そうすれば恐らくこのもやもやとした気持ちからも解放される筈なのだ。
きちんと扉を施錠して、一つ大きく深呼吸をする。
深く息を吸い込めば、少し胸がスッキリしたような気がした。
ふぅ、と、息を吐き出すのと共に気持ちを落ち着かせ、俺は熱帯夜の池袋を奴の住居に向かって歩きだす。

何故だかふと頭の中で、夢に出てきた子供と臨也の面影が重って、無意識に胸が苦しくなった。







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